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2006年5月

上原隆の本 街を捨て書を読もう!

Uehara3『友がみな我よりえらく見える日は』
『喜びは悲しみのあとに』
『雨にぬれても』
・三冊とも幻冬舎アウトロー文庫より発行
 私は中島みゆきが昔から好きなのですが、今回紹介する上原隆の本を読むと、中島みゆきの大ヒットした歌『地上の星』がいつも頭に流れてきます。『地上の星』は中島みゆきの名もなき人たちへの温かいエールや共感が歌詞に込められていましたが、上原隆の本にも同じような思いが込められています。
Uehara2 上原隆は「ルポルタージュ・コラム」と名付けるノンフィクションの作品を発表し続けています。彼は名もなき人たちのさまざまな生き様を、時に淡々と、時 にユーモラスに描いていきます。さまざまな職業に従事する人、会社をリストラされた人、夫や妻と離婚した人、父子家庭や母子家庭の親子、登校拒否やうつ病になった人、仕事で悩む人々・・・。彼の作品に出てくる人は、どこにでもいそうな人たちであり、出てくる話もどこにでもありそうな話しです。そんなどこにでもいそうな人の話にも関わらず、読者は読んでいる間、彼らの生き様に引き込まれ、深く共感させられます。それは作者のルポの仕方や文章の力がとても大きいです。彼は相手と常に一定の距離を保ちながら接し、ありのまま の相手の姿を彼の言葉でつむいでいきます。ありのままをありのままに自分の言葉で描くということは簡単なようでいて、とても難しいと思います。作者が淡々と描いているからこそ、読者は描かれている人たちの生き方に自分を重ね合わせたり、思いを寄せることが出来るのでしょう。
Uehara それにしても彼の作品に出てくる人の生き方を読んでいると、普通の人生なんてなくて、みんなそれぞれ時に迷い、時に格闘し、時に涙しながらドラマチックに生きているのだなという当たり前のことを思い出させてくれます。また彼の文章を読むと、生きることに良いも悪いも正解はないということに気づき、生きることに対して肩の力がふっと抜けます。

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宮崎駿作品と久石譲

 宮崎駿の映画の魅力の一つに音楽があります。どの作品も映像と音楽がとてもマッチしており、美しく親しみやすいメロディーは聞いていて、とても心地よいものがあります。そんな宮崎作品の音楽を全作品手がけているのが久石譲です。久石さんは『風の谷のナウシカ』から『ハウルの動く城』まで宮崎駿がジブリで監督した7作品全ての音楽を担当しています。久石さんの音楽の魅力はシンプルで押しの強いメロディーと編曲の巧みさにあります。久石さんの音楽はとてもインパクトが強いので、映像に魅力がないと音楽だけが上滑ることも多いです。しかし、宮崎作品では宮崎さんの生み出すインパクトのある映像と久石さんの生み出すインパクトの強い音楽はとても相性がいいのです。久石さんの音楽は透明感が清清しい宮崎作品の映像の素晴らしさをさらに倍増させてくれます。久石さんの音楽がなかったら、おそらく宮崎作品はここまで人気がでなかったのではないかと思うほどです。
 宮崎作品の音楽の制作は大変時間をかけて丁寧に行われています。まず映画公開の半年前から1年前に、映像がない段階で作曲家が自由なイメージでイメージアルバムを作り、どういう音楽が映像に合うか監督と音楽家で話をするそうです。その後、イメージアルバムの曲を参考にしながら、サウンドトラックのためにまた作曲をしなおして、編曲をして完成させるそうです。長い期間をかけて手間隙かけて制作されているので、完成度も高くなるそうです。
 では宮崎駿作品の各サントラの魅力を紹介したいと思います。もし興味が出てきたら、レンタルするなり、購入するなどして、ぜひ宮崎作品の音楽の魅力に浸ってみてください。
 Nausika
『風の谷のナウシカ』1984年
 宮崎駿作品において初めて久石譲が音楽を手がけた作品です。この頃の久石譲はまだ無名の作曲家だったのですが、監督とプロデューサーの高畑勲の強い後押しもあり、大抜擢となりました。(当時は音楽を誰が担当するかで会社上層部と映画制作者の間で揉めに揉めたそうです。)
 ナウシカの音楽の魅力は民族音楽色の強い曲やオーケストラによる壮大な曲、シンセによる打ち込みの曲といろいろな種類の曲が混在しながら、ナウシカの世界観をみごとに音で表現しているところにあります。特に映画のクライマックスのナウシカ復活のシーンで流れる「ラン・ラン・ラ・ラ~」という子どもの歌声の曲はとてもインパクトがある曲です。(ちなみにこの曲の子どもの歌声は久石譲の当時4歳の娘が歌っています。)

Laputa 1986年『天空の城ラピュタ』
 コンビ2作目の『ラピュタ』は名曲ぞろいで音楽の完成度がとても高いです。まずオープニングに流れる『空から降ってきた少女』。オーケストラによる壮大な雰囲気の曲がこれから始まる冒険を予感させて素晴らしいです。またパズーが吹くトランペットの曲『ハトと少年』も清清しい名曲です。また活劇場面で流れる音楽も映像の動きのタイミングときっかり合わして制作されたそうで、観客の緊張感を煽り、盛り上げてくれます。特に映画の中盤でシータをパズーが救い出すシーンで流れる曲は映像の持つスリルと緊張感そして迫力を倍増させてくれて、最高にすばらしい活劇音楽となってます。また映画の後半のラピュタに着いてから流れる音楽も壮大でありながら物悲しく、ラピュタのもつ2面性を音楽で巧みに表現していると思います。そしてラストで流れる主題歌『君をのせて』はアニメ映画の主題歌においてベスト3内に入るほどの名作です。ラピュタの音楽は宮崎&久石コンビのなかでも指折り3本に入るほどの名作です。

Totoro 1988年『となりのトトロ』
 コンビ3作目の『となりのトトロ』。この作品の主題歌『さんぽ』と『となりのトトロ』は小学校の音楽の教科書にも載り、今では国民的愛唱歌となっています。『トトロ』は『ナウシカ』や『ラピュタ』のようなスケールの大きな話でないので、音楽のアプローチも今までの作品とは違っており、優しさと暖かみのある親しみやすいメロディー中心の作品となっています。そんな中、久石さんらしいシンセを使用したミニマム調(同じフレーズが何度も繰り返される曲)の曲などもあり、ありきたりの子ども映画音楽みたいな感じになっていないところが、さすがだなと思います。
  私が『トトロ』の中で特にお気にいりの曲は、映画の中盤でトトロやサツキとメイが傘を持って踊ると木がむくむくと伸びてくるシーンで使われる『風のとおり道』という曲です。この曲は命の持つ神秘さや壮大さ、優しさ、暖かさといったものが聞いていて感じられる名曲です。
Kiki 1989年『魔女の宅急便』
 この映画は宮崎駿作品の中で始めて大ヒットした作品です。この映画の音楽は、聞いていて軽やかで、明るくさわやかな雰囲気を持っています。地中海周辺の地域で流れているようなヨーロピアンエスニック調の曲を意識して作曲された音楽は、映画の舞台となった架空の国の雰囲気を見事に表現しています。
 
Porco 1992年『紅の豚』
 この映画は1920年代末期のイタリアを舞台に男と女が繰りひろげる愛と冒険の物語ということで、音楽もアコースティックな音にこだわり、哀愁とロマンチシズム漂う曲が多いです。また飛行シーンで流れる曲が、浮遊感や飛翔感をみごとに音楽で表現しており、映像にとてもマッチしています。夜に洋酒を飲みながら聞きたい感じの曲が多いです。

Mononoke 1997年『もののけ姫』
 公開当時、大ブームを巻き起こした『もののけ姫』。この映画の音楽は宮崎駿と久石譲のコンビの集大成といった感じの名作に仕上がっています。主人公の気持ちや宮崎監督の思想性を音楽で表現しようというスタンスで制作された音楽はどれも重厚で美しく、映像で表現しきれない主人公たちの思いを見事に表現しています。またこの作品では日本的なものを意識して、西洋的コード進行と違う5音階をベースに作曲したそうです。さらにこの作品の主題歌『もののけ姫』は作詞を宮崎駿が手がけ、カウンターテナーである米良美一をボーカルとして起用し、当時大変話題になりました。
 私がこの作品で一番お気に入りの曲が『アシタカせつ記』という曲で、映画の中でも重要なシーンで使用されていますが、フルオーケストラによる重厚な演奏は『もののけ姫』の持つ壮大で深い世界観やアシタカの思いが見事に音で語られた名曲になっています。

Sen_to_tihiro 2001年『千と千尋の神隠し』
 日本映画史上空前の大ヒットを飛ばした『千と千尋の神隠し』。この映画ではフルオーケストラとエスニックな音を巧みに融合し、映像が持つ独特な世界観を音楽で表現しています。映画の最初と中盤のおにぎりを食べるシーン、ラストと流れるピアノによるテーマ曲はとても美しく、千尋の寂しさや切なさといった心情を音で表しています。私がこの作品で一番好きな曲は『6番目の駅』という曲で、千尋が電車に乗るシーンで使われているピアノソロによる曲です。この曲の持つ寂しさ、孤独感、物悲しさは電車に乗った千尋の気持ちを見事に語っています。
Hauru_santra 2004年『ハウルの動く城』
 コンビ7作目となる『ハウルの動く城』。この作品では『人生のメリーゴーランド』というワルツの曲が、とても印象に残ります。今作品では今までと違い、メインとなる曲を一曲作り、随所に流したいという監督の要望があったそうです。その監督の要望に応えて作られた曲が『人生のメリーゴーランド』です。この曲はとても優雅で美しく、それでいて哀愁を帯びていて、映画のキャラクターやストーリーにとてもマッチしています。
 私はこの作品で一番のお気に入りはラスト近くに流れるトランペットの曲です。トランペットの音色の美しさがメロディーの持つ美しさを引き立てており、胸にぐっと響いてくる曲となっています。 

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スタジオジブリの映画と主題歌

お気に入りのCD.NO8「STUDIO GHIBLI SONGS」
Studio_ghibli_song_2  スタジオジブリの作品といえば、毎回主題歌がとても印象的です。映画の主題歌というと、映画の内容と密接に関係なく、人気のある歌手の曲が使用されることが多いです。しかし、ジブリの作品において主題歌は単なるエンディングに流れる曲という以上に重要な役割を持っています。
 ジブリの映画においてラストに流れる主題歌は、どれも映画の雰囲気やテーマにとてもあっており、年代を超えて観客の心を和ませてくれます。そして、映画を見た後にテレビやCDなどで、主題歌が聞こえてくると、映画の内容を喚起させるだけの力があります。
 ジブリの主題歌は映画のためにオリジナルの主題歌が制作されるときもあれば、既成曲を上手く取り入れる時もあります。前者の代表作は『もののけ姫』や『となりのトトロ』・『天空の城ラピュタ』などがあり、後者ではユーミンの曲を主題歌に使用した『魔女の宅急便』などがあります。私はジブリの主題歌では映画のために制作されたオリジナル主題歌がお気に入りです。特に作詞を宮崎駿・作曲を本編音楽を担当した久石譲が手がけたラピュタの主題歌『君をのせて』や『となりのトトロ』『もののけ姫』などの主題歌は、映画の雰囲気やテーマが伝わる主題歌で、とても完成度の高い曲だと思います。
 またジブリの主題歌ではあまり有名でない実力のあるアーティストを起用されることも多いです。特に『千と千尋の神隠し』の主題歌を歌った木村弓や『もののけ姫』の米良美一などは、映画のヒットに伴い、一気に知名度があがったアーティストでした。ジブリの作品では次にどんなアーティストが起用されるのかも楽しみの一つです。
Treru

 今年公開されるジブリの新作『ゲド戦記』でも手島葵という新人アーティストが起用されるようですが、予告編で流れる歌を聴くと歌声も美しく、歌詞も心に残るものがありました。歌を聴くだけで、映画を見てみたいと思わせる力がありました。映画が公開されると、手島葵もブームになるような気がします。
  ジブリの主題歌で使われる曲はどれも年代を問わず誰が聞いても楽しめ、心が和まされます。ぜひ家庭に1枚ジブリの主題歌のCDをお持ちすることをお奨めします!

お奨めスタジオジブリ主題歌CD!
『STUDIO GHIBLI SONGS』徳間ジャパンコミュニケーションズ
1. 「風の谷のナウシカ」~風の谷のナウシカ(安田成美) 
2. 「天空の城ラピュタ」~君をのせて(井上あずみ) 
3. 「となりのトトロ」~さんぽ(井上あずみ) 
4. 「となりのトトロ」~となりのトトロ(井上あずみ) 
5. 「火垂るの墓」~はにゅうの宿(アメリーダ・ガル=クリチ) 
6. 「魔女の宅急便」~ルージュの伝言(荒井由実) 
7. 「魔女の宅急便」~やさしさに包まれたなら(荒井由実) 
8. 「おもひでぽろぽろ」~愛は花,君のその種子(都はるみ) 
9. 「紅の豚」~さくらんぼの実る頃(加藤登紀子) 
10. 「紅の豚」~時には昔の話を(加藤登紀子) 
11. 「海がきこえる」~海になれたら(坂本洋子) 
12. 「平成狸合戦ぽんぽこ」~アジアのこの街で(上々颱風) 
13. 「平成狸合戦ぽんぽこ」~いつでも誰かが(上々颱風) 
14. 「耳をすませば」~カントリーロード(本名陽子) 
15. 「On Your Mark」~ON YOUR MARK(CHAGE&ASKA) 
16. 「もののけ姫」~もののけ姫(米良美一) 

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『ナイロビの蜂』この映画を見て!

第69回『ナイロビの蜂』
Nairobi  今回紹介する映画は今年度アカデミー賞でレイチェル・ワイズが助演女優賞を取った作品『ナイロビの蜂』です。この作品、日本では同時期公開の『ダヴィンチ・コード』の影に隠れてしまっていますが、とても素晴らしい作品です。冒険小説の巨匠ジョン・ル・カレの同名ベストセラーを、『シティ・オブ・ゴッド』で一躍有名になったフェルナンド・メイレレス監督が見事な手腕で映画化しています。『シティ・オブ・ゴッド』はブラジルのスラム街におけるギャングの盛衰と、その中でジャーナリストになることを夢見る少年の話を躍動感ある映像で見せた傑作でしたが、今回の作品も監督の持ち味が存分に発揮された映画です。
 私はこの作品を実際に映画館で見るまでは、宣伝の仕方からして、異国の地で白人たちが織り成す甘いメロドラマかと思いこんでいました。ところがいざ見てみると、非常に骨太な社会派作品であったので、びっくりしました。もちろん宣伝なので言われているように、夫婦の愛や絆が描かれている作品なのですが、それよりも夫婦がアフリカで直面する多国籍企業による搾取の生々しい現状のほうに目が奪われてしまいました。
 ストーリー:「ケニアのナイロビ。ガーデニングが趣味の英国外務省一等書記官ジャスティン。彼にはアフリカの貧困層に対して救援活動を続ける妻テッサがいた。しかし彼は妻の行動には関心を持たず、見ない振りをして、ガーデニングに熱中していた。そんなある日、テッサは救援活動中に何者かに殺されてしまう。現地の警察はよくある殺人事件の一つとして処理しようとしていた。しかし、事件に不審なものを感じたジャスティンは、自ら調査に乗り出す。やがて、彼は事件に新薬開発をめぐる国際的陰謀が絡んでいたことを知る。妻が一体アフリカの貧困層で何をしようとしていたのか懸命に探ろうとするジャスティン。しかし、そんな彼にも身の危険が迫っていた・・・。」
 この作品はラブストーリーを期待して見た人は、予想外のストーリーにかなり衝撃を受けるはずです。アフリカの貧困層の過酷な現状や、先進国が開発途上国を食い物にして利益を得ようとする姿がストレートに描かれており、非常に考えさせられる作品です。命の重さとは何か映画を見終わって考え込んでしまいました。
 見て見ぬふりをする夫と見て見ぬふりができなかった妻。妻はアフリカの貧困層の現状を変えようと戦い死んでいき、夫はそんな妻の亡き後を追う中でアフリカの厳しい現実と向き合い、妻が何をしようとしていたのか理解するようになる。この作品は妻の遺志を夫が継いで果たすまでを描く作品であり、夫が妻を理解し彼女の元に返るまでを描いた作品です。映画のラストはとても物悲しいですが、夫婦の絆が深まったという点では良かったのかもしれません。
 この作品はストーリーの素晴らしさはもちろんのこと、映像や演技においても見ごたえのある作品です。映像においては手持ちカメラによるドキュメンタリータッチの生々しい映像やアフリカの雄大な大地をロングショットで捉えた美しい映像が印象に残りました。また映像の色彩がアフリカのパートでの鮮やかな色彩とヨーロッパのパートでのくすんだ映像のコントラストが印象的でした。また現代と過去と時系列が交錯した編集の仕方も素晴らしかったです。
 また演技においては、レイチェル・ワイズがアカデミー賞を取っただけあって印象的です。『ハムナプトラ』シリーズのヒロイン役としか個人的に印象がなかった彼女がこんなに演技が上手いとは驚きました。彼女演じる妻テッサの母性と女性と両方の魅力を持ち合わせた姿がとても印象的でした。レイフ・ファインズも最初は頼りなさそうな夫でありながら、後半は妻を思いながら孤独に戦う男の葛藤を見事に演じていました。ラストの湖での全てを受け入れた彼の姿は胸にぐっときました。またストーリーとは関係ないですが、時折映るスラム街の子どもたちの笑顔もとても心に残りました。
 この映画は、ラブストーリーとしても、社会派サスペンスとしても味わいがある作品です。ラストは切なく、そして重いです。しかし見終った後、愛とは何か、命とは何かなど、いろいろと考えさせてくれる作品です。現在劇場で公開されているので、ぜひ見てみてください。

制作国 イギリス
製作年度 2005年
上映時間 128分
監督 フェルナンド・メイレレス 
原作 ジョン・ル・カレ
脚本 ジェフリー・ケイン
出演 レイフ・ファインズ 、レイチェル・ワイズ 、ユベール・クンデ 、ダニー・ヒューストン 、ビル・ナイ 

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『べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章』街を捨て書を読もう!

『べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章』
Beteru  
日本ではまだまだ精神障害を持つ人に対して偏見や差別が根強く、彼らを異質な者、危険な者としてみなしてしまう風潮があり、精神障害を持つ人は大変生きづらい状況に置かれています。
 そんな中、北海道・浦河町にある浦河べてるの家では、精神障害をもつ人たちが地域の一員としていきいきとした生活を送っています。べてるの家は精神障害を持っている人が共同で生活をしたり、昆布の販売を行ったり、自分の病の研究をしたりしています。べてるの家の特徴は、精神障害を病気捉えて治療し、社会復帰をめざすのではなく、精神障害をもっている人の悩みや弱さをそのまま受けいれ、問題だらけの人生を肯定する援助を行っているところです。今回紹介する本はそんな「べてるの家」の非援助論を当事者たちや関係者が熱く語った本です。この本は福祉関係者の人はもちろんのこと、現代社会で生きにくさを感じている人にぜひ読んで欲しい本です。「成功」や「効率」「合理化」という右肩上がりを目指す社会の中で「失敗」「非効率」「不合理」な右肩下がりの生き方を大切にしようとするべてるの家。そんなべてるの家の考えは現代社会の問題点を見事に浮かび上がらせます。べてるの家では生きる苦労・失敗や弱い自分の尊重、仲間同士の語り合いをとても大切にします。そして精神障害者がもつネガティブなものをポジティブなものへと転換させ、心の病があっても充実した生き方ができることを提示します。
 私はこの本を読んでとても衝撃を受けると同時に、能力主義がはびこるこの社会で生きるのがとても楽になりました。今まで自分の中ではびこっていた価値観に大きくヒビが入り、今までにない風が吹き込んできました。そして一人一人の人が抱える弱さや苦労そのものを尊重し、見守っているべてるの人たちの姿に、これからの自分の援助の姿勢を問われたような気がしました。
 ぜひ、みなさまも読んでみてください!
 

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『ゲド戦記』の映画化について

Gedo  昨日テレビで今年の夏にスタジオジブリが公開する『ゲド戦記』の第2弾予告編が放映されており、思わず食い入るように見てしまいました。
 『ゲド戦記』は『指輪物語』『ナルニア国物語』と並んで世界三大ファンタジー小説の一つといわれている作品であり、世界中に熱狂的なファンのいる作品です。
 『ゲド戦記』は作者ル=グウィンの緻密に設定された世界観、登場人物たちの細やかな心理描写、作者の思想性が反映された味わいのある文章が魅力的な作品です。私は基本的に『ゲド戦記』は言葉で読んでこそ意味のある作品であり、映像化には向かない作品だと思っていました。その作品をスタジオジブリが映画化すると聞いたとき、とても驚きました。原作者であるル=グウィン自らが宮崎駿に映画化して欲しいと話を持ちかけたみたいですが、『ゲド戦記』のジブリによる映像化は興味がある反面とても不安でもあります。
 監督は宮崎駿でなく、息子である宮崎吾郎が初監督として挑戦するそうですが、初監督作品が『ゲド戦記』とは大変だと思います。予告編を見る限りは宮崎駿が昔、書いた『シュナの旅』という絵物語に非常に近いタッチの画が多く見られました。映像面においてはジブリだけにそれなりのクオリティが保障されると思います。ただ予告編を見ると、原作とかなり話しが違うようで、シナリオがどのようなものになるのかとても気がかりです。
 今回の映画は『ゲド戦記』の3作品目に当たる『さいはての島へ』を中心にしたストーリーとなるそうですが、予告編を見ると、3作目に出ない登場人物が出てきたり、原作にはないシーンがちらほら出てきたり、アレンジがかなりされているようです。また主人公のアレンの設定はかなり変わっているようです。原作の『ゲド戦記』は主人公たちの心理描写に重点を置いており、物語の流れ自体はとても淡々としたものです。そのままのストーリーでは万人受けする映画には少しなりにくいかもしれませんが、ジブリなりのアレンジをしすぎて原作の良さを壊してしまわないか心配するところです。まあ映画と原作はまったくの別物ですので、あまり原作との違いを気にしないほうがいいとは思うのですが、あれだけ世界的に有名な原作を使うのだから、できるだけ素材を活かしておいしく料理してほしいなと思うところです。
 ちなみに予告編にながれていた『テナーの唄』は印象に残る歌詞と素朴な歌声がとても素敵で、聞き惚れてしまいました。
 期待と不安が交錯するスタジオジブリ版『ゲド戦記』ですが、何やかんや言っても、夏の公開が非常に待ち遠しいです。

『ゲド戦記』公式サイト:http://www.ghibli.jp/ged/
 

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『ゲド戦記Ⅲ さいはての島へ』街を捨て書を読もう! 

『ゲド戦記Ⅲ さいはての島へ』 著:ル=グウィン 訳:清水真砂子 岩波書店
さいはての島へ―ゲド戦記 3 今回紹介する本はスタジオジブリが今年の夏に公開する新作映画『ゲト戦記』の原作『ゲド戦記Ⅲ さいはての島へ』です。
 ゲド戦記はアースシーという架空の世界を舞台に、魔法使いゲドの人生とゲドと出会い運命が変わっていった人たちの姿を描いた傑作ファンタジーです。1作目『影との戦い』はゲドが魔法使いとなり、自らが闇の世界から呼び出したと影と対決をするまでの冒険と己を見つめ成長していく姿が描かれて、2作目『こわれた腕輪』では少女テナーが主人公となり魔法使いゲドと出会い、自らに課せられた宿命を乗り越え自由を手に入れるまでが描かれました。そして今回紹介する3作目『さいはての島』では年を取り大賢人となったゲドと若き王アレンが失われてきた世界の均衡を回復するために世界の果てまで旅をする姿が描かれます。
 第3作目は若き王であるアレンが主人公であり、彼が大賢人となったゲドと過酷な旅をする中で人間として成長していく姿が克明に描かれる作品となっています。世間知らずで純粋な心を持つアレンが過酷な冒険をしていく中で葛藤し苦悩していく中で、多くのことを学び、真の勇気を身につけていく姿はとても感動的です。旅の途中でアレンはゲドに対して信頼と不信、共感と反発という相反する感情の中で激しく葛藤します。しかし、そんなアレンが葛藤を乗り越えるごとに、ゲドに対してより深い信頼を寄せ、そしてゲドと対等な関係を結んでいきます。この作品はアレンとゲドの交流を通して、人間同士の絆がどうやって結ばれていくかということが説得力を持って語られています。

「最初の頃の、あのほとばしるような、熱烈で、甘美な敬愛の情ではなかった。それよりももっと深いところにひそんでいた両者の結びつきが、今しも引き出されて、ゆるぎない、強靭なきずなに鍛え直されようとしているかのようだった。アレンはそれにじっと耐えていた。ゲドの痛みをともに分かちあっていた。それなしには、どんな愛ももろく、不完全で、長続きはしない。」

 またこの作品はアレンの成長物語としてだけでなく、老年期を迎えたゲドの死に対する意識を描いた作品としても読むことが出来ます。生きている限り、誰しもが必ず迎えなければならない死。死というものをどのように受け止め、自らの限りある生を歩んでいくか、この映画はゲドの姿を通して語っていきます。この作品では、死を闇雲に恐れるのでなく、生の大切な一部分として受容していくことの大切さが語られます。

「ここにいたって、わしにはわかるのだ。本当に力といえるもので、持つに値するものは、たったひとつしかないことが。それは、何かを獲得する力ではなくて、受け容れる力だ。」

 『さいはての島』はアースシーのさまざまな場所を舞台に物語が繰り広げられていくのですが、物語自体は決して明るく楽しい冒険物語ではありません。どちらかというと暗く重苦しい雰囲気に包まれた作品です。魔法の力が失われ、世界は混沌とし、人々の心が荒んだ時代。そんな時代の中で、その原因が何なのかを探し出そうとするゲドとアレンの孤独な旅。死を予感し、未来に希望を託そうとするゲドとこれから未来を築いていくアレンの2人の姿を通して、この世界はどういうものか、生きるとは何か、死ぬとは何かについて、深い考察がなされた作品です。物語のラストは希望の到来と一つの時代の終焉が描かれます。読者は読み終わったあと、きっと深い感動に心が満たされると思います。 

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『羅生門』この映画を見て!

第68回『羅生門』
羅生門 デラックス版 今回紹介する映画は日本を代表する映画監督・黒澤明の傑作『羅生門』です。この映画は日本映画で初めてヴェネチア映画祭にて金獅子賞、アカデミー賞でも外国映画賞を取るなど世界中の映画関係者・映画ファンにも絶賛された世界に誇れる日本映画です。
 この映画は芥川龍之介の『藪の中』と『羅生門』を基に脚本が書かれています。森の中で起こった一つの事件をめぐり、当事者たちが食い違う証言をしていきます。二転三転する事件の動機やその内容。真実はいったいどうだったのか明確な答えは示されないまま映画は終わります。この映画の面白さは、同じ事件なのに証言者によって事件の内容が違ったものになってしまうところです。どの証言者がいっていることも筋が通っており、いったい何が真実なのか、見ている側は考え込んでしまいます。また証言者たちの話す内容はどれも
人間の醜いエゴや業といったものが浮きぼりになるようなものばかりで、見ている側は人間の負の部分をとても痛感せざるえないと思います。
 この映画、ストーリーだけでなく映像面でもとても素晴らしく、太陽に直接キャメラを向けた画期的撮影や森の中の役者を追う移動カメラによる撮影、そして雨の降りしきる羅生門と印象にのこる映像が多い作品です。また音楽もボレロ風の反復音楽で印象に残ります。 あとこの映画の大きな見所として役者たちの重厚な演技があります。特に三船敏郎のぎらぎらしたエネルギーが感じられる演技と、京マチコの色気と場面によってさまざまな表情を見せる演技は素晴らしいの一言です。
 この映画は戦後すぐに制作されていますが、現代の私たちが見ても面白く、いろいろ考えさせられるところが多いです。ぜひ日本映画を代表する『羅生門』一度は見てみてください!

製作年度 1950年
上映時間 88分
監督 黒澤明
脚本 橋本忍 黒澤明
原作 芥川龍之介
音楽 早坂文雄
出演 森雅之 、千秋実 、三船敏郎 、京マチ子 、志村喬 、千秋実、加東大介、本間文子

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『シュナの旅』街を捨て書を読もう!

Syuna 『シュナの旅』 著:宮崎駿 徳間書店アニメージュ文庫
 今回紹介する本は『風の谷にナウシカ』や『ハウルの動く城』など数々の名作アニメを監督した宮崎駿が80年代に書いた絵物語です。この作品はとても地味な作品で、知っている人も少ないと思いますが、宮崎駿のエッセンスが詰まった傑作です。
 『シュナの旅』はチベットの民話「犬になった王子」に感銘を受けた宮崎駿が、映画化しようとしたものの制作できず、変わりに絵物語として出版された作品です。ストーリーはとてもシンプルで地味なものですが、読み終わったあと、深い感動に包まれます。
ストーリー:「作物の育たない貧しい国の王子シュナは、大地に豊饒をもたらすという金色の種を求め、西へと旅に出る。つらい旅の途中、人間を売り買いする町で商品として売られている姉妹と出会う。彼女らを助けた後、ひとりでたどり着いた「神人の土地」で、金色の種を見つけるが、それと引き換えに彼は記憶を失ってしまう・・・。」
 この作品は荒廃した世界の中で、何とか生き延びようとする人間たちの勇気とたくましさを描いた作品です。そして、どんな絶望の中でも常に希望は存在し、その希望に向かって困難な状況に立ち向かっていく人間の美しさや崇高さを描いた作品でもあります。
 主人公の少年は『もののけ姫』のアシタカのような青年であり、ヒロインのテアはナウシカやシータのようなたくましい少女です。この2人が絶望的な世界で何とか生き延びようと立ち向かう姿は読んでいて、胸を打つものがあります。物語は前半は荒廃した世界の過酷な現実に直面した青年シュナの孤独な戦いを描き、後半はシュナの手により奴隷から解放されたテアのシュナへの献身的な愛が描かれます。物語の後半のテアのシュナへの献身的な愛と、それによって自分を取り戻していくシュナの姿は読んでいてとても感動的です。
 またこの作品は水彩画で全編描かれているのですが、とても美しい色彩です。また描かれる世界も荒廃した世界でありながら、魅力的でもあります。特に物語中盤の神人の土地の絵は、宮崎駿のイメージの豊かさに圧倒されると思います。さらに『もののけ姫』で登場したヤックルそっくりの動物も登場します。
 私はこの作品を読むと今度スタジオジブリで映画化される『ゲド戦記』の原作に宮崎駿がかなり影響を受けていることがよく分かります。ストーリーの展開も主人公の設定も、その世界観もどこか『ゲド戦記』を思い出させるものがあります。もし、この作品が気に入ったなら『ゲド戦記』も読んで欲しいと思います。
 この作品は地味な作品ですが、宮崎駿らしさがとても詰まった作品です。『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』が好きな人は買って損はないと思いますよ!

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『ゲド戦記Ⅱ こわれた腕輪』街を捨て書を読もう!

『ゲド戦記Ⅱ こわれた腕輪』著:ル=グウィン 訳:清水真砂子 岩波書店
こわれた腕環―ゲド戦記 2 今回紹介する本はゲド戦記シリーズ第2作目『こわれた腕輪』です。第1作目『影との戦い』はゲドが魔法使いとなり、自らが闇の世界から呼び出したと影と対決をするという話でした。第1作目はゲドが過酷で孤独な冒険をしていく中で、己を見つめ成長していく姿を克明に描き出していました。
 第2作目はそんなゲドは脇役へと回り、テナー(アルハ)という少女が主人公となります。話し自体も第1作目と多少は関連性はあるものの、全く独立した話しとして読むことができます。
 第2作目は古代から存在するアチュアンの墓所とその下にある暗黒の地下迷宮が舞台になります。墓所は代々巫女の手によって守られているのですが、ある日、大巫女が亡くなり、その大巫女の生まれ変わりとして選ばれた幼き少女テナーが墓所に連れてこられます。テナーは自らの名前を奪われ、新しくアルハ(喰われし者)という名前を与えられ、死ぬまで墓所を守るべき者として生きることを強いられることになります。墓所は戒律と儀式で満ちており、時が止まったような世界。アルハはそんな世界で淡々と自らの役割を果たす生活を送っていたのですが、ある日地下迷宮に眠る秘宝「エレス・アクベの腕輪」の片割れを求めてゲドが墓所に現れた時から、彼女は自らの生き方に激しい葛藤を覚えるようになります。
 今回の物語は少女の自立への葛藤をテーマにしています。伝統や習慣に縛られ主体性を奪われた人間が自由を手に入れ主体性を取り戻すまでの内面の不安や葛藤を克明に描いていきます。自由は素晴らしいものであるものの、時に人にとって重荷になることを作者はテナーの葛藤を通して描きます。ラストのラストまでテナーは自由を手に入れることに恐怖を覚えます。自分が自分の人生の主人となることがいかに困難なことであるかを痛感させられます。物語の終盤に作者は自由について読者に次のように語りかけます。

「自由はそれをになおうとする者にとって、実に重い荷物である。勝手の分らない大きな荷物である。それは決して気楽なものではない。自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は、必ずしも容易なものではないのだ。」

 また今回の物語ではゲドはテナーを自由へと導く者として読者の前に現れます。ゲドは彼女を墓所の呪縛から解放させようと語りかけ、信頼関係を築いていく姿は感動的です。自立をしていくためには信頼できる他者の助けが必要であることをこの物語はテナーとゲトとの交流を通して描いていきます。

「あんたには知識がある。わたしには術がある。そしてわたしたちふたりの間には・・・・。」男は口ごもった。
「エレス・アクベの環がある。」
「そうだな。しかし、わたしはもうひとつ別のことを考えていた。信頼と呼ぼう。・・・・・そう、たしかにそう呼んでいい。
これはすばらしいものだ。おたがい、ひとりでは弱いけれど、信頼があれば、わたしたちは大丈夫だ。」
 
 第1作目はアースシーの様々な島を舞台に物語が展開され、スケールの大きい話でしたが、今回はアチュアンの墓所と地下迷宮という非常に限定された場所を舞台に物語が展開されます。前作が広い世界を転々と旅するゲドの姿を描く中で、己という存在と向き合う話しだとすれば、今作は閉鎖的な世界で、己を失ったテナーが己を取り戻し、世界の広さを知るまで描いた話しです。前作が自分探しの話しだとすれば、今作は自分探しを始めるまでの話しです。
 『こわれた腕輪』は自分を見失いかけた時に読むと、とても励まされる作品です。ぜひ、皆さまも読んでみてください!
 

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