2008年1月27日 (日)

『ラストエンペラー』この映画を見て!

第197回『ラストエンペラー』
Photo_2  今回紹介する作品は清朝最後の皇帝・溥儀の人生を描いた歴史大作『ラストエンペラー』です。
 本作品は溥儀の自伝「わが半生」に感銘を受けたイタリアの映画監督・ベルナルド・ベルトルッチが映画化。中国でのオールロケを敢行し、世界初となる紫禁城での撮影を行い大変話題を呼びました。完成された映画は高い評価を受けてアカデミー賞では9部門を獲得しました。

 ストーリー:「わずか3歳で清朝皇帝の地位に就いた溥儀。まだ自分の立場など何も分らない子どもながら、周囲の者からは皇帝として手厚く敬われていた。しかし、紫禁城から出ることを一切許されず孤独な少年時代を過ごす。大人になり皇帝として周囲に権力を振るおうとするが、辛亥革命が起こり彼は紫禁城から追い出される。そして彼は日本軍が統治していた満州国の皇帝となるが、そこでも彼は日本軍の手先として利用されるだけの見せかけの皇帝だった。そして日本軍が降伏した1945年、彼は戦犯として逮捕され収容所に入れられる。」
 
 本作品の最大の見所は何といっても撮影監督・ヴィットリオ・ストラーロの手による華麗な映像美です。特に紫禁城のシーンはスケールの大きさと色彩の豊かさに見とれてしまいます。
 そんな美しい映像に負けず劣らず音楽も大変美しく印象的です。特に坂本龍一が手がけた部分が素晴らしく、第二皇妃が雨の降る中を去るシーンで流れる「RAIN」やラストに流れる「ラストエンペラーテーマ」のメロディラインの切ない美しさはため息が出るほどです。

ストーリーに関して言うと、権力に翻弄された1人の人間の孤独や悲哀に非常に胸が打たれます。3歳のときから皇帝として見た目はチヤホヤ扱われながらも、実質的な権力は周囲が持っており、それに振り回され従わされるだけの人生。物質的な欲望は満たされても、自分の人生を思い通りにできない主人公の歯がゆさや空しさみたいなものが全編を通して伝わってきました。
 また後半の権力も奪われ一市民に転落していく姿は時の無常さといったものを改めて感じました。
 年老いた溥儀が紫禁城で幼い頃に隠したコオロギの入った容器を再び見つけ、中からコオロギが出てくるラストシーン。何ともいえない切ない終わり方で印象に残りました。時代と権力に翻弄された溥儀が最後に見つめた幼い頃のコオロギ。人生の儚さを感じる素晴らしいラストシーンでした。

上映時間 163分
製作国 イタリア/イギリス/中国
製作年度 1987年
監督: ベルナルド・ベルトルッチ 
製作: ジェレミー・トーマス 
脚本: ベルナルド・ベルトルッチ、マーク・ペプロー、エンツォ・ウンガリ 
撮影: ヴィットリオ・ストラーロ 
音楽: 坂本龍一、デヴィッド・バーン、スー・ソン 
出演: ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、坂本龍一 
デニス・ダン、ヴィクター・ウォン、高松英郎、 マギー・ハン 、リック・ヤン 
ヴィヴィアン・ウー、ケイリー=ヒロユキ・タガワ 

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2006年9月 3日 (日)

『ミッション』この映画を見て!

第105回『ミッション』
Mission_1  今回紹介する映画は18世紀の南米を舞台に先住民に対して布教活動を行うイエスズ会の宣教師たちの生き様を描いた『ミッション』です。
 この映画は1986年のカンヌ映画祭にてグランプリに選ばれ、アカデミー賞でも撮影賞を受賞するなど高い評価を受けました。監督は『キリング・フィールド』・『シティ・オブ・ジョイ』など社会派の作品を撮ることで有名なローランド・ジョフィ。彼はドキュメンタリータッチの淡々とした描写の中でヒューマニズム溢れる人間ドラマを見せることで定評があり、この作品も南米の雄大で美しい大自然を舞台に重厚な人間ドラマが繰り広げられます。主演はアカデミー主演男優賞を受賞したことのある演技派俳優、ロバート・デ・ニーロとジェレミー・アイアンズの2人。2人の熱演がこの映画の大きな見所の一つとなっています。特にロバート・デ・ニーロは元奴隷商人で弟を殺して罪の意識に苦しむ中で宣教に加わるという役なのですが、映画の中で圧倒的な存在感がありました。
 また南米の大自然を捉えた映像の美しさも大きな見所です。さすがアカデミー撮影賞を受賞しただけあります。特にイグアスの滝のシーンはスケールの大きさに圧倒されます。
 そしてこの映画を語るときに忘れてはいけないのは音楽です。『ニュー・シネマ・パラダイス』や『海の上のピアニスト』で有名な作曲エンニオ・モリコーネが担当しているのですが、彼の担当した映画音楽の中でも1,2位を争う出来栄えです。彼の音楽がこの映画の格調をさらに高めています。繊細でありながら壮大で、優しく美しい音楽は胸を打つものがあります。映画の中で彼の音楽が流れてくるだけで、涙が自然とこみ上げてくるほど、映像とあっており素晴らしいの一言です。

 ストーリー:「1750年、イエズス会の神父ガブリエルはイグアスの滝の上の伝道開拓地を目指して、崖をよじ登っていた。滝の上に住むグァラニー族の人たちに布教活動をするガブリエル。
 その頃、グァラニー族を狙って、奴隷商人のメンドーザが滝の上に現れる。彼は奴隷を人間と思わないひどい扱いをしていた。しかし彼は愛する女性を弟に寝取られたことに腹を立て、弟を殺してしまう。罪の意識に苛まれ引きこもっていたメンドーサに出会ったガブリエルは彼を伝道活動へと連れて行く。メンドーサは自らに苦行を課すためにがらくたの武器を体にくくりつけて崖をよじ登る。何度も転げ落ちながら滝の上にたどりつくと、そこにはかつて彼が奴隷として狩っていたグァラニー族がいた。メンドーザは彼らに赦しを受けて、彼らと共に過ごすこととなる。そしてついには自らも宣教師となり、神に仕える身となる。
 その頃、スペインとポルトガルが激しい植民地争いを続けていた。両国の植民地拡大に乗じて勢力を拡大したイエズス会は、しだいに王権から疎まれる存在になっていた。枢機卿は滝の上の教会を放棄して、グァラニー族の人々をポルトガルに引き渡すよう迫られる。ガブリエルは枢機卿に、地上の楽園であるグァラニー族の教会の存続を認めてもらおうとするが失敗に終わる。そしてポルトガル・スペイン軍によるグァラニー族への大虐殺が始まる・・・。」

Mission2  私がこの映画を始めてみたのは大学の時でしたが、あまりにも悲劇的な結末にショックを受けたものでした。神を信じ、愛を貫こうとした者たちが次々と軍隊という力によって殺されていく場面は痛ましく、人の世の虚しさを感じてしまいました。人間の現世での欲望の前には神の愛も無力になってしまう現実に対して悲しみを覚えてしまいました。
 映画の後半、ガブリエルとメンドーザが軍隊による虐殺に対して無抵抗を貫くか、武器を持って戦うかで意見が分かれ、結局お互い自分の信念に従って別々の行動を取ります。暴力に対して非暴力て対抗するか、暴力で対抗するか、どちらが正しい行為だったのか見た後とても悩んでしまいます。映画のラスト、メンドーザはガブリエルの姿を見て、どう感じたのかが非常に気になります。
 
 また私はこの映画を見て、政治の道具として利用される宗教の醜さ・愚かさといったものを感じました。枢機卿が信徒を守るよりも勢力の維持を選択し、虐殺を容認してしまう姿は宗教の理想と現実のギャップといったものを痛感しました。

 あとこの映画を見るとき注意しないといけないことがあります。この映画では宣教師を先住民たちの見方として好意的に捉えていますが、当時の西欧の植民地化においては宣教師が大きな役割を果たしてきました。先住民の土着信仰を野蛮で未開なものとして否定し、キリスト教こそが人間が信じるに値するものだとして布教していきました。宣教師は先住民を最初は同じ人間としては見ようとせず、哀れで野蛮な獣と思っており、いかに彼らを人間にしていくかを自分たちの使命としてきました。この発想は先住民に対してとても失礼であり、傲慢な態度です。しかし当時の宣教師は自分たちの行為を疑いもしませんでした。この映画はポルトガルやスペイン国家を悪、宣教師たちを善として捉えていますが、よく考えると宣教師たちの善意も押し付けにしか過ぎず、西欧人が入植させしてこなかったら先住民はそれなりに幸せにずっと暮らしていたかもしれません。この映画を見るときはそういう視点も持つことが必要かなと思います。

 「力が正しいのならこの世に愛は必要なくなる」
 映画の中でガブリエル神父が言うこのセリフは、この映画のテーマであり、戦争や紛争が頻発する現代社会においても重い問いかけをしていると思います。

製作年度 1986年
製作国・地域 イギリス
上映時間 126分
監督 ローランド・ジョフィ 
脚本 ロバート・ボルト 
音楽 エンニオ・モリコーネ 
出演 ロバート・デ・ニーロ 、ジェレミー・アイアンズ 、レイ・マカナリー 、エイダン・クイン 、シェリー・ルンギ、リーアム・ニーソン 

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2006年2月16日 (木)

『バリーリンドン』この映画を見て!

第40回『バリー・リンドン』 スタンリー・キューブリック特集3
こんな人にお奨め!「18世紀ヨーロッパに興味のある人、コスチューム劇が好きな人、人生とは何か考えている人」
バリー リンドン

 今回紹介する映画は鬼才キューブリック監督が作った歴史映画『バリー・リンドン』です。この映画はキューブリックの作品の中では知名度は低いですが、隠れた名作です。日本を代表する黒澤明監督がこの映画を見て大変感激して、キューブリックに賞賛の手紙を書いたほどです。
 『バリー・リンドン』はもともとキューブリック監督が長年構想していたナポレオンを題材にした映画を撮ろうと準備していた矢先に制作中止となり、代わりに制作された映画です。
 この映画の一番の見所は徹底した18世紀ヨーロッパの再現です。文化、衣装、生活様式の細部に至るまで全てが緻密に再現されており、観客を18世紀にタイムスリップさせます。特に当時の室内の自然な光を再現にはこだわっており、蝋燭の光だけで撮影できるカメラレンズを開発したそうです。映像の美しさはまるで動く絵画を見ているかのようです。
 私がこの映画を始めて見たのは大学の時でしたが、その時はもうひとつピンときませんでした。映像の美しさにはため息が出ましたが、ストーリーは淡々と進んで、淡々と終わっていくのでもう一つストーリーに入り込んでいけませんでした。また主人公も他のキューブリック映画のように強烈な印象や魅力がありませんでした。この映画は私には合わないかなと思っていたのですが、最近DVDを買って見直すと昔見た時には気づかなかったこの映画の魅力に気づき、とてもはまってしまいました。
 ストーリー:「18世紀のアイルランド。バリーは貧しい農民の母子家庭に生まれた。ある日、恋愛のいざこざで決闘することになるが、何とか相手を射殺して逃げることができる。しかし逃げる途中にイギリス軍隊に入隊する。しかし、戦争に嫌気のさしたバリーはイギリス軍から逃亡するが、プロセイン軍に捕まってしまい、プロセイン軍のスパイをさせられることになる。しかし、スパイする
シュバリエがアイルランド人だったこともあり、バリーは彼の側につき、彼と共にヨーロッパ中でイカサマ賭博師として大儲けする。そんな中ベルギーの宮殿で名門リンドン家の夫人と出会い、彼女の心を射止めて、結婚することになる。そして莫大な冨と名声を得たバリーだったが、そこから彼の人生は大きく転落していくことになる。」
 この映画のストーリーは2部構成になっており、第1部はバリーが結婚して名声を得るまで、第2部はバリーが没落していくまでを描きます。この映画は他の映画と大きく違ってナレーションがバリーにこれから起こることを先に伝えます。観客はこの後、バリーの身に何が起こるのかをあらかじめ知った上で見てきます。
 それはキューブリック監督が観客に主人公へ感情移入させず、主人公を見つめる観察者として見るように仕向けているように思えます。この映画は主人公に感情移入する映画でなく、主人公の人生を覗き見する映画です。
 またこの映画の主人公は他の映画と違って魅力がありません。はっきり言って、とても嫌な奴です。明確な意志を持って人生を切り開いていくのでなく、ずる賢く日和見主義的に振る舞って人生をやり過ごしていくので、見ていてとても共感しにくいです。しかし考えてみたら、あの当時に現実的に農民が貴族まで上りつめようとしたら、バリーのごとく振る舞うしかないのだろうなとも思います。
 さらにこの映画はバリーの視点を通して戦争の愚かさ・虚しさや貴族の堕落した姿を痛烈に批判しています。横一列に並び銃を構えて敵に向かってゆっくり歩いていき、撃たれて死んでいく兵士たち。形式ばった戦争で無意味に死んでいく兵士たちの姿は戦争の本質を抉りだしています。また貴族の称号を得るために貴族のスタイルや生活習慣を身につけようとするバリーの姿はどこか虚しいです。この映画は貴族社会の習慣や風習をじっくりと描く中で、貴族社会の差別性、形式主義に対する痛烈な皮肉を訴えかけます。
 この映画は見終わった後、人生の栄枯盛衰や無常観を強く感じます。ラストシーンに出てくる「美しき者も、醜いものも今はあの世」という文章は、この映画のテーマを見事に語っていると思います。バリーはあまり共感できる主人公ではないのですが、見終わった後はなぜかバリーにとても悲哀を感じて共感しまいます。それはバリーの人生の栄枯盛衰に人生の無常観を感じてしまうからかもしれません。
 この映画は隠れた名作です。3時間以上の大作ですが、見終わった後に人生とは何か考えさせられると思いますよ。ぜひ見てみてください!

製作年度 1975年
製作国・地域 イギリス
上映時間 186分
監督 スタンリー・キューブリック 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 
原作 ウィリアム・メイクピース・サッカレー 
脚本 スタンリー・キューブリック 
音楽 レナード・ローゼンマン 
出演 ライアン・オニール 、マリサ・ベレンソン 、パトリック・マギー 、スティーヴン・バーコフ 、マーレイ・メルヴィン 

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2006年2月15日 (水)

『アマデウス』(ディレクターズカット版)この映画を見て!

第36回『アマデウス』(ディレクターズカット版)
こんな人にお奨め!「モーツァルトが大好きな人、天才と秀才の違いを知りたい人、才能のない自分に不満を持つ人」
アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション 今年はモーツァルト生誕250年ということで、今回はモーツァルトを主人公にした『アマデウス』を紹介したいと思います。この映画は1984年に公開されたのですが、公開当時に大変高い評価を受け、アカデミー賞でも8部門受賞という輝かしい成績を収めています。
 この映画はイギリスの劇作家ピーター・シェーファーによって著された戯曲『アマデウス』を基に作られた映画です。戯曲『アマデウス』は1979年にロンドンで公演され人気を博し、日本でも松本幸四郎主演で制作されています。
 ストーリー:「1825年、オーストリアのウィーン。1人の老人が自殺を図る。彼の名はアントニオ・サリエリ。かつて宮廷にその名をはせた音楽家であった。そのサリエリが天才モーツァルトと出会う。モーツァルトは下品でいい加減な男だったが、音楽の才能に関しては天才だった。サリエリは彼の才能に激しく嫉妬する。そして次第になぜあのような下品な男に才能を与えたのか、神にも不信を抱くようになる。そしてサリエリはついにモーツァルトに対して恐るべき陰謀を謀る。」
 『アマデウス』のストーリーの面白さはモーツァルトの才能に嫉妬するサリエリという男の存在にあります。自分よりも遙かに優れた才能を持つものへの羨望と嫉妬。自分の方が才能を持つのに相応しい人間のはずなのに、自分よりも下品な人間に才能を与えた神への不満。サリエリの中に渦巻く感情は決して特別なものでなく、誰しもが持つ感情です。「なぜ自分にはこれだけの才能しか与えられなかったのか?なぜあいつにあれだけの才能が与えられたのか?」人生においてこんなことを一度は考えたことある人は多いと思います。そう言う人はこの作品を見るとサリエリに共感できると思います。この映画のテーマは誰しもが持つ天才への羨望と嫉妬そして妬みです。
 さて映画『アマデウス』の見所ですが、ストーリーはもちろんのこと、映像・音楽・役者の演技と全てにおいて見所満載です。まずプラハで撮影された映像はとても素晴らしく、18世紀のウィーンの雰囲気を見事に再現しています。豪華絢爛な衣装、18世紀の舞台の再現、18世紀の市民の生活の様子など映像的に見て楽しめる作品となっています。音楽は全編モーツァルトの名曲が流れており、この映画を見ると彼の代表作が一通り聴けます。
 そして役者の演技。サリエリを演じた
F・マーレイ・エイブラハムの演技は最高です。彼はモーツァルトへの嫉妬とねたみを見事に表現しています。そしてモーツァルトを演じたトム・ハルス。今までイメージしていたモーツァルト像を見事に壊してくれました。
 映画のクライマックスシーン、死にかけたモーツァルトが作曲するのをサリエリが手伝うシーンの2人の演技合戦は凄いです。死期が近づき最後の力を出して作曲モーツァルトと嫉妬や妬みを超えて天才の才能に少しでも近づこうとする秀才サリエリの姿が緊張感たっぷりに描かれ、見入ったものです。
 この映画は劇場公開版とディレクターズカット版と2バージョンあります。私はどちらも見たのですが、20分追加シーンのあるディレクターズカット版の方がストーリーが分かりやすく、深みが増したと思います。特にサリエリとモーツァルトの妻コンスタンツェが出会うシーンはラストの妻のサリエリへの態度の伏線となっており、ここが劇場版でカットされたのは惜しいなと思いました。
 あと私がこの映画で気になったのはサリエリが食べるお菓子です。サリエリは映画の中でやたらお菓子を食べるシーンが出てきます。そのお菓子が美味しそうなのですが、いったいどんな味なのでしょうね。ちなみにサリエリがお菓子を食べるシーンには彼の抑圧された欲望というものが暗示されているような気がします。格式や伝統を重んじ、気品高い人間でいようとするサリエリの押さえつけられた欲望のはけ口がお菓子を食べることでなかったのではと思います。

 モーツァルトの曲は頭を良くすると紹介されて以来、ちょっとしたモーツァルトブームが起こっています。是非、少しでもモーツァルトの曲を聴いたことある人ならこの映画はきっと楽しめると思います。また全くモーツァルトの曲を知らなくても、この映画は才能と嫉妬という極めて普遍的なテーマが描かれいるのでとても面白くご覧になれると思います。是非みなさんもこの映画を見てみてください!

製作年度 1984年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 180分
監督 ミロス・フォアマン 
製作総指揮 マイケル・ハウスマン 、ベルティル・オルソン 
原作 ピーター・シェイファー 
脚本 ピーター・シェイファー 
音楽 ジョン・ストラウス 
出演 F・マーレイ・エイブラハム 、トム・ハルス 、エリザベス・ベリッジ 、ロイ・ドートリス 、サイモン・キャロウ 

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2005年9月25日 (日)

この映画を見て!「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

once 第6回「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

見所:時系列が複雑に入り組んだ脚本、重厚な演出、1930年代のニューヨークのセット、エンニオ・モリコーネの哀愁のある音楽

 この映画を始めてみたのはもう10年前になります。この映画はタイトルも長いですが、上映時間もとても長く4時間近くあります。(でも当初はさらに長く5時間近くあったそうですが。)描かれる世界は20世紀前半のニューヨークのユダヤ系移民のマフィアの世界。ストーリーは貧しいユダヤ系移民の少年たちがマフィアの世界に足を踏み込み、大人になり成功しながらも、破滅へと向かっていく姿を少年時代(1920年代)・青年時代(1930年代)・老年時代(1960年代)と3つの時代に分けて描いています。この映画はシナリオがとても面白く出来ていて、時系列がばらばらに配置されています。最初は青年時代から始まり、次に老年時代、そして少年時代とあちらこちらに時代が飛びながら、主人公たちの姿を追っていきます。最初は時系列がばらばらなので見ている側も少し混乱するのですが、これが実にこの映画がラストに向かうにつれて効果を挙げていきます。またラストも非常に意味ありげな終わりをします。そしてそのラストをどう捉えるかでこの映画の全体の印象が変わります。
先にあげたシナリオ以外にも、この映画は見所が多いです。100億円近い予算をかけた重厚なニューヨーク下町のセット、エンニオ・モリコーネの哀愁のある音楽、ロバートデニーロの哀愁ある演技、映画全体を包むノスタルジックで重厚な演出。(1シーン1シーン美しい構図でとてもゆったりと丁寧に描かれており、それが主人公たちの心情をセリフが少ないながらも如実に表現しています。)
 この映画のテーマは一言で言うと「人生は儚い夢のようなもの」であるということを物語っています。それはラストシーンを見てもらえば良くわかります。友情、裏切り、恋愛、失恋、成功、失敗、生きているといろいろな経験を人はしますが、全ては移ろいゆく儚いもの。この映画は生々しい世界を描きながら、ノスタルジックな雰囲気を漂わせています。それは人生など儚い夢みたいなものであるというこの映画のテーマからきているのだと思います。
 秋の夜長、ぜひ皆さまもご覧ください。皆さんはこの映画のラストをどう解釈されるでしょうか?

製作年度 1984年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 225分 (アメリカでは初公開時にずさんに編集された140分版で公開されて不評でした。日本も初公開時は205分にカットされた短縮版でした。
監督 セルジオ・レオーネ 
製作総指揮 クラウディオ・マンシーニ 
脚本 フランコ・フェリーニ 、レオナルド・ベンヴェヌーチ 、ピエロ・デ・ベルナルディ 、エンリコ・メディオーリ 、フランコ・アルカッリ 、セルジオ・レオーネ 
音楽 エンニオ・モリコーネ(最高です。)
出演 ロバート・デ・ニーロ 、ジェームズ・ウッズ 、エリザベス・マクガヴァン 、ジェニファー・コネリー 、ダーラン・フリューゲル 

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