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『ドッグヴィル』この映画を見て!

第96回『ドッグヴィル』
Dogville  今回紹介する映画は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の監督として有名なデンマークの鬼才ラース・フォン・トリアーとハリウッドを代表するアカデミー賞女優ニコール・キッドマンが手を組んだ衝撃的な問題作『ドッグヴィル』です。この映画は過激なストーリー、大胆なセット、後味の悪い結末と見所満載な映画です。カンヌ映画祭で上映された時も、あまりにも衝撃的な内容に見た人の間では賛否両論意見が分かれ、賞は獲れませんでしたが大変な話題となりました。
 この作品はだだっ広い倉庫に家や道などを表わす白線を引き、必要最小限の家具などを置くという必要最小限のセットを村に見立てて3時間全編見せるという大胆な手法を取っています。最初見たときはまるで映画のリハーサルを見ているような雰囲気で違和感を感じますが、途中からはそれも気にならなくなり、登場人物たちの行動に釘付けになります。この映画は必要最小限のセットにするとことにより、役者たちの演技に観客を集中させ、人間の醜い本質を寓話的に見せようとしたのだと思います。ただ見ている側は風景が何もなく、役者の演技と残酷なストーリーだけにずっと集中しなくてはいけないので、見終わった後はどっと疲れがでます。
 またストーリーもナレーターが登場人物の思いや状況を全て言葉で語るという大胆な方法を取っており、まるで見る小説といった感じです。
 ストーリー:「アメリカ・ロッキー山脈の村・ドッグヴィルに、ひとりの女グレースがギャングに追われて逃げ込んでくる。村人の青年トムは助けを請う美しい女性グレースを匿う。トムは彼女を村で匿うことを提案するが、村人たちは初めは彼女をいぶかしむ。そこでトムは2週間村人全員に気に入られることを条件に村に留まることを承認させる。献身的な肉体労働をこなすグレースだが、警察に手配されていることが発覚し、村人たちは激しく動揺する。そして村人たちはグレースに対して不信感を覚え、彼女を奴隷のように扱い始める。」
 私はこの映画を始めてみたときは、自分の中に潜む醜さ・愚かさを意識させらてしまい、重たい気分になったものでした。この映画のテーマは一言で表すと人間の傲慢さです。寛容さ、優しさ、哀れみという名の傲慢さ。自分より弱い立場の者に対する傲慢さ。この映画は人間の傲慢さの醜さや愚かさをこれでもかと徹底して描きます。
 この映画の舞台であるドッグヴィルの住人たちは閉鎖的で保守的な人間の集まりです。そんな村に現れた自分たちと明らかに違う異質な人間。仲間と違う人間に対する警戒感や不信感。村人たちに受け入れてもらうために、グレースはjひたすら従順に献身的に村人のお世話をしてきます。いつしか、村人の警戒心も薄れ、彼女を仲間として受け入れようとしていきますが、彼女が警察に追われている存在だと分かると村人の態度は一気に変わります。弱みを握った者と握られた者の不対等な関係。村人たちは彼女を再び自分たちとは異質な利用できる存在として奴隷のように扱いはじめます。映画の中盤から後半にかけての村人たちのグレースに対する酷い扱いは見ていて目を背けたくなります。仲間でない人間に対する非人間的な扱い。かつての奴隷制度を例に出すまでもなく、人間は自分たちの仲間とそうでない者たちとに分けて、後者に対しては非人間的な態度をとることがあります。この映画はそんな人間という生き物の傲慢さを村人の行動を通して見事に表現しています。
 また村人たちの行動を見ていると、常にみんなで話し合って物事を決めており、一見民主的な村に思えるのですが、内実は個人として責任を取りたくないだけということが話しが進むに従って明らかになります。。集団という力がなければ何も考えられない個人の愚かさと、集団主義という責任の曖昧さが個人の欲望をエスカレートさせる恐怖を見ていて強く感じさせられます。
 グレースは映画のラストで傲慢な村人に対して裁きを下します。その裁きもまたとても傲慢なものです。権力を握った者の正義と責任という名の傲慢さ。人が人を裁くということの傲慢さ。グレースに感情移入して見てきた観客にとってある意味痛快なラストではあるのですが、気に入らないもの、救いがたいものは不必要で消しても良いという結末は人間の救いのなさを表しています。その為に見終わると、あのラストシーンに痛快さを感じてしまった自分に嫌悪感を感じてしまいます。
 この映画は不快な登場人物が数多く出てくるのですが、その中でもグレースを最初救おうとしたトムは一番見ていて不快で嫌悪感を抱くキャラクターです。一見、弱い立場の味方を取りながら、実は自分の欲望(他者を救えるという傲慢な欲望)を満たしていただけの存在。彼は理想という名の欲望を他者に押し付け、上手くいかなくなると、主人公を窮地に追い込み自己保身に走るという最低な人間でした。トムは現代社会に蔓延る一見すると弱者の味方をしながら、弱者を食い物にしている似非ヒューマニストの偽善性や醜さの象徴として描かれていると思います。
 この映画はあまりにも人間なら誰しも持つ醜い一面をストレートに描いているので、不快感や嫌悪感を抱く方もいるかと思います。しかし、見た後に人間について考えさせられる映画もなかなかないと思います。ぜひ興味のある人がいたら、体調・精神状況が良いときに見てください。但し、人間不信に陥ってる方や人間を純粋に信じている方などは見ないほうが良いです。
 

製作年度 2003年
製作国・地域 デンマーク
上映時間 177分
監督 ラース・フォン・トリアー 
製作総指揮 ペーター・オールベック・イェンセン 
脚本 ラース・フォン・トリアー 
音楽 - 
出演ニコール・キッドマン 、ポール・ベタニー 、クロエ・セヴィニー 、ローレン・バコール 、パトリシア・クラークソン 

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コメント

カゴメさん、コメントありがとうございます。トリアー監督の作品は大体見ているのですが、彼の作品は人間の嫌なところを見事に突いてきますね。それが面白くもあり、不快でもあり・・・。彼の作品は見た後、重い気分になるの分かりながら見てしまう魅力がありますね。

投稿: アシタカ | 2006年8月25日 (金) 00時09分

あしたかさん、TB、感謝です♪

>ただ見ている側は風景が何もなく、役者の演技と残酷なストーリーだけにずっと集中しなくてはいけないので、見終わった後はどっと疲れがでます。

トリアーはホンに狡猾ですねぇぇ(笑)。
私も物の見事に罠に絡め取られましたよ(苦笑)。

>この映画はあまりにも人間なら誰しも持つ醜い一面をストレートに描いているので、不快感や嫌悪感を抱く方もいるかと思います。

凡そ、「見て見ぬ振り」「なぁなぁで穏便に」
が身上の日本人には受けない作品ですね。
でも、こういう作品だからこそ、
あって良し、と思うです。
なかなかここまでストレートに言ってのける監督は、
他にはいないですもんね。
希少価値大ですよ(笑)。

投稿: カゴメ | 2006年8月24日 (木) 17時16分

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受信: 2006年8月19日 (土) 00時27分

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