スタンリー・キューブリック

『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』この映画を見て!

第149回『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』
スタンリー・キューブリック特集7
Drstrangelove  今回紹介する作品は米ソ冷戦下における核戦争の恐怖を鬼才キューブリック監督が徹底的に皮肉ったブラックコメディの傑作『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』です
 私がこの作品を出会ったのはキューブリック作品に熱中していた高校生の時でした。その時は核戦争という重いテーマを扱いながら、これだけ観客を笑わせ考えさせる映画を作れるキューブリック監督にとても尊敬したものでした。

 一人の狂った軍人によるソ連への核攻撃命令。それを何とか食い止めようとする米ソ首脳や軍人たち。しかし、混乱した状況の中で、結局世界の破滅は食い止められず、地球は放射能の灰で包まれるという悲惨なオチで幕を閉じます。
 この作品でキューブリックは情報が遮断された状況で冷静に判断できなくなる人間の脆さや人間が作り出したテクノロジーを人間が制御できなくなる滑稽さをクールに描きます。
その描き方はとてもデフォルメされているにも関わらず、どこか現実的な生々しさがあります。
 どんなに巨大で完璧なシステムを作っても、そのシステムを扱う人間のミスにより、人間に逆に多大なダメージを与えてしまうという悲劇。
 システムが巨大になればなるほど、各部門ごとの動きが分からず、自分は正しいことをしていると思っていたのに実は間違ったことをしてしまっているという恐怖。
 この映画で描かれていることは今現在でも起こりうる悲劇であり恐怖であると思います。 

 またこの作品はセックスを暗示させる映像やエピソードが随所に挿入されています。
 オープニングの空中給油シーンは男女のセックスをイメージさせますし、ラストのコング少佐がまたがる核爆弾はもろペニスを連想させます。
 出てくる登場人部もセックスに強い感心をもっており、ソ連に核攻撃の命令を出した軍人は自分の性欲の衰えがソ連による陰謀が原因だと思い込んでいますし、マッドサイエンティストのDr.ストレンジラブは地下のシェルターを男たちのハーレムにしようと提案します。
 ラストのDr.ストレンジラブ立って「歩けます」と言って終わるシーンの意味が分からないという人もいますが、あのシーンは男として俺はまだまだセックスができるということをアピールしているのです。
 だからタイトルにもあるように博士は心配するのを止めて水爆を愛するようになったのです。
 そのシーンの後に水爆が爆発するシーンが延々と流れますが、それは人類の滅亡を示唆しているだけでなく、戦争によって欲情した男たちの射精を意味しているのです。
 キューブリックはこの作品で男性の性的衝動と戦争の密接な関係を巧みに描いています。

 この作品の大きな見所はストーリーはもちろんのこと、ピーター・セラーズの一人三役の演技とキューブリックのクールな映像と演出です。
 ピーター・セラーズは『ピンク・パンサー』シリーズが有名な俳優ですが、ここでは英国大佐、大統領、マッド・サイエンティストという全くタイプの違う役を一人で見事にこなしています。特にドイツから来たマッド・サイエンティスト・Dr.ストレンジラブの演技は最高に面白いです。
 またキューブリックの演出はドキュメンタリータッチで淡々としているのですが、戦闘シーンはニュース映像を見ているかのような迫力がありますし、国防省作戦室のシーンは独特なセットが印象に残ります。音楽のセンスも素晴らしく、映画のエンディングに甘美な女性の声による「またお会いしましょう」という歌を流すという痛烈さ。さすがキューブリックだなと思える選曲です。

 ここまで完成度の高いブラックコメディの作品はなかなかお目にかかれないと思いますので、ぜひ多くの人に見て欲しいです! 

製作年度 1964年 
製作国・地域 イギリス/アメリカ
上映時間 93分
監督 スタンリー・キューブリック 
原作 ピーター・ジョージ 
脚本 スタンリー・キューブリック 、ピーター・ジョージ 、テリー・サザーン 
音楽 ローリー・ジョンソン 
出演 ピーター・セラーズ 、ジョージ・C・スコット 、スターリング・ヘイドン 、キーナン・ウィン 、スリム・ピケンズ 、ピーター・ブル 、トレイシー・リード 、ジェームズ・アール・ジョーンズ 

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『アイズ・ワイド・シャット』この映画を見て!

第48回『アイズ・ワイド・シャット』 スタンリー・キューブリック特集6
見所「ニューヨークの街を悶々と彷徨うウブで間抜けなトム・クルーズの姿。ラスト、ニコール・キッドマン演じる妻が夫に放つ一言。」
eyes_wide_shut  今回紹介する映画はスタンリー・キューブリック監督の遺作であり、異色作である『アイズ・ワイド・シャット』です。
 この映画は制作開始当時から大変話題になった映画でした。まず寡作で知られるキューブリック監督が11年ぶりに放つ新作であるということ。次にトム・クルーズとニコール・キッドマンという当時実際に夫婦だった2人が映画の中でも夫婦役を演じると言うこと。さらに内容が「性」を扱ったものであるということ。これら話題性に富んだ映画であったにも関わらず、キューブリックの秘密主義もあって、制作中には映画に関する何の情報も提供されませんでした。今まで様々なジャンルの映画を斬新な映像と深いテーマ性を持って制作してきたキューブリックだけに、「今度の映画も過激な性描写があるのでは」とか「性に対してどのような価値観を提示してくるのか」などあれこれと憶測が飛び交ったものでした。そして、始めて予告編が公開されたときは、ニコール・キッドマンとトム・クルーズが鏡の前で裸で抱き合うシーンだけの映像が公開されて巷で大反響を呼びました。この予告編は見た観客に「これは本編はもっと過激なシーンがあるのでは」と想像させる力がある映像でした。公開への期待が高まる中、キューブリック自身が映画完成直後に心臓発作で亡くなってしまい、遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』には多くの映画ファンが注目したものでした。
 しかし実際に映画が公開されると、多くの映画ファンが困惑したものでした。もちろんキューブリックらしい映像美や音楽センスの巧みさは感じられるのですが、他のキューブリック作品に比べてインパクトに欠ける作品でした。私も映画初日にこの映画を見たのですが、見終わった後、「えっ、これだけ」と言った感じで困惑しました。キューブリック監督の映画にしては平凡な出来で、過激な性描写もほとんどなく、ストーリーも退屈なものでした。監督はなぜ今この映画を撮ろうとしたのか、そして観客に何を伝えようとしたのか?、私は見終わった後にとても考え込みました。
 ストーリー:「ニューヨークに暮らす開業医のビルは、美しい妻アリスとなに不自由なく幸せな生活を送っていた。ある夜、知人のパーティーに招待され帰宅した彼は、妻からセックスにまつわる衝撃の告白を受ける。夫は妻の一言に動揺しながら、妻に対して激しい嫉妬と妄想を抱くようになる。そして妻への嫉妬と自らの性的欲望を満たそうと夜の街を彷徨う。そんな彼の前に昔の友人が現れ、秘密結社が開く乱交パーティーの存在を教えてくれる。興味本意から彼は倒錯した性の世界へと足を踏み入れていくが・・・。
 この映画は夫婦の性生活の問題を扱った生々しい作品であり、また現実と虚構の世界が入り乱れる不思議な作品でもあります。
 まず前者の夫婦の性生活に関する部分ですが、この映画は「家庭が大切だ」「もっと夫婦でコミュニケーション(セックス)しよう」という道徳的な価値観を提示します。自分の妻は自分以外の男に興味はないものだろうと思いこみ安心仕切っている夫。それに対して、「自分も女であり、他の男に性欲を感じてしまうときがある」ことを伝える妻。妻の一言にうろたえる夫の間抜けな姿。その姿が結婚した男が妻という女に対して如何に鈍感であり、安心しきっているかが露呈します。動揺した夫は妻に嫉妬して、家庭の外で自分も性欲を満たそうとします。しかし、逆に危険な目に遭い、やっぱり家庭が一番いいと最後は妻の下に戻ってきます。この映画では夫になった男の妻に対する鈍感さに警鐘を促し、女性に男という生き物の幼稚さと脆さを提示します。映画のラストは危機を逃れた夫が妻と和解して、「良い家庭を作っていこう」と妻に対して声をかけるのですが、それに対して妻が痛烈な一言を夫に放ち映画は幕を閉じます。その一言はこの映画のテーマを見事に表現しており、見終わった後、強烈な印象を残すと思います。
 次に後者の現実と虚構の世界に関する部分ですが、この映画は途中どこまでが現実でどこからが虚構か曖昧な展開になります。夫が妻に嫉妬して家を飛び出した夜に参加した秘密パーティー。そこで恐ろしい目に遭うのですが、これは偶然その場にいて起こった出来事なのか、誰かが裏で計画して意図的に起こさせた出来事なのかが曖昧です。見方によっては、これは最初から仕組まれた出来事であり、夫が上流階級の人間たちに弄ばれていただけなのではないかと捉えることも可能です。(ここからネタバレになります)映画の最初に上流階級のパーティに夫婦で行くシーンがあるのですが、そこで妻が「なぜ自分たちが呼ばれるのか」というセリフを言います。それがこの映画の大きな伏線となっていて、あのパーティーに出ていた上流階級の人間たちが秘密結社のメンバーでもあり、中流階級の夫婦を弄ぼうと仕組んだ罠ではなかったのかとも受け取れます。この映画は一度見終わった後に、夫が巻き込まれた事件自体があのパーティーの時から仕組まれていたのではと思って、もう一度見てみると、全く違う印象を持って映画を見ることが出来ます。
 この映画は全体を通して、曖昧さが残る作品です。夫は今まで信じていた妻がどういう人間か分からなくなり、妄想の世界に陥りますし、秘密結社で起きた出来事自体もどこまでが現実でどこからが虚構なのか曖昧です。この映画は曖昧な現実の中で理解しがたい他者と共に生きていくにはどうしたらいいかを示したキューブリックの遺言なのかもしれません。
 
製作年度 1999年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 159分
監督 スタンリー・キューブリック 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 
原作 アルトゥール・シュニッツラー 
脚本 スタンリー・キューブリック 、フレデリック・ラファエル 
音楽 ジョスリン・プーク 
出演 トム・クルーズ 、ニコール・キッドマン 、シドニー・ポラック 、トッド・フィールド 、マリー・リチャードソン 

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『フルメタル・ジャケット』この映画を見て!

第42回『フルメタル・ジャケット』 スタンリー・キューブリック特集5
こんな人にお奨め!「戦争とは何か知りたい人、人間が狂気に陥っていく姿を見たい人」
フルメタル・ジャケット

 今回紹介する映画は戦争の本質を見事に抉りだしたキューブリックの傑作です。最近イラクでのイギリス軍や米軍の兵士によるイラク人への虐待や虐殺が問題となっています。なぜ兵士たちがあのような非人道的な行為をしてしまうのか、この映画はその答えを明解に教えてくれます。
 この映画は全編ドキュメンタリータッチで普通の若者が殺人マシーンの兵士となり、戦場で人を殺すまでを描いてます。キューブリックらしく、映像はどこまでもクールであり、ストーリーも主人公に感情移入をさせない作りになっており、観客は観察者として終始この物語を見ていくことになります。
 ストーリー「アメリカ南カロライナの海兵隊新兵訓練所に入隊したジョーカー、カウボーイ、レナードら若者たち。彼らは鬼教官ハートマンのもとで、毎日地獄のような猛訓練が行われる。しかし、一人落ちこぼれの若者レナードは訓練についていけず、仲間の足手まといになっていた。レナードは教官や仲間にいじめられ、次第に狂っていく。そして卒業前夜に教官をライフルで撃ち殺して自殺してしまう。訓練所を卒業したジョーカーやカウボーイは戦地ベトナムへと向かう。 そしてジョーカーは市街地で地獄のような戦場を目の当たりにすることになる。」
 この映画のストーリーは2部構成となっており、最初の45分間は訓練所の様子を描き、残りの1時間はベトナムでの様子を描いています。1部では若者が兵士となるまでの姿をシニカルに描きます。鬼教官による人間性を剥奪するような卑猥で差別的な罵詈雑言の嵐。聴くに堪えないような言葉の連続に圧倒されます。過酷な訓練と規律、言葉の暴力から、次第に殺人マシーンの兵士へと変わっていく若者たちの姿は見ていてぞっとします。2部では殺人マシーンと化した兵士たちの戦場での姿を描いていきます。特に印象的なのが廃墟の中で闘うシーンです。次々と倒れる仲間たちの姿、見えない敵への恐怖、そして思いがけない敵の正体。このシーンは戦争の狂気と虚しさが見事に表現されています。
 映画のラストは兵士たちが戦場を歩くシーンにミッキーマウスマーチが流れてくるのですが、戦争の狂気を見事に表現しています。
 この映画はベトナム戦争を扱っていますが、極めて普遍的なテーマを扱った映画であり、戦争と人間の狂気というものを見事に抉りだしています。キューブリック監督はどの映画でも狂気というテーマを扱っています。監督は常に人間の狂気がもつ力や恐怖、虚しさを映画のテーマとして取り上げます。この映画でも戦争という狂気に巻き込まれた人間の狂気の虚しさや愚かさを皮肉たっぷりに描いています。しかし私はこの映画を見て、キューブリック監督は人間の狂気に対してもはやどこか諦観しているのではないかと思ったりもしました。そして、監督は人間の狂気を滑稽で愚かな人間らしさの一つとして捉え、狂っていく人間にどこか愛おしさを感じていたのではないかとすら思います。
 『フルメタル・ジャケット』はとても優れた戦争映画であり、人間の狂気という本質を描いた映画でもあります。ぜひ皆さんも見てください!

製作年度 1987年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 116分
監督 スタンリー・キューブリック 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 
原作 グスタフ・ハスフォード 
脚本 スタンリー・キューブリック 、マイケル・ハー 、グスタフ・ハスフォード 
音楽 アビゲイル・ミード 
出演 マシュー・モディーン 、アダム・ボールドウィン 、ヴィンセント・ドノフリオ 、R・リー・アーメイ 、ドリアン・ヘアウッド 

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『シャイニング』この映画を見て!

第41回『シャイニング』 スタンリー・キューブリック特集4
お奨めの人!「本当に怖い映画が見たい人!」
シャイニング 特別版 コンチネンタル・バージョン 今回紹介する映画はキューブリック監督が手がけたホラー映画『シャイニング』です。この映画はただ怖いだけでなく、とても芸術的美しさに満ちたホラー映画です。
 私はキューブリック監督の映画の中でこの作品が一番のお気に入りです。わっと驚かすようなこけおどしな恐怖でなく、ホテルのデザインやカメラワークなど映像そのもので観客に不安感や恐怖感を煽り立てようとする演出。狂気とアイロニーに満ちたストーリー。観客の不安感を増大させる現代音楽。この映画はキューブリック作品の中でも比較的見やすく、それでいてキューブリック監督の魅力が存分に発揮されている映画です。
 この映画の一番の見所は映像です。映像は全体的にブルーがかっていて、とても冷たい印象を与えます。オープニングは空撮シーンから始まるのですが、主人公が乗った車をひたすら後ろからカメラで追いかける撮り方はとても不気味です。このオープニングはこれから始まる物語を予兆してとても見事です。またホテルの美術もシンメトリーな構図や赤を多用した独特の色遣いなど生理的に落ち着かないデザインになっていて、観客に不気味な印象を与えてくれます。私はホテルの絨毯の模様が見ていて、とても気持ち悪くなったのを覚えています。またホテルの廊下を三輪車で走り回るシーンも不気味です。後ろからじっと見つめられているようなローアングルのカメラアイ。誰かに常に見られているこの感覚は怖いです。このシーンのためにキューブリック監督は新開発のステディカムという方式を使い撮影したそうです。
 また効果音や音楽の使い方もとても効果的です。人の神経を逆なでするような現代音楽の起用は、映像の不気味さをさらに増大させます。また心臓の鼓動の効果音は物語の緊張感を高めますし、広いホールに響くタイプライターの音は主人公たちの孤独を見事に表現しています。
 もちろん、この映画はホラー映画だけあって怖いシーンもたくさんあります。惨殺された双児の少女の亡霊、エレベーターからあふれ出る血の洪水、お風呂場の幽霊など見ていて背筋がぞっとする映像です。しかし、一番怖いシーンは主人公ジャックがタイプライターでひたすら打っていた文章を妻が見つけるシーンです。このシーンは書かれた文章の内容もあって、見る者を凍りつかせます。どのような文章かはぜひ映画を見て確認してください。
ストーリー:「作家のジャックは家族と共に雪に閉ざされたロッキー山上の大ホテルに管理人としてやって来た。しかしそのホテルには、前任者が家族を殺し、自殺するという呪われた過去があった。ジャックの一人息子ダニーは超能力をもっており、過去や未来を見通す力があった。彼はホテルの邪悪な力に気づき、自分たち家族の未来に恐怖が襲いかかることを感じていた。そして始まるジャックとその妻ウェンディ、ダニー3人だけのホテルでの生活。彼らの生活はホテルがもつ邪悪な力によって徐々に蝕まれていく。ダニーの前に現れる幽霊たち。ウェンディはホテルに他の誰かが潜んでいるのではと次第に脅え始め、ジャックはホテルの力によって次第に狂い始めていく。」 
 原作は『グリーンマイル』や『キャリー』の原作も手がけたアメリカホラー小説界の巨匠スティーヴン・キング。彼はキューブリックが監督した『シャイニング』の仕上がりにとても不満をもっており、自分でテレビドラマとしてリメイクしたほどです。なぜキングが映画の出来に不満を持ったのかというと、キングが小説で大切にしていた部分を見事にカットしてしまったからです。原作は家族の微妙な人間関係や登場人物の心理の描写に焦点を置いて、話しが進んでいきます。読者は単なるホラー小説としてだけでなく、人間ドラマとしてもとても読み応えのある内容となっています。ラストは映画とは全く違い、家族とホテルとの対決が描かれます。ラストは怖いシーンの連続でもありますが、家族愛などもしっかり描かれており感動的ですらあります。
 それに対して映画は家族の人間関係や心理描写などはあまり描かれずに、ひたすらホテルによって狂わされていく家族の様子が描かれていきます。映画では家族よりもホテルそのものに焦点が当たっています。監督はホテルに来た家族の関係や心理描写よりも邪悪な力に満ちたホテルそのものを描いてます。登場人物たちはホテルに振り回される受け身な存在でしかありません。ここら辺が原作者のキングが気に入らなかった大きな理由だと思います。
 映画のラストは原作のラストに比べると曖昧な終わり方をしていますが、映画の方が不気味な余韻を残します。このラストシーンは時間が永遠に止まったままのホテルの魅力に取り憑かれた男の話しだったとも受け取れます。私はこの映画のラストはホテルとジャックにとってはある意味ハッピーエンドだったのかなと思っています。
 この映画の特徴として、怪奇現象が本当に起こったことなのか、登場人物たちの妄想なのか曖昧に描いているところがあります。この映画の怪奇現象は捉えようによっては、主人公たちの妄想の産物とも受け取ることができます。閉鎖的なホテルの中で次第に狂っていく人間たちの姿を描いたドラマとしても見ることが出来ます。
 また、もう一つの特徴として、この映画は恐怖と笑いを紙一重に捉えています。狂っていくジャックの姿は怖いと同時にどこか滑稽です。ジャックが斧を持って、ウェンディとダニーの逃げ込んだ洗面所を襲うシーンはとても怖いシーンにもかかわらず、その姿はどこかユーモア漂ってます。またラストにウェンディがホテルの中で出会う幽霊たちもどこかユーモアがあり、まるでウェンディをからかってるみたいです。極め付きはジャックの死に様。何回見ても間抜けで笑ってしまいます。キューブリックは恐怖と笑いの紙一重をよく分かった上でこの映画を作ったのだと思います。
 役者の演技もこの映画は最高です。ジャックを演じたジャック・ニコルソンの演技はすこし過剰すぎる所がありますが、狂っていく様子を本当に狂気迫る演技で見せてくれます。そしてウェンディと役のシェリー・デュヴァル。はっきり言って、彼女の表情は幽霊並みに怖いです。彼女の神経質でヒステリックな演技は、ジャックがウェンディにいらいらしてしまうのを納得させるリアリティがあります。。
 映画『シャイニング』はとても不気味で、恐ろしく、それでいて芸術的な価値をもった作品です。またキューブリックの作品の中で一番取っ付きやすい作品でもあります。始めてキューブリックの作品を見る人は、この映画から見ることをお奨めします。冬の寒い夜、皆さんもシャイニングを一度見てみてください。より冬の寒さが身にしみると思います。
 最後に一言。この映画はアメリカ公開版と海外公開版と二つのヴァージョンが存在します。アメリカ公開版の方が20分長く、ホテルでの家族の様子が詳細に描かれています。現在DVDで入手できるのは海外版のほうで、アメリカ公開版は絶版となっています。アメリカ公開版が見たい人はレンタルビデオ屋に行くと置いてあるかもしれません。

製作年度 1980年
製作国・地域 イギリス
上映時間 119分 (米国公開版141分)
監督 スタンリー・キューブリック 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 
原作 スティーヴン・キング 
脚本 スタンリー・キューブリック 、ダイアン・ジョンソン 
音楽 ウェンディ・カーロス 、ベラ・バートック 
出演 ジャック・ニコルソン 、シェリー・デュヴァル 、ダニー・ロイド 、スキャットマン・クローザース 、バリー・ネルソン 

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『バリーリンドン』この映画を見て!

第40回『バリー・リンドン』 スタンリー・キューブリック特集3
こんな人にお奨め!「18世紀ヨーロッパに興味のある人、コスチューム劇が好きな人、人生とは何か考えている人」
バリー リンドン

 今回紹介する映画は鬼才キューブリック監督が作った歴史映画『バリー・リンドン』です。この映画はキューブリックの作品の中では知名度は低いですが、隠れた名作です。日本を代表する黒澤明監督がこの映画を見て大変感激して、キューブリックに賞賛の手紙を書いたほどです。
 『バリー・リンドン』はもともとキューブリック監督が長年構想していたナポレオンを題材にした映画を撮ろうと準備していた矢先に制作中止となり、代わりに制作された映画です。
 この映画の一番の見所は徹底した18世紀ヨーロッパの再現です。文化、衣装、生活様式の細部に至るまで全てが緻密に再現されており、観客を18世紀にタイムスリップさせます。特に当時の室内の自然な光を再現にはこだわっており、蝋燭の光だけで撮影できるカメラレンズを開発したそうです。映像の美しさはまるで動く絵画を見ているかのようです。
 私がこの映画を始めて見たのは大学の時でしたが、その時はもうひとつピンときませんでした。映像の美しさにはため息が出ましたが、ストーリーは淡々と進んで、淡々と終わっていくのでもう一つストーリーに入り込んでいけませんでした。また主人公も他のキューブリック映画のように強烈な印象や魅力がありませんでした。この映画は私には合わないかなと思っていたのですが、最近DVDを買って見直すと昔見た時には気づかなかったこの映画の魅力に気づき、とてもはまってしまいました。
 ストーリー:「18世紀のアイルランド。バリーは貧しい農民の母子家庭に生まれた。ある日、恋愛のいざこざで決闘することになるが、何とか相手を射殺して逃げることができる。しかし逃げる途中にイギリス軍隊に入隊する。しかし、戦争に嫌気のさしたバリーはイギリス軍から逃亡するが、プロセイン軍に捕まってしまい、プロセイン軍のスパイをさせられることになる。しかし、スパイする
シュバリエがアイルランド人だったこともあり、バリーは彼の側につき、彼と共にヨーロッパ中でイカサマ賭博師として大儲けする。そんな中ベルギーの宮殿で名門リンドン家の夫人と出会い、彼女の心を射止めて、結婚することになる。そして莫大な冨と名声を得たバリーだったが、そこから彼の人生は大きく転落していくことになる。」
 この映画のストーリーは2部構成になっており、第1部はバリーが結婚して名声を得るまで、第2部はバリーが没落していくまでを描きます。この映画は他の映画と大きく違ってナレーションがバリーにこれから起こることを先に伝えます。観客はこの後、バリーの身に何が起こるのかをあらかじめ知った上で見てきます。
 それはキューブリック監督が観客に主人公へ感情移入させず、主人公を見つめる観察者として見るように仕向けているように思えます。この映画は主人公に感情移入する映画でなく、主人公の人生を覗き見する映画です。
 またこの映画の主人公は他の映画と違って魅力がありません。はっきり言って、とても嫌な奴です。明確な意志を持って人生を切り開いていくのでなく、ずる賢く日和見主義的に振る舞って人生をやり過ごしていくので、見ていてとても共感しにくいです。しかし考えてみたら、あの当時に現実的に農民が貴族まで上りつめようとしたら、バリーのごとく振る舞うしかないのだろうなとも思います。
 さらにこの映画はバリーの視点を通して戦争の愚かさ・虚しさや貴族の堕落した姿を痛烈に批判しています。横一列に並び銃を構えて敵に向かってゆっくり歩いていき、撃たれて死んでいく兵士たち。形式ばった戦争で無意味に死んでいく兵士たちの姿は戦争の本質を抉りだしています。また貴族の称号を得るために貴族のスタイルや生活習慣を身につけようとするバリーの姿はどこか虚しいです。この映画は貴族社会の習慣や風習をじっくりと描く中で、貴族社会の差別性、形式主義に対する痛烈な皮肉を訴えかけます。
 この映画は見終わった後、人生の栄枯盛衰や無常観を強く感じます。ラストシーンに出てくる「美しき者も、醜いものも今はあの世」という文章は、この映画のテーマを見事に語っていると思います。バリーはあまり共感できる主人公ではないのですが、見終わった後はなぜかバリーにとても悲哀を感じて共感しまいます。それはバリーの人生の栄枯盛衰に人生の無常観を感じてしまうからかもしれません。
 この映画は隠れた名作です。3時間以上の大作ですが、見終わった後に人生とは何か考えさせられると思いますよ。ぜひ見てみてください!

製作年度 1975年
製作国・地域 イギリス
上映時間 186分
監督 スタンリー・キューブリック 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 
原作 ウィリアム・メイクピース・サッカレー 
脚本 スタンリー・キューブリック 
音楽 レナード・ローゼンマン 
出演 ライアン・オニール 、マリサ・ベレンソン 、パトリック・マギー 、スティーヴン・バーコフ 、マーレイ・メルヴィン 

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『時計じかけのオレンジ』この映画を見て!

第39回『時計じかけのオレンジ』 スタンリー・キューブリック特集2
お奨めする人!「人間の暴力について考えてみたい人、クールでポップな映画が見たい人、パンクな映画が見たい人」
時計じかけのオレンジ

 今回紹介する映画はキューブリック映画で一番カルト的人気のある作品『時計じかけのオレンジ』です。この映画は近未来の若者の姿を通して人間の暴力性をテーマにした映画です。公開当時はポップでアナーキーな映像、シニカルなストーリーが絶賛されたものの、過激な暴力シーンから上映禁止になる国もあったほどでした。
 私がこの映画を最初に見たのは10年くらい前ですが、過激だと言われた暴力シーンは私は思ったほどではありませんでした。確かに冷酷残酷なシーンが多々ありますが、とても客観的に冷めた視点で撮られているので、見ている自分も暴力に陶酔するということはありませんでした。むしろ、ここ最近のハリウッド映画の暴力シーンの方が、見ている側を陶酔させるような描き方をして問題だと思います。暴力シーンはさておいて、映画自体はとても魅力的なもので、一気にはまってしまいました。ポップで大胆な芸術的映像、クラッシック音楽の大胆な使い方、シニカルなストーリーはさすがキューブリックと言えるものでしたし、人間の暴力性というテーマも考えさせられるものがありました。
 ストーリー:「 共産主義国になった近未来のイギリス。麻薬、暴力、盗み、暴行など、悪の限りを尽くす不良グループが存在した。リーダー格のアレックスは暴力とベートベンが好きな15歳。彼は超暴力の構想を日々練っていた。彼の暴力は日に日に過激になり、遂にある盗みの最中に仲間の裏切りで捕まった。その服役中に、悪人を善人に変える「ルドビコ式心理療法」の試験台となり、暴力を嫌悪する無抵抗な人間となって釈放される。しかし、そんな彼を待っていたのは、かつて自分が暴力の対象にしていた者たちからのすさまじい報復だった。
 この映画は全編さまざまな暴力を取り上げ、人間の中に潜む暴力性について考察していきます。前半は個人が個人に犯す暴力を取り上げ、人間が本能的にもつ暴力への衝動や誘惑について考察していきます。普段は道徳や倫理というオブラートで包み隠されている人間の暴力性というものを鋭く描いています。暴力はダメだという理性の下にある暴力への激しい衝動と誘惑。映画の主人公はたまたま暴力はダメだという理性を持ち合わせていなかっただけにすぎないのではないのかと激しく観客を挑発します。
 後半は国家権力が個人に犯す暴力を取り上げます。暴力を否定するために暴力を使う国家権力のおぞましさ。文明の下で行われる野蛮な行為。そこには正義や平和のために戦争をしてもよいという現代の文明化された野蛮な国々に対する痛烈な皮肉が込められています。また国家権力は社会の秩序維持の為にどこまで個人の人間性に介入することが許されているのかという倫理的な問題を観客に提起します。この問題提起はテロや犯罪の頻発する中、国家による個人への統制管理が進んでいる現代の方がむしろ論議されるべきことかもしれません。
 映画のラストは賛否両論分かれると思います。嫌悪感を抱く人もいるかもしれません。しかし、この映画のラストはとてもシニカルな形で個人の尊厳について訴えかけています。
 さて、この映画はストーリーだけでなく映像・音楽でも見るべきところは多いです。特に映像は今見てもとても斬新でユニークです。また映画に出てくる衣装や美術はどれも印象的です。山高帽に白のツナギに黒のブーツとステッキ。ミルクバーの猥褻な美術、広々としたレコードショップ、性器の形をした置物、ポップなデザインの建築物とその内装や家具。どれも強烈なインパクトがあります。また音楽の使い方も巧みで、暴力シーンにそぐわないような音楽を選曲して、映像のインパクトをさらに強烈にしています。
 この映画は見た目の過激さだけでなく、とても奥深いテーマを内包した作品であり、何回見ても考えさせられる作品であります。一見反社会的な内容でありながら、そこで語られるのは個人の人間性の尊厳と極めてまじめなテーマです。ぜひ、みなさんも一度この作品を見てみてください!

製作年度 1971年
製作国・地域 イギリス
上映時間 137分
監督 スタンリー・キューブリック
原作 アンソニー・バージェス 
脚本 スタンリー・キューブリック 
音楽 ウォルター・カーロス 
出演 マルコム・マクダウェル 、パトリック・マギー 、エイドリアン・コリ 、オーブリー・スミス 、マイケル・ベイツ 

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『2001年宇宙の旅』この映画を見て!

第38回『2001年宇宙の旅』 スタンリー・キューブリック特集1
こんな人にお奨め!「名作と呼ばれる映画を見たい人、SF映画大好きな人、人類の進化について考えたい人」
2001 今回はSF映画の金字塔とも言える『2001年宇宙の旅』を紹介します。
この映画は1968年に公開された映画ですが、今見ても、全然古くささをを感じさせません。ため息の出るほど美しい映像、クラッシック音楽の大胆で巧みな使い方、宇宙の広大さと静けさを表現した音響効果の素晴らしさ、人類の進化を扱った奥の深いストーリー、映像に隠された様々な暗喩。この映画は何度見ても新たなる発見のある映画です。
 私がこの映画を最初に見たのは高校の時でした。雑誌などの映画史に残る映画ベスト10に必ず登場する『2001年宇宙の旅』に、私は一体どんなSF映画なのかと期待が膨らんでいたものでした。しかし、LDを購入して家で見たところ、いきなり猿が争うシーンが延々と続き戸惑いました。その後、宇宙ステーションや月面のシーンを見ても、映像のリアルさ・美しさに感動したものの、淡々と進むストーリーに正直退屈したものでした。HALという人工知能コンピューターが出て、人間に反乱をする場面は手に汗握ったものの、ラストのスターゲート突入から一気に話しについていけなくなりました。この映画は私のSF映画への概念を見事に崩してくれました。私はSF映画というと思い浮かべるのは『エイリアン』や『スターウォーズ』でした。だから『2001年宇宙の旅』も宇宙を舞台に手に汗握る活劇が展開されると勝手に勘違いしてました。この映画を見て、映画は総合芸術だということを私は始めて認識しました。
 ストーリー:「400万年前の人類の夜明け。人類はまだ他の動物と大差ない生活を送っていた。そんな人類の前に現れる黒石板モノリス。人類はモノリスと接触することで道具を使えることを発見する。そして2001年。月面で黒石板モノリスが発見される。なぜモノリスは人類の前に再び現れたのか?この物体の謎を解明するため、5人の科学者を乗せた宇宙船ディスカバリー号が木星に旅立つ。しかし、宇宙船ディスカバリー号に搭載されていた人工知能コンピュターHALが人類に対して反乱を起こしてしまう。HALの反乱で4人死に、ボーマン船長一人が生き残る。なぜHALは反乱を起こしたのか、そしてモノリスはなぜ人類の前に現れたのか、謎を抱えたままディスカバリー号は木星に到着する。そこで ボーマン船長が体験したこととは・・・・。
 この映画はセリフが極端に少なく、140分の上映時間中で40分くらいしかありません。その為にストーリーの全体像を1回見ただけで把握するのはとても困難です。この映画はセリフでなく映像そのものに深い意味が込められています。観客は映像からこの映画のストーリーやテーマ性を解釈していかないといけません。そう言う意味ではこの映画は観客の想像力をとても刺激する映画であります。
 この映画はアーサー・C・クラーク が書いた原作本もあるのですが、そちらは映画でよく分からなかった部分もとても丁寧に解説されおります。原作は映画と違い作者の意図やメッセージが明確に記されており、とても分かりやく面白い小説に仕上がっています。もし映画を見て、ストーリーがもう一つ分からなかった方や映画では説明されなかった謎に対する詳細な理由が知りたい人はぜひ原作を読むことをお奨めします!
 私はこの映画を人類の進化と暴力について考察した作品だと思っています。人間は暴力によって常に争い、強者が弱者を支配して文明を進化させてきた過程をこの映画は描いています。映画の冒頭の人類の祖先が道具を使い動物を殺し、仲間と争い始める場面は人間の進化と暴力の関係を見事に描いてます。映画後半で展開されるHALの反乱とそれに対して人間がHALのスイッチを切る場面もとても暴力的です。人類の地球の支配者としての存在を脅かす新たなる支配者に対して争う姿を象徴的に描いています。この映画は人間(それも男性)が暴力によって地球の支配権を獲得していった過程を描いた作品であります。
 ラストはとても抽象的で一度見ただけでは、何が起こっているのか掴みにくいと思います。原作ではラストに関しても詳細に何が起こっているのか説明しているのですが、映画では全く説明されていません。映画のラストのスターゲート突入からスターチャイルド誕生までのシーンは人間と宇宙に存在する高度知的生命体との接触を描いています。そして、高度知的生命体はHALとの争いで勝ったボーマン船長を新たなる生命体として進化させます。それが映画のラストのスターチャイルドです。
 さて、この映画の見所は奥の深いストーリーだけではありません。映像・音楽・音響、どれも全てが考え抜かれており、この映画のテーマを見事に語っています。特に各場面の映像にはさまざなな意味が込められており、観客はこの映像は何を象徴しているのか考えながら見ていくことが出来ます。例えば、人類の祖先が投げた骨が、次のカットで宇宙船のショットへとつながり、それがさらに宇宙船内を浮かぶペンのショットへとつながる一連のシーンなどは文明の進化を見事に表したシーンだと思います。
 また音響も巧みです。映画の後半の宇宙船内で息づかいだけが聞こえてくるシーンは、緊張感と主人公の孤独と閉塞感が見事に表現されています。
 さらに映像と音楽のシンクロも最高で、クラッシック音楽と近未来の宇宙の映像が見事なくらいマッチしてます。最初はこの映画のために音楽が作られていたのですが、監督がそれを全部却下して、今のクラッシック音楽に変えたそうです。この選択はとても大成功だったと思います。映画の冒頭、「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れる中、惑星が一直線に並ぶシーンなんて鳥肌が立ちます。
 この映画はとても30年以上前に作られた映画だとは思えないほど、今見ても素晴らしい作品です。現実の2001年は残念ながら映画で描かれる2001年ほど宇宙に人類は進出できませんでした。しかし、この映画はとてもリアルに人間の宇宙進出を描いてます。30年以上前のCGもない時代にこれほどの完成度の映像を作ったとは驚くべきものです。映画は決して技術だけではなく、監督のセンスや美意識が大切なことがよく分かります。
 ぜひ皆さんも映画史に残る名作『2001年宇宙の旅』をご覧になってください!

製作年度 1968年
製作国・地域 アメリカ/イギリス
上映時間 139分
監督 スタンリー・キューブリック 
原作 アーサー・C・クラーク 
脚本 スタンリー・キューブリック 、アーサー・C・クラーク 
出演 ケア・デュリア 、ゲイリー・ロックウッド 、ウィリアム・シルヴェスター 、ダニエル・リクター 、レナード・ロシター 

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「スタンリー・キューブリック」私の愛する映画監督3

第3回「スタンリー・キューブリック」
kubrick_head2 皆さん、スタンリー・キューブリックという映画監督をご存じでしょうか?彼が監督した映画はどれも芸術作品であり、映画史に残る名作であります。また彼の映画は常に革命的な映像表現と卓越した音楽センスで、後の多くの映画人に影響を与えています。
 私がキューブリック監督に出会ったのは高校生の時でした。その頃は映画ファンの間で名作と言われる作品を片っ端から見えていた時期でした。そして私が読んでいた映画の解説本で、SF映画の代表として『2001年宇宙の旅』が高く評価されていました。私は小さいときからSF大好きな人間だったので、SF映画の代表作と呼ばれるくらいなら一度は見ておかないということで、LDで購入しました。家の小さなテレビでの鑑賞だったのですが、私の予想を遙かに超えた作品でした。『スターウォーズ』や『未知との遭遇』などが好きだったので、この作品も宇宙を舞台にした娯楽映画だと勘違いしてました。それがいきなり猿のシーンが延々と続きなんだこの映画はと驚いたものです。そしてこの映画はただ者でないと気づき、姿勢を正して見入りました。宇宙船の映像美、クラッシック音楽の大胆な使い方、難解なストーリーに見終わった後は圧倒されてしまいました。この映画を作った人は天才に違いないと確信した私は、その後キューブリック監督の映画を片っ端から買い集め、鑑賞していきました。大学生の頃にはキューブリック信者になっており、月に一度は彼の映画を見ないと気がすまいようになってました。
 彼の映画には他の映画にはない幾つかの特徴があります。その特徴が彼の映画の魅力であり、名作と呼ばれる所以だとも思います。

①圧倒的な映像美
 彼はもともと写真家だったこともあって、映像にはとてもこだわっています。彼の映画はどのシーンも、絵画か芸術写真のように美しいです。効果的な照明の使い方、完璧な画面の構図、映画美術に対するこだわりなど、自分がイメージする映像を完成させるためへの追求心は半端ではありません。彼はいいショットが撮れるまで同じシーンを何回も撮り直したそうです。『アイズ ワイド シャット』でトム・クルーズは50回以上同じシーンを撮り直したそうです。また彼は毎回作品のテーマや雰囲気にあった映像を生み出すために新しい撮影技術も積極的に取り入れています。『バリー・リンドン』では蝋燭の光だけで撮影できるようにレンズを開発し、『シャイニング』ではステディカムという装置を使い、スムーズな移動撮影を行っています。言葉で説明するのは難しいですが、彼の映像美は一見の価値があります。
②シンメトリーな構図の空間
 彼の映画を私が見るときにいつも注目するのがシンメトリーな構図の空間設計です。シンメトリーな構図とは左右対称な構図のことをいうのですが、彼の映画はシンメトリーな構図のシーンが多いです。シンメトリーな構図は整然とした秩序ある美しさを感じる反面、どこか居心地の悪さを感じてしまいます。だから彼の映画で左右対称な構図の空間が出てくると、気になると同時にとても生理的違和感を覚えるんですよね。
③卓越した音楽センス
 彼の音楽の使い方はとても巧みです。どの作品においても、映画のテーマや映像の魅力をさらに引き立たせる音楽の使い方がされています。彼は時として普通の人なら考えもしないような選曲をします。このシーンにこの音楽をもってくるのかと観客を驚かせます。特に『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』のクラッシック音楽の使い方は巧みでした。近未来宇宙の映像と古典的なクラッシックの融合、バイオレンス映像とベートーヴェンの融合などは新たなるクラッシック音楽の可能性を切り開いたと思います。また映画で歌が挿入されることが多いのですが、アイロニカルな使い方をしています。映像のもつ意味と相反する歌を流すことで、そのシーンが持つ意味を引き立たせています。彼の映画において音楽とは映像の従属物ではなく、映像の可能性を切り開くための大切な役割を担っています。   
④主人公への冷めた視点
 彼の映画はどの作品も主人公に感情移入できないような作りになっています。観客は神のような視点で客観的に主人公の姿を捉えて判断することを要請されます。彼は主人公の行動は描いても感情というものはあまり描きません。彼は常に観察者として主人公を見つめて追っています。彼は一人の人間の感情や人生を追う作家ではなく、彼は“ある人間”をサンプルとして取り上げ、人間とはどういう存在かをより大きな視点で捉えようとします。彼は普遍的人間性を追求した作家だと思います。
⑤深いテーマ性
 彼の映画はどれもジャンルが違います。戦争映画、SF映画、ホラー映画、歴史映画といろいろなジャンルの映画を監督しています。しかし、どの映画も共通したテーマがあります。それは「人間と暴力」、「人間と狂気」というテーマです。(『アイズ ワイド シャット』は少しテーマが違っていましたが) 彼の映画はどれも暴力に満ちています。戦争という暴力はもちろんのこと、人間が本質的に持っている暴力性というものを、どの映画でも追求しています。 また人間がもつ狂気というものにもとても興味があるようで、主人公である人間が狂っていく様子をいつも淡々と描いています。彼にとって人間とは暴力的存在であり、狂った存在であると映っていたのでしょうか。

 彼の映画は他の映画には魅力があります。そしてその魅力に一度はまってしまうと、何度でも彼の映画を見たくなります。彼が『アイズ ワイド シャット』撮影後に亡くなったのが残念です。
 是非、みなさんも一度ご覧ください。また「この映画を見て!」でも彼の各映画について取り上げていこうと思っているので、お楽しみに!

*スタンリー・キューブリック監督作品
1955年 非常の罠 
1956年 現金に体を張れ 
1957年 突撃  
1960年 スパルタカス 
1962年 ロリータ  
1964年 博士の異常な愛情  
1968年 2001年宇宙の旅   
1971年 時計じかけのオレンジ   
1975年 バリー・リンドン  
1980年 シャイニング 
1987年 フルメタル・ジャケット  
1999年 アイズ ワイド シャット 

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「A.I.」この映画を見て!

ai 第5回「A.I.」

見所:ジャンクフェアー、水没したニューヨーク、何ともいえないラスト

最初に言っておくと、この映画は失敗作です。しかしこの映画は退屈だとか、面白くないとか言っている訳ではありません。むしろ見所の多い映画です。
この映画の監督はスティーブン・スピルバーグ。常に話題作を提供している監督ですが、この映画も公開当時話題にもなり、賛否両論分かれた映画でもありました。(興行的には日本では成功し、アメリカでは失敗しました。)
ちなみにこの映画は本来スピルバーグではなく、スタンリー・キューブリックという監督が撮る予定でした。キューブリックは映画ファンの間では有名な監督で、代表作に「2001年宇宙の旅」や「アイズ・ワイド・シャット」などがあります。キューブリックはテーマや映像にもこだわり、何年もかけて1本の映画を撮っていく監督で、AIは彼が20年くらい前から映画化を企画していました。しかし、彼が亡くなり、キューブリックと親交があったスピルバーグが監督することになりました。
キューブリックの映画はスピルバーグの映画とはだいぶ方向性が違います。キューブリックは美しくも冷めた映像で客観的に物語を進行していきます。スピルバーグはどちらかというと観客も映画の中に巻き込んで主観的に話を進めていきます。作風の違いがある中、スピルバーグがキューブリックの企画した映画をどう撮るか、私はスピルバーグもキューブリックも好きなので、この二人の監督がコラボレーションした「A.I.」を楽しみかつ心配したものです。脚本も途中までキューブリックが作っていたストーリーボードを参考に、スピルバーグが作ったのですが、二人の作風のちぐはぐさが悪い方向に出てしまってます。

『この映画のストーリーは三部に分かれています。第一部は地球のほとんどが温暖化により水没した未来。人口増加防止のために出産制限がかけられている中、ロボットが労働力として位置づけられている社会。ある夫婦の子どもが難病にかかり、意識が戻らないままとなってしまう。その夫婦にロボット会社から愛情をインプットされた子ども型のロボットが送られる。戸惑いながらもそのロボットを自分の子どものように扱う母親。子ども型ロボット「デイビット」はAIにインプットされた愛情からか、母親の関心を引こうとする。しかし意識不明だった子どもが意識を取り戻し、家に戻ってきたときから、デイビットにとっての不幸が始まる。子どもにロボットのように扱われ、母親も子どものほうに関心が向く中、デイビットは母親の関心を引こうとする。自分が人間でないから愛されないと思うデイビットはピノキオの本を読み、青い妖精に出会えば自分も人間になれるのではという希望を持つようになる。しかし、思わぬ事故から、デイビット家族に危険を及ぼすものとされ、森に捨てられてしまう。
第二部では捨てられたデイビットが、森の中をさまよう中、青い妖精を探そうとする。しかしいらなくなったロボットを破壊するショー「ジャンクフェアー」に巻き込まれ、危うく破壊されかける。しかし何とか逃げだし、仲良くなったセックスロボット「ジゴロ・ジョー」と共に青い妖精を探して、旅をする。そして水没したニューヨークに青い妖精がいるという情報を手に入れ、ニューヨークに行くが、そこでデイビットを迎えたものは・・・。
第三部は希望が絶望へと変わり、奇跡を待ち続けたデイビットに起こるほんのわずかな奇跡が訪れる姿が描かれます。』

この映画を最初に見たときは、救いのあるようで、実は救いのないラストに何とも後味の悪い映画だなと思ったものです。またSF映画としては未来設定のつめも甘く、世界観が伝わってこないので、つまりませんでした。

この映画の一番の不満は脚本です。主人公にも共感できるようで共感できかったり、スピルバーグのマザコンぶりが全開で、いまいちのりきれなかったり、スピルバーグのヒューマニズムとキューブリックのシニシズムとのせめぎ合いで話の展開もちぐはぐだったりと粗が目立ちます。

キューブリックはこの映画を愛情を持ったA.I.型ロボットという視点から、人間の存在とは、愛という感情とは何か?をクールな視点で問いかけようとしたのだと思うのですが、スピルバーグは母親に愛されない子どもの不幸話にまとめているんですよね。しかもラストシーン、映画前半が人間の冷たさを描きながら、突如人間を褒め称えるセリフが出てきたり、ナレーターが過剰に主人公の心情を語り興醒めになってしまうんですよね。

この映画はSF映画として見ると失敗作です。しかし未来を舞台にしたピノキオの映画としてみると、けっこう面白い作品です。主人公のロボットはピノキオそのものです。まあ映画の中にはピノキオへのオマージュに満ちています。もろピノキオのパクリみたいなところもありますが・・。

そしてこの映画が問うている人間とは何か、愛とは何かいう主題(上手く映画では伝えきれていませんが)は私たちに重い問いかけを残します。

最後にシナリオはいまいちですが演出においてはさすがスピルバーグ上手いです。音楽・カメラは美しいですし、見せ場もたくさんあります。また全体的には抑えた語り口ですが、第二部の「ジャンクフェア」はここだけ違う映画を見ているかのようです。人間がロボットを破壊して満足するというえげつないシーンですが、ロボットの破壊ショーを過激にスピルバーグは演出しており、子どもが見たらトラウマになるような映像です。このシーンは単なる破壊ショーというシーンを越えて、人間の中にある差別意識や残酷さを鋭く描いています。また水没したニューヨークのシーンはなかなかの見応えです。

製作年度 2001年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 146分
監督 スティーヴン・スピルバーグ 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 、ウォルター・F・パークス 
原作 ブライアン・オールディス 
脚本 イアン・ワトソン 、スティーヴン・スピルバーグ 
音楽 ジョン・ウィリアムズ 
出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント(ロボット役ということで瞬きをあるシーンを除いてしてないです。) 、フランシス・オコナー 、ジュード・ロウ(この人の演技が一番面白かったです。) 、サム・ロバーズ 、ブレンダン・グリーソン 

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