「スティーブン・スピルバーグ」私の愛する映画監督6
今回はハリウッドきってのヒットメーカー「スティーブン・スピルバーグ」の魅力について語りたいと思います。
・スティーブン・スピルバーグ監督の歩み
(ヒットメーカーとなるまで)
スティーブン・スピルバーグは1947年にオハイオ州で生まれました。小さい時から映画が好きで、8ミリカメラを使って映画をを撮っていたそうです。そして16歳で「ファイヤーライト」という長編映画を制作して、地元の映画館で一晩だけ興行したそうです。その後、ロサンジェルスに引っ越したスピルバーグはユニバーサル・スタジオに遊びに行っては、映画スタジオに忍び込み、ヒッチコック監督の撮影現場を見学していたそうです。そして、大学の時に短編映画『アンブリン』を監督。この映画がユニバーサルテレビの副社長に認められ、テレビドラマの監督に異例の若さで抜擢されます。スピルバーグは日本でも有名な『刑事コロンボ』など数十本のドラマを手がけます。そして、スピルバーグの名を一躍世界中に知らしめたテレビムービー『激突』を監督。このテレビムービーはアメリカで高視聴率を獲得、海外では劇場公開され、興行的にも成功を収めます。
この作品の後、ハリウッドデビュー作品となる『続・激突!カー・ジャック』を監督。そして、次にスピルバーグの初の大ヒットとなる『ジョーズ』を監督。この作品でスピルバーグは一躍ハリウッドのヒットメーカーとなります。
その後、脚本も手がけた『未知との遭遇』や『スターウォーズ』のジョージ・ルーカスと手を組んだ『レイダース/失われたアーク』などハリウッドの興行収入を塗り変える大ヒット作を連発します。そして1982年にはスピルバーグ監督最大のヒット作となる『E.T.』を発表。ハリウッドにおいて一番稼ぐ映画監督となります。
(80年代混迷の時代)
ハリウッドきってのヒットメーカーとなったスピルバーグ監督は単なる娯楽作品だけでなく、文芸作品も手がけるようになります。人種差別を取り上げた『カラーパープル』や第2次世界大戦を取り上げた『大陽の帝国』などを監督します。しかし、批評家からの評価も悪く、スピルバーグ監督に人間ドラマは描けないというレッテルを貼られます。その後、ピーターパンを題材にした『フック』を監督しますが、制作費の割りに興行収入が低く、スピルバーグ監督にとって低迷の時期でした。
(90年代復活の時代)
1993年はスピルバーグ監督にとって大きな転換点となる年となりました。リアルな恐竜が暴れまわる『ジュラシック・パーク』とホロコーストの恐怖を描く『シンドラーのリスト』を監督。『ジュラシック・パーク』はスピルバーグ監督久々の大ヒット作となり、『シンドラーのリスト』は念願のアカデミー監督賞・作品賞をもたらしました。その後もコンスタントに作品を発表。そして1997年に第2次世界大戦を描いた『プライベート・ライアン』にてアカデミー監督賞を再度受賞。名実と共にハリウッド一の監督となります。
(21世紀挑戦の時代)
21世紀に入ってもスピルバーグ監督の勢い衰えることなく次々と作品を発表。キューブリック監督が構想していた『A.I.』やテロの悲劇を描く『ミュンヘン』など話題作・問題作を次々と手がけます。また、それと同時に『マイノリティ・リポート』や『宇宙戦争』などの娯楽作品も手がけヒットさせています。
・スティーブン・スピルバーグ監督作品の特徴
彼の作品を語るときに欠かせない5つの特徴があります。
①映像革命
彼の作品は常に今まで誰も見た事がないような世界を描き、観客に驚きを与えます。巨大なUFO、太古の恐竜、異星人、近未来世界。常に最新の映像技術を取り入れ、映像技術の進歩に貢献を与えています。
また、映像技術だけでなく、撮影方法においても常に工夫を凝らし、観客を映画に引き込みます。『ジョーズ』のサメ目線の映像、『シンドラーのリスト』や『プライベートライアン』のドキュメンタリータッチの映像などインパクトのある映像は他の映画監督にも大きな影響を与えています。
②ユダヤ人としてのアイデンティティ
彼はユダヤ人であるため、作品の多くにユダヤ人としての意識が反映される描写があります。『シンドラーのリスト』や『ミュンヘン』などはユダヤ人問題を直接扱った作品はもちろんのこと、『インディー・ジョーンズ』シリーズでナチスが悪者として登場することや『A.I.』におけるホロコーストを彷彿させるロボット虐殺のシーンなども監督のユダヤ人としての意識が強く感じられます。
③過激な暴力描写
彼の作品はしばしば過激な暴力描写が見られます。娯楽作品においては常にユーモアと暴力が表裏一体となったシーンが数多く見られます。また戦争の悲惨さをテーマにした『シンドラーのリスト』や『プライベートライアン』などでは目を背けたくなるほど残酷な描写の連続です。
彼の暴力描写に対するこだわりは暴力が持つ恐怖とカタルシスの両面を熟知した上でのことだと私は思います。日常的空間における暴力に対する恐怖と非日常的空間における暴力のストレス発散機能。その両面を上手く使い分けて描写しているところが、彼の映画の特徴だと思います。
④親子の絆
彼は10代のときに両親が離婚していることもあり、デビュー作「続・激突!カー・ジャック」から『ミュンヘン』まで常に親と子の関係が描かれます。70年代~80年代にかけては両親の関係がギクシャクしている家庭や母と子の絆を描いた作品がしばしば見られました。
しかし、90年代~最近の作品にかけては父と子の絆を描いた作品が目立ちます。監督の子どもを持つ父親としての意識が強くなってきたのかなと思います。
⑤ジョン・ウィリアムズ
彼の作品を語る上でジョン・ウィリアムズの音楽を外すわけにはいけません。『カラーパープル』と『トワイライト・ゾーン』を除いて、全ての音楽を担当しています。ジョン・ウィリアムズのブラスを巧みに用いた音楽は親しみやすいメロディーラインで多くの観客を虜にします。また、それだけでなく映像に更なる臨場感を与えてくれます。
スピルバーグ監督の作品は映画ファンに常に映画を見る楽しみと喜びを与えてくれます。今後も彼の監督する作品からは目が離せません。
(フィルモグラフィー)
1974年「続・激突!カー・ジャック」
1975年「ジョーズ」
1977年「未知との遭遇」
1979年「1941」
1980年「未知との遭遇・特別編」
1981年「レイダース/失われたアーク」
1982年「E.T.」
1983年「トワイライトゾーン」(第2話・「真夜中の遊戯」)
1984年「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」
1985年「カラーパープル」
1987年「太陽の帝国」
1989年「オールウェイズ」「インディジョーンズ最後の聖戦」
1991年「フック」
1993年「ジュラシック・パーク」 「シンドラーのリスト」
1997年「アミスタッド」「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」
1998年「プライベート・ライアン」
2001年「A.I.」
2002年「マイノリティ・リポート」「キャッチ・ミー イフ・ユー・キャン」
2004年「ターミナル」
2005年「宇宙戦争」「ミュンヘン」
2008年「インディジョーンズ4」
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