2007年4月21日 (土)

自由とは

 人は自由と言う言葉を好みます。自由な生活、自由な時間、自由な人生・・・。自由という言葉に悪い印象を持つ人はいないと思います。
 私たちは自由という言葉を、他者の意志に束縛されず自分の意志で決定し行動することを指して使うことが多いと思います。
 しかし、本来の自由と言う言葉の意味は大きく違います。そもそも自由という言葉は仏教用語であり、「自らに由る」という意味です。ここで指す「自ずから」とは表層的な自我ではなく、さらにその奥にある本人も気づいていない無我の境地を指します。
 
 この世界は基本的に不自由な世界です。自由が先にあって不自由があるのでなく、不自由だからこそ自由があるのです。人は自由を求めるのはこの世界が不自由だからこそです。
 ただ悲しいかな、どんなに人は自由を求めても、完全な自由を手に入れることはできません。なぜならこの世界は不自由さから始まっているからです。そして人が自由を求める行為自体がひとつのこだわりとなり不自由とさえなってしまうのです。
 自由を得るということは、この世界の不自由さを認識し、この世界で得る自由の限界を認識した時に初めて可能となります。
 
 

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2007年1月 6日 (土)

「ありがとう」という言葉

「ありがとう」の語源は「有り難き」に由来しています。「有り難き」は滅多にないという意味ですが、もともとは法句経というお経にある『人の生を享くるは難く やがて死すべきもの 今いのちあるは 有り難し』が起源と言われています。今こうして自分がこの世界の存在していることのかけがえのなさ。そして、この世界の中で他者から親切を受けるということのかけがえのなさ。当たり前のことが、いかに当たりまでないかけがえのないことであるかを絶えず忘れないために、私たちは「ありがとう」という言葉を使っていかなくてはいけませんね。

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2006年8月13日 (日)

怒る

 怒ることは決して悪いことではありません。人間である以上、腹の立つこともあるでしょうし、怒鳴りたいこともあるでしょう。
 「怒る」という言葉の語源は「起こる」と同語源で、勢いが盛んになり、感情が高ぶることを言うようになったそうです。人間が感情を持った生き物である以上、怒るということはある意味とても人間らしい行為です。
 ただ怒るときに気をつけないといけないのは、ただやみくもに怒りの感情を相手にぶつけるのでなく、なぜ自分は怒っているのかを相手に伝わるように怒らないといけません。感情を垂れ流すような怒り方では、相手を傷つけるだけになりますし、怒ったものの問題は何も解決しないままになってしまうことも多いです。
 怒るときは感情をただぶつけるのでなく、そういう感情になった理由を相手に伝えて、分かってもらうようにしたいものですね。
 怒るという事はある意味、まだ相手に分かってもらいたいという思いや希望があるからです。言っても分からない相手だと怒るのも虚しくなるし、怒る気さえしないですもんね。怒るという事はある意味より良い人間関係を作るためには必要なことです。
 しっかり怒るときは怒って、いい人間関係を築いていきたいですね。

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2006年4月13日 (木)

幸せとは

Img_3969 「幸せ」という言葉の語源は「仕合せ」という言葉からきているそうです。仕合せとは、自らの生命をかけて仕えるべきものに出会うことだそうです。生きている中で、苦しいことがあったとしても、自分の「めぐりあわせ」、言いかえれば不思議な「出会い」がぴったり合う因縁を「仕合せ」というのです。人生における苦難を共に分かち合うことが出来る人と巡り会えること、それが「幸せ」の語源であり本質です。
 生きるとは苦難の連続です。でもその苦難を誰かと分かち合うことが出来れば、それは幸せな人生なのでしょうね。
 

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2006年2月14日 (火)

コミュニケーションとは?

 コミュニケーションという言葉はコミューン(共同の、共有の)という言葉が語源だそうです。今コミュニケーション能力というものが問われていますが、それは自分が言いたいことを相手に一方的に伝えることではなく、如何に相手と話しを共有することができるのかが大切なのかもしれませんね。そう言う意味では、コミュニケーション上手な人は、よくしゃべる人より、相手の話を聞くことが出来る人かもしれませんね。

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2006年1月 3日 (火)

言葉の限界と可能性

 私たちは普段言葉というものを使い、他者とコミュニケーションを取っています。自分の意志や思いを伝えたり、相手の意志や思いを受け取るために使う言葉。しかし、言葉はどれくらい正確に自分の意志や思いを相手に伝えているのでしょう?
 言葉とはある一定の範囲の中で暮らす人間たちが、共通したルール(発音・字の形・ある音や文字が示す意味、文法)の合意と共有の下で使われています。言葉のルールが一人一人違っていたら、もちろんコミュニケーションは成立しません。人間は生まれたときから、親、友だち、地域、学校などで言葉というもののルールと使い方を学んでいきます。そして言葉を使い、自分の心の動きを表現して他者と交流していくようになります。言葉とは人間社会において必要不可欠なものですが、限界もあります。
 その限界とは、ある言葉が指す意味の取り方が一人一人微妙に違うからです。例えば、「悲しい」という言葉。辞書では「悲しい」とは「心が痛んで泣きたくなるような気持ち。つらく切ない心が痛んで泣きたくなるような気持ち」と書いてあります。皆さんはこの言葉を受けて、どういうイメージが思い浮かんでくるでしょう。一人一人「悲しい」という言葉から受け取るイメージは違うと思うんですよね。そこはその人の経験や感性の違いが出てくるんだと思うんですよね。その微妙な差異というものを言葉は四捨五入してしまうんですよね。それは言葉というものは仲間と共有するための役割が大きいので仕方ないところではありますが、言葉の限界でもあります。でも言葉に限界があるからこそ、そこに可能性もあると思っています。
 詩人たちが限界のある言葉を使い、どう言葉が切り捨ててしまう差異を生き返らせるか、どう自分の意志や思いを正確に相手と共有してくかの挑戦しています。
 言葉にならない思いをどう言葉にしていくか?新しい言葉を創るのか、今まである言葉を組み合わせるのか、言葉の可能性はまだまだ広がっていく余地があります。
 

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2006年1月 2日 (月)

共感と同感

共感と同感、この二つの言葉は似ているようで、かなり違います。同感とは自分も相手と同じような体験して、同じような感情を抱いたことがあるから、相手の感情が分か労とする行為です。それに対して共感は自分にそういう経験はないが、相手の立場に立つときっと同じような感情を抱くだろうと想像して、相手の感情を分かろうとする行為です。人間にとって同感することは簡単ですが共感することはなかなか難しいです。今の社会、みんな他者に対して同感はしますが、相手の立場に置き換えて共感するということが忘れられているような気がします。キリストが「汝、隣人を愛せよ」という言葉を述べましたが、それは自分の身内を愛せよと言っているのではなくて、自分とは異質の他者(異教徒)に対して、寛容であれと言っています。今、異質な者を排除する方向に社会は進んでいるような気がします。しかし、排除すればするほど、より、神経質に細かい差異を取り上げ、排除していく社会になっていくような気がします。他者(自分とは異質な者)に対する共感がいま大切な時期にきていると思います。

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2005年12月23日 (金)

言葉の使い方について

「すべてことばには、
時にかなったことばとかなわないことば
事実にかなったことばとかなわないことば
柔らかなことばと粗いことば
有益なことばと有害なことば
慈しみのあることばと憎しみのあることば
この五対がある」(仏陀)

 仏教を教えた仏陀によると、言葉は五対に分けられるそうです。
 私たちが普段何気なく使っているさまざまな言葉
 言葉は人間が生み出した大きな力
 文明や文化を作り出し
 人間の生活を発展させ
 人間の心を成熟させてきました
 私たちは今言葉の世界に生きている存在です。 
 
 大きな力を持っている言葉を
 私たちは普段どのように使っているでしょう 
 言葉は人を励ましもすれば、傷つけることもできるもの
 言葉のもつ力を意識しながら、
 上手に使いこなしていきたいですね。
 
 
 

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2005年12月18日 (日)

「分かる」ということ

みなさん、「分かる」「分かった」という言葉をよく使うと思いますが、分かるとはどういうことでしょうか?

そもそも分かるという言葉の語源は「分ける」から来ているそうです。全体を部分に分けて考えて、物事を理解していこうとすることが分かるということだそうです。

人間はこの世に生まれたとき、最初全てのものを境界線なく、あるがままに受け止めています。しかし、人間はそのうち、物事を分けて捉えはじめようとします。そして言葉を覚えるころには、物事を分けて考えるくせがつきます。人間は細かく分けて考えていくことで、この世界について多くのことを「分かり」、文明を発達させてきました。しかし、その反面、人間の分かろうとする行為が人間に弊害を及ぼしてもいます。全体を部分に分けて考えるくせがつき、見えなくなってしまったものも多いと思います。そして分からないことに不安を覚え、無理に分かろうとして、苦しむことも多いと思います。

この世界は人間が存在する前からあるがままに存在していました。それを人間が勝手に分けているだけのこと、そのことを理解していると、生きていくことが楽になるかもしれません。

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2005年11月22日 (火)

「恋」と「変」

最近、ふと思ったんですけ「恋」という漢字と「変」という漢字ってとても似た形をしていますよね。この二つの漢字が似ているのが偶然なのか意図的なのか分かりませんが、意味深いものを感じるんですよね。恋をすると人の心は変わりますからね。

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2005年5月 8日 (日)

あきらめる

この言葉をいい意味で受け取る人は少ないと思います。皆さんあきらめると言うと「諦める」(望んでいたことの実現が不可能であることを認めて、望みを捨てる。)と言う意味に捉える方が多いでしょう。しかしあきらめるには次のような意味もあります「明らめる」(物事の事情・理由をあきらかにする、心をあかるくする。)私たちは生きる上で「諦めること」も多々あるでしょう。そのときは「明らめて」行き詰った原因を考え、心気一転、また新たなる道を進んで生きましょう。

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