2008年5月25日 (日)

嫉妬するということ

人間という生き物は嫉妬をする癖があります。

人間は今の自分が欲しいものを手に入れている他者に対して嫉妬します。

人間は自分と同じ境遇や立場の人間が自分と同じであることに安心を求めます。

それゆえに自分と良く似た境遇や立場の人間が手に入れている場合は「何で私ではなくあいつが・・・。」と妬み、嫉みます。

人間という生き物にとって嫉妬は付き物ですが、嫉妬に振り回され過ぎると自分も他人も傷つけることになります。

人間が嫉妬をする時は自分の人生に不満のある時や自信のない時であり、誰かと自分を比べることでしか自分の価値観を構築できないときです。

嫉妬の感情が自分の中に現れた時と言うのは、嫉妬の相手に目を向けるときでなく、嫉妬している自分に目を向けるときです。

「なぜ自分が嫉妬しているのか?」、「自分が何を求めているのか?」を考えるときです。

嫉妬の感情を上手く自己受容や向上心へと結びつけて、嫉妬に振りまわされないようにしたいものですね。

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2007年11月 4日 (日)

受け止め方の癖を変える

 人間は物事の受け止め方に癖があります。その癖のために生きることがしんどくなることがあります。自分の受け止め方の癖を知り、その癖を帰ることで生きることを楽にしていきましょう。

・完全主義思考「完全にしないと」
 完全主義者の人は全てが思う通りにならないと納得できません。しかし、人間いつも完璧でいることはできません。もし完全主義者でいることがしんどいなら、「これだけ自分はできている」と受け止め方を変えていくと良いでしょう。

・一般化「いつも私は~」
 いつも私は~してしまう。だからダメな人間だと考える人がいます。そういう人は自分の人生の例外を探してみましょう。いつもと違う自分を見つけることが出来たら人生変わりますよ。

・マイナス思考「~できた、でも~」「こんなこと大したことない」「どうせ」
 マイナス思考の人は自分の努力を素直に認めることができません。自分の出来ていないことより出来ていることに目を向けて、自分をほめてあげる。そうすれば人生より楽しく生きていけますよ。
 
・結論の飛躍「~にちがいない」
 あの人は私に声をかけてくれないから嫌っているというような思い込みをすることってありますよね。人はある事実や言動に対して確かめもせず自分の中で勝手にその理由や結論を決め付けてしまうことがあります。でもその決め付けが正しくないこともあります。確かめもせず結論を急いで出さないようにしましょう。

・べき思考「~すべき」、「~すべきでない」
 「人はこうあるべきだ」、「自分はこうあるべきだ」という考えの人は肩肘張って生きている分しんどくなることも多いです。「~であればいい」くらいで考えるようにすると楽になりますよ。

・個人化と他人への転化「私のせいで」「~のせいで」
 問題が起こったときを何でも自分のせいにする人、または他人のせいにする人。どちらも問題をきちんと見ることができていません。原因の追究も大事ですが、それ以上に同じ問題を起こさないようにすることが必要です。自分や他人を冷静に分析して、問題解決を図っていく必要があります。

・拡大解釈と過小評価「誰も」「皆」
 問題が起きた時、拡大解釈をしてしまう人、逆に過小評価してしまう人がいます。大げさに考えるのもよくないですし、小さく考えるのもよくないです。

・レッテル張り「グズ、ノロマ、バカ」
 人は自分や他人にレッテルを貼りがちです。レッテルを貼ることで結論を出して、問題の解決を見過ごしてしまうことがあります。レッテルを貼るより、問題の原因と解決を探す必要があります。

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2007年9月24日 (月)

あなたに贈る言葉8「大杉栄語録」

 皆さん、大杉栄を知っていますか?大杉栄は明治から大正にかけて活躍したアナキストです。アナキストとは日本語に訳すと無政府主義者という意味であり、あらゆる国家権力を廃絶し、自由な個人から構成される社会を目指す人々のことを指します。
 大杉栄は大逆事件で死刑になった幸徳秋水や社会主義者の堺利彦などに影響を受け、社会主義運動に参加。数々の闘争に参加しながら、アナキズムの思想に傾倒していきます。そんな中、共産主義者とロシア革命の是非や運動のあり方をめぐってアナ=ボル論争を展開。日本でアナキストの連合を結成しようと模索する中、憲兵に連行され虐殺されます。
 私は昔から大杉栄の思想が好きで、彼の著作や関連本を読んだものでした。何者にも支配されず自らの道を歩いていくことを語る彼の言葉はどれも情熱的で力強く、心に強く響くものがあります。
 そこで今回は私が好きな大杉栄の言葉を紹介したいと思います。

『むだ花』より

生は永久の闘いである。

自然との闘い、社会との闘い、他の生との闘い、

永久に解決のない闘いである。

闘え。

闘いは生の花である

みのり多き生の花である。

自然力に屈服した生のあきらめ、

社会力に屈服した生のあきらめ

かくして生の闘いを回避した

みのりなき生の花は咲いた。

宗教がそれだ。

芸術がそれだ。

無駄花の蜜をのみあさる虫けらの徒よ。

『生の創造』より

・運動に方向はある。しかしいわゆる最後の目的はない。

・はじめに行為ありき。

・自由と創造とは、これを将来にのみわれわれが憧憬すべき理想ではない。われわれはまずこれを現実の中に捕捉しなければならぬ。われわれ自身の中に獲なければならぬ

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人の上に立つ時

 サークルのキャプテン、プロジェクトのリーダー、会社の管理職・・・。人は時に集団や組織を取りまとめる役割に就くことがあります。人の上に立つ時、一番難しいのは目標に向かって仲間や部下にどう動いてもらうかです。一人一人が持つ力を活かすも殺すも上に立つ人の心がけしだいです。
 私は人の上に立つ時、江戸時代の儒学者・政治学者であった荻生徂徠の『徂徠訓』をいつも思い出します。

『徂徠訓』

・「人の長所をはじめより知らんと求むべからず。人は用いて始めて長所の現わるるものなり。」
(人の長所を始めから知ろうとしてはいけない。人を用いて始めて長所が現れるものである。)

・「人はその長所のみ取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。」
(人はその長所のみをとればよい。短所を知る必要はない。)

・「己が好みに合う者のみを用うる勿れ。」
(自分の好みに合う者だけを用いるな。)

・「小過を咎むる要なし。ただ事を十分に委ぬべし。」
(小さい過ちをとがめる必要はない。ただ仕事を大切にすればよいのだ。)

・「上にある者下の者と才知を争うべからず」
(上にある者は、下の者と才能や知識を争ってはいけない。)

・「用うる上は、その事を十分に委ぬべし」
(人を用いる上はその仕事を十分に委せよ。)

・「人材は必ず癖あるものなり。器才なるが故なり。癖を捨てるべからず。」
(人材は必ず一癖あるものである。彼は特徴のある器であるからである。癖を捨ててはいけない。)

・「かくして良く用うれば事に適し時に応ずる程の人物は必ずこれあり」
(以上に着眼して、良く用いれば、内容に適した、時に応じる人物は必ずいるものである。

 人に動いてもらうときに大切なこと。それは相手を理解して、尊重することであり、上がでしゃばり過ぎず、でも押さえる所は押さえておく。この当たり前のことを実践することが成功への秘訣です。ただ、この当たり前のことが難しいんですよね。実際上に立つと、自分が権力者だと勘違いして、部下を自分の道具のように扱ったり、えこ贔屓してしまったりする人っていますよね。
 集団や組織はあくまで目的や目標の実現のために集まったもの。上に立つ人間はその実現を取りまとめるだけであることを忘れてはいけませんね。

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2007年9月 7日 (金)

見えない世界

 私は最近シャーマン(神との媒介者)の女性と知り合い、神とはどういう存在か、霊とはどういう存在かいろいろ教えてもらっています。その人はどの宗教にも属してなく、純粋に神に対する信仰のみをしています。
 この世界は見えるものだけで成り立っているわけではありません。見えるものの先に見えない広大な世界が広がっています。私たちは生きているとき、見える世界と見えない世界のどちらからも強い影響を受けます。見える世界に関しては気づきやすいですが、見えない世界に関しては気づきにくいものです。その為、見えない世界の影響で上手く生きられない人たちはなかなかその理由を気づかず苦しみ続けることがあります。
 見える世界の向こう側にある見えない世界。あるかないか未だはっきりと分からない世界。そんな見えない世界を見つめ感じようとする心が祈りを生み、信仰を生み、宗教を生んだのだと思います。
 見えない世界ばかり気にして臆病に生きるのは良くないと思いますが、見える世界にばかりこだわり生きるのもどうかと思います。
 人間の感じ、理解できる領域などこの広大な世界(宇宙)のほんの僅かにしか過ぎません。私たちが未だ気づいていない部分が世界には潜んでいます。今、自分が感じ知っている世界が全てではないということに気づき、謙虚に世界と向き合うことができれば、人はより穏やかに生きられるような気がします。
 

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2007年7月 1日 (日)

悩みがあってこその人生

この世界に生まれてきたものは程度の差こそあれ悩みがあります

あなたの悩みはあなたの今生の課題です

悩みがあることは悪いことではありません

悩みは自分を変えるチャンスです

悩みに飲まれず

悩みにおぼれず

悩みを活かして前に進めていけば良いのです

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2007年6月 4日 (月)

感謝する

生きていると思っていましたが

生かされているということに気づきました

私が今ここに生きているということは

当たり前だけど

肉体があり、心があり、魂があるからです。

しかし、肉体や心や魂は私が作ったものでなく

宇宙が、地球が、親が、私に与えてくれたものです。

私が今ここに生きているということは

当たり前だけど

空気があり、水があり、食べ物があるからです。

しかし、空気も水も食べ物も

宇宙が、地球が、命が私に与えてくれたものです。

私が今ここに生きているということは

当たり前だけど

社会があり、仕事があり、家族があるからです。

しかし、社会も仕事も家族も

人類が、歴史が、先輩が私に与えてくれたものです

私が今ここに生きているということは

多くの支えがあってこそ

私を支える世界の全てに感謝する気持ち

それが大切ですね。

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2007年4月17日 (火)

価値観とは

人は自分の価値観で判断して生きています。

どんな服を着るか

どんなご飯を食べるか

どんな音楽を聴くか

どんな本を読むか

どんな車に乗るか

どんな恋人を選ぶか

どんな仕事に就くか

どんな宗教を信じるか

何を幸せと感じるか

何を不幸と感じるか

何を正義と感じるか

何を悪と感じるか

全ては人それぞれの価値観によって決まります

それぞれの人がそれぞれの価値観で生きている

それはごく当たり前のことですし

今さら取り立てて言う必要のないことかもしれません

しかし、人は時々他者の価値観に首をつっこむことがあります

自分たちと違う価値観に対する苛立ちや嫌悪

自分たちと敵対する価値観に対する怒りや恐怖

価値観の違う人とどう共生していくか

自分と違う価値観の人と出会った時こそ

自分の価値観が問われます

価値観の異質な人と出会うとき、そこに自分の姿が映し出されます

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2007年3月27日 (火)

 今この世界で生きている全ての命は過去の多くの命によって支えられています。 
 今、私がこの世界で生きているということは、地球が生まれ、命が生まれ、その命が切れ目なく受け継がれた結果です。もしどこかで切れ目ができていたら、私は生まれることはなかったでしょう。
 数々の苦難と試練を超えて、引き継がれてきた命。その命をさらに引き渡すことが今生きている命の役目です。
 命はどこまでも果てしなく、かけがえのないものです。

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何かを得るということは何かを失うということである

 人は多くのものを得たいという願望がありますが、人は何もかも得ることはできません。この世界で何を得るということは、すなわち何を失うということです。
 無限の可能性の中から一つの可能性を得るということは、他の無限の可能性を捨てるということです。 
 
 何を選び、何を失うのか、そのことをよく考えなければいけません。
 得ることの喜びと失うことの哀しみ、その両方を人は受け入れなければいけません 
 
 

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2007年1月12日 (金)

あなたに贈る言葉7

 今回あなたに贈る言葉は中川昌蔵氏の本『幸福になるためのソフト』に記された五箇条です。この言葉を意識せず実行することができるようになったとき、人は幸せに生きることができます。

「今日一日、親切にしようと想う。

 今日一日、明るく朗らかにしようと想う。

 今日一日、謙虚にしようと想う。

 今日一日、素直になろうと想う。

 今日一日、感謝しようと想う。」』

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2006年12月24日 (日)

当たり前のことは当たり前でない

私たちが日々当たり前と思っていることのほとんどは当たり前のことではありません。

小さな視点で言えば

今車に乗っているということ

今携帯電話を使えるということ

今テレビを見られるということ

今平和でいられるということ

これらは昔には考えられないことでした

大きな視点で言えば

今自分がここにいること

今あなたがここにいること

今人間がここにいること

それすら当たり前でありません

さらに大きな視点で言えば

地球に空気があるということ

宇宙に地球があるということ

世界に宇宙があるということ

これすら奇跡に近いことです

私たちが当たり前に思っていることの奇跡

自分がこの奇跡に立ち会う機会を与えられた存在であることに感謝をしなければいけませんね。

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2006年11月12日 (日)

あなたに贈る言葉6

 今回は世界的に有名なチェロ奏者、パブロ・カザルスが子どもたちに当てて平和な世界の創造を願って書いた文章を紹介します。
 パブロ・カザルス( 1876年12月29日 - 1973年10月22日)は、スペインのカタルーニャ地方に生まれたチェロ演奏家、指揮者、作曲家。チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストでした。平和活動家としても有名で、1971年10月24日、国連本部において「カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴くのです」と語りかけ、平和を願って「鳥の歌」を演奏をしたことでも有名。

「子どもたちへ」パブロ・カザルス

子どもたち 一人一人に言わねばならない

君は何であるか知っているか

君は驚異なのだ

二人といない存在なのだ

世界中どこを探したって君にそっくりな子はいない

過ぎ去った何百年前の昔から君と同じ子はいたことがないのだ

ほら、君の体を見てごらん。

実に不思議ではないか!

足、腕、器用に動く指、君の体の動き方!

君はシェークスピアやベートーベンのような人物になれるのだ!

そうだ、君は奇跡なのだ!

だから大人になったとき、君と同じように奇跡である他人を

傷つけることができるだろうか?

君たちは互いに大切にしあいなさい。

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2006年10月23日 (月)

MUSTからの解放

 英語の助動詞に「must」というす。この単語は「~しなければならない」という意味と「~にちがいない」という意味があります。
 私たちは英単語の「must」が表すような「~しなければならない」、「~にちがいない」という言葉に囚われて身動きが取れなくなることがあります。この世界で生きていく上で「絶対しないといけないこと」や「絶対こうに違いないということ」って意外に少ないものです。むしろ、自分で自分に枠を作ってしまいただ身動きがとれなくなっていることの方が多いです。
 もし「~しなければならない」、「~にちがいない」という言葉に自分が囚われているのなら、一度自分の生き方を見直したほうが良いかもしれません。選択肢が一つしかない状況で物事を決めてはいけません。選択肢は探せば意外に多いものです。

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2006年10月 4日 (水)

幸せになるのではなく、幸せに気付く

多くの人は今よりも幸せになりたいと願いますが、

今自分がどれだけ幸せであるかなかなか気付きません

幸せとは追い求めてつかめるものはありません

幸せとは誰かが与えてくれるものではありません

幸せとは遠くにあるものでなく、意外に近くにあるものです

幸せとは自分が今の自分の人生と生活に満足しているかどうかです

幸せとは今の自分を愛し、今の生活を楽しみ、人生を前向きに歩いているかどうかです

幸せになろうと努力するより、幸せに気付いてください

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2006年9月27日 (水)

あなたに贈る言葉5

 今回は私が昔から尊敬する詩人・坂村真民さんの詩を3題紹介します。坂村真民さんは愛媛県出身の詩人で、現在90歳ながらも今なお力強い詩を発表しています。私も高校の時からのファンですが、悩んだときは真民先生の詩をよく読んでいたものでした。みなさんもぜひ坂村真民さんの詩集を買って読んでください。

『今』

大切なのは

かつてでもなく

これからでもない

一呼吸

一呼吸の

今である

『目をひらくためには』

目を開くためには

目を閉じなければならない

『ねがい』

みえない

根たちの

ねがいがこもって

あのように

美しい花となるのだ

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2006年8月27日 (日)

がんばりすぎない

 日本人はがんばるという言葉が好きです。元々「がんばる」という言葉は「眼張る」という言葉が語源で、「目をつける」や「見張る」といった意味から「一定の場所から動かない」という意味に転じたそうです。言葉の語源からも分かるように、がんばるという言葉は自分の思いや信念を貫く態度を表します。自分の思いや信念を貫く姿は素晴らしいと思いますが、時にはがんばっている自分の姿を距離を置いて見ることも大切だと思います。

 がんばりすぎて、自分がしんどくなっていないか?
 がんばりすぎて、周囲がしんどくなっていないか?
 がんばりたくないけど、無理してがんばっていないか?
 がんばれない自分に嫌悪感を抱いていないか?

 
私が昔から好きな格言に次のような文があります。
 『がんばるのは義務ではなく、権利である』 

 
がんばるのは自分ががんばりたいと思ったときだけでいいのです
 何もかもがんばる必要はありませんし
 しんどいときはがんばらなくていいんですよ。
 
 
 
 

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2006年8月13日 (日)

怒る

 怒ることは決して悪いことではありません。人間である以上、腹の立つこともあるでしょうし、怒鳴りたいこともあるでしょう。
 「怒る」という言葉の語源は「起こる」と同語源で、勢いが盛んになり、感情が高ぶることを言うようになったそうです。人間が感情を持った生き物である以上、怒るということはある意味とても人間らしい行為です。
 ただ怒るときに気をつけないといけないのは、ただやみくもに怒りの感情を相手にぶつけるのでなく、なぜ自分は怒っているのかを相手に伝わるように怒らないといけません。感情を垂れ流すような怒り方では、相手を傷つけるだけになりますし、怒ったものの問題は何も解決しないままになってしまうことも多いです。
 怒るときは感情をただぶつけるのでなく、そういう感情になった理由を相手に伝えて、分かってもらうようにしたいものですね。
 怒るという事はある意味、まだ相手に分かってもらいたいという思いや希望があるからです。言っても分からない相手だと怒るのも虚しくなるし、怒る気さえしないですもんね。怒るという事はある意味より良い人間関係を作るためには必要なことです。
 しっかり怒るときは怒って、いい人間関係を築いていきたいですね。

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2006年7月31日 (月)

あなたは完成されている

生まれたときから
あなたは
生命として
人間として
もう完成されています

あなたが自信を見失い
隙をみせないように
身構えれば身構えるほど
おびえて見えます

強さを求めれば求めるほど
強がっているように見えます

しんどくなったら、弱い自分を出して甘えやかしてください
自分が信じられない時は、弱い自分を愛してください

あなたは生まれてきて
ここまで歩いてこれたのだから
大丈夫です

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2006年7月21日 (金)

選択肢は一つ以上ある

 人は行き詰まれば行き詰まるほど、ひとつの答えにこだわってしまうことがあります。しかし人生の選択肢に一つしか答えがないようなことはそんなにありません。視点を変えれば、選択肢はいくつもあります。「もうこれしかない」と思うときは余裕をなくしている時ですです。「もうこれしかない」と思うときは答えを出してはいけないときです。「もうこれしかない」と思うときは違う選択肢を考えるときです。選択肢はいくつもあるはずです。選択肢を少しでも多く考えることがよりよく生きていくために必要です。

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あなたに贈る言葉4

『わたしを束ねないで』 新川 和江

わたしを束ねないで
あらせいとう花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水

わたしを名付けないで 
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,や.いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

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2006年7月 4日 (火)

「~らしさ」からの解放

 「男らしさ」、「女らしさ」、「子どもらしさ」、「日本人らしさ」・・・・。私たちが生きている社会は個人をさまざまな「~らしさ」で枠にはめようとします。私たちは生まれてきたときは、生物学的性差を除いて何者でもありませんでした。しかし、大きくなるにつれて私たちは経験や学習を通して、様々な「らしさ」を身につけていきます。それは自分が所属する社会での振る舞い方の作法みたいなものですが、社会が強制する「~らしさ」にこだわりすぎると、一番大切な「自分らしさ」を見失ってしまいます。
 もちろん自分らしさ自体が、社会の中でのさまざまな振る舞いを通して、選択され獲得されていくものであり、社会と切り離された「自分らしさ」というものは存在しません。
 しかし、自分が身につけている「~らしさ」が、もし自分自身を苦しめているのだとしたら、そんな「~らしさ」に縛られる必要はありません。自分が自分らしく生きるための「~らしさ」を少しずつでも身につけていけばいいのです。

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2006年6月24日 (土)

個性の名の下に

 現代の日本社会では「個性」という言葉がもてはやされています。「個性を求めよう」「個性を大切にしよう」、「個性を活かそう」などのメッセージが今の社会には溢れています。しかし、今この社会が求めている個性って一体なんでしょう?
 個性という言葉は自分を自分たら閉めているものという意味があり、言い換えると自分らしさのことを指します。確かに自分という存在はこの世界にたった一人しか存在しませんし、一人一人の人間が持つ固有の世界というものは違います。そういう意味ではみんな個性的であります。
 しかし、今社会が求めている個性というのは、社会のシステム(体制)にとって都合のよい個性にしか過ぎないような気がします。能力主義・格差社会を肯定するための個性、商品の売り上げを伸ばすための個性など、現在の社会システムを動かすに当たって必要とされているに過ぎません。今の社会システムにとって不必要であったり、邪魔であるような個性はばっさりと切り捨てられます。
 また今ある個性の多くも社会の中にある限られた選択肢の中から選んだ、いや選ばさられたものに過ぎません。自分が自由意志によって選択したつもりでも、実は社会システムによって選ぶように仕向けられて選んだにすぎないのかもしれません。
 今の社会は個性という名の下で個人が統制されているような気がします。個と個とが個性という名の下に分断され、そして大きな社会システムの枠にはめられているような気がします。個性を大切にといいながら、個人がないがしろにされる社会に今向かっているような気がします。今必要なのは個性なのではなく、個人の権利を尊重する社会であり、異質な他者と生きていくための共感と共生の思想のような気がします。
 

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2006年5月22日 (月)

雑草とは何だろう?

 今日はお昼から天気がよかったので、庭の手入れをして雑草を抜いていたのですが、ふと雑草とは何だろうと考えてしまいました。自分が気に入って植えた草花も勝手に生えてきた雑草も同じ植物という点では本来変わらないはずで、それを人間が自分の都合で選別していているだけに過ぎない。雑草から見たら、人間の都合で選別されていい迷惑でしょうね。そう考えながらも、自分が雑草と見直した草たちをどんどん抜いていってしまいました。
 人間っていろいろなことを線引きしていますけど、それは決して絶対的なものでなく、自分たちの都合で勝手に引いているものだということを忘れてはいけませんね。

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2006年5月17日 (水)

近すぎず、離れすぎず

あまりにも近すぎると見えないことってありますよね

近すぎて無関心になり

近すぎて変わっていることすら気づかず

近いのにいつのまにか遠くに離れてしまっている

こんなことってありますよね

離れているから見えることもありますよね

離れているから関心を持ち

離れているから変化に気づき

離れているから近づいていける

こんなことってありますよね

近づきすぎず、離れすぎず

距離を微妙にとりながら

相手と付き合って生きたいですよね

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2006年5月14日 (日)

思い通りにならないからこそ

生きていると自分の思い通りにならないことがいっぱいありますね。

こうしたいと思っていてもなかなか思い通りにならず

こんな筈ではなかったのにと悔やむ日々

でも思い通りにならないからこそ人生って面白いのかもしれません

予想もしなかったことが次々と起こる人生

なぜ私だけと思う日々もあるかもしれません

でも誰も思い通りの人生を歩んではいません

だから私たちは喜怒哀楽という感情が生まれてきたのです

人生なんて思い通りにいかないもの

でも思い通りにいかないからこそ人生味わえることっていっぱいあると思います

せっかく生まれてきたのだから自分の人生をしっかり味わいつくしたいものです

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2006年5月 3日 (水)

生まれてこれたこと

Img_4016  最近読んだ本の中に「生まれてきたことの反対は死ぬことではない、生まれてこなかったことだ。」という文章があり、とても感銘を受けました。生まれてきたからこそ、私はこの世界を知ることができ、自分を知ることができ、多くの人とめぐり合うことが出来る。生まれてくることができたということは、とてもかけがえのないことですね。人生の価値は命の長さで決まるのではなく、どう生きてきたかにあると思っています。命の価値には優劣はなく、人生の価値にも優劣はありません。すべての命がかけがえのない存在です。生まれてこれたことに感謝をして、かけがえのない自分の人生をしっかり味わって死んでいきたいですね。

 

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2006年4月30日 (日)

あなたに贈る言葉3

 今回は私の尊敬する詩人・まどみちおさんの詩から私が大好きな作品をあなたに贈ります。

「もうすんだとすれば これからなのだ
 
あんらくなことが 苦しいのだ
 
暗いからこそ 明るいのだ
 
なんにも無いから すべてが有るのだ
 
見ているのは 見ていないのだ
 
分かっているのは 分かっていないのだ
 
押されているので 押しているのだ
 
落ちていきながら 昇っていくのだ
 
遅れすぎて 進んでいるのだ
 
一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ
 
やかましいから 静かなのだ
 
黙っている方が しゃべっているのだ
 
笑っているだけ 泣いているのだ
 
ほめていたら けなしているのだ
 
うそつきは まあ正直者だ
 
おくびょう者ほど 勇ましいのだ
 
利口にかぎって バカなのだ
 
生まれてくることは 死んでいくことだ
 
なんでもないことが 大変なことなのだ」  Fairy1

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2006年4月22日 (土)

三法印

 最近仏教に関する勉強をしているのですが、仏教の根本の教えには三法印という考えがあります。三法印とは「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の3つ教えから成り立っています。(これに「一切皆苦」を加えて四法印という場合もあります。)この三法印の教えを知ったとき、私の生き方は大きく変わりました。
 まず「諸行無常」とは、この世界のあらゆるものは全て移り変わり、永遠普遍なるものは一切存在しないという教えです。この世界ではあらゆるものが日々移り変わっています。川の流れのように見た目には同じに見えても、川の中の水は絶えず流れ変わっており、つい先ほど見た川と今見た川では、中身は違うのです。私たちは幸せなときは、その幸せの永遠普遍を望み、苦しいときは、その苦しみが永遠普遍に続くように感じます。しかし私たちも常に同じ状態でいることは出来ないのです。全てのものは移り変わってゆくことを常に意識して生きていくことが大切だという教えです。
 次に「諸法無我」とは、すべてのものは一人で存在するものでなく、全てのものは縁でつながって存在しているという教えです。すべてのもの関係性の中で己というものを確立させます。私たちはこの世界で決して一人で存在しているわけではありません。多くのものとつながりあう中で、初めて私は私として生きることが出来ているのです。私たちは自分がいかに他のものによって支えられているのか感じて生きていくことが大切だという教えです。
 最後に「涅槃寂静」とは己への欲望や執着に振り回されない生き方をするという教えです。私たちは生きていくうえでさまざまな悩みや苦しみを抱えます。なぜ私たちがそのような悩みや苦しみを抱えるのか、それはこの世界が「諸法無我」「諸行無常」の世界であるという真理を知らず、永遠普遍で一人で存在していると思い込み、己に執着し、己の欲望に振り回されいるからです。自分という存在を「諸法無我」「諸行無常」の教えから見つめなおし、己へのこだわりを捨てたとき、人は穏やかに自由に生きることが出来るという教えです。
 私たちは生きていくうえで、様々な悩みや苦しみに出会います。しかし、それらの悩みや苦しみがなぜ生じているのか?それをもう一度仏教の三法印の教えから考えると、今背負っている苦しみや悩みは軽くなり、自分の生き方が大きく変わってくると思いますよ。

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2006年4月20日 (木)

受け止め方を変えよう!

 人は出来事そのものに対して直接考えや感情を持つのでなく、出来事が与える刺激をその人がどう受け止めるかによって、その人なりの考え方や感情が生まれてくるそうです。ある人にとって何でもないことが、ある人にとってはとても苦手だったりするのは、その人の脳の受け止め方によるものが大きそうです。人は過去の経験から、今目の前にある出来事に対して対処しようとします。そのため、過去の経験でマイナスイメージを持っていると、それ以降同じ経験をするとそのマイナスイメージをもって対処しようとします。そのため、何度してもうまくいかず、ある特定の出来事に対して苦手意識や恐怖・不安の感情が生まれてくるそうです。人間の脳は一度学んだことを繰り返し再現する癖があります。そのため、一度苦手意識や不安や恐怖をもつとなかなか消えません。
 しかし、脳の受け止め方で苦手意識や不安・恐怖が生まれるのなら、受け止め方さえ変われば、生き方も大きく変わってくる可能性があります。今までマイナスの感情を引き起こす出来事に対して、意識してプラスの感情で受け止めようと心がければ、いつかは苦手意識や不安・恐怖から抜け出せられるようになれます。
 人が変えられるのは自分自身と未来だけです。受け止め方を変えて、ポジティブに楽しく生