« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006年2月

『白い巨塔』この映画を見て!

第57回『白い巨塔』(劇場版)
見所:「田宮二郎のぎらぎらした演技、権力にまみれた人間たちの醜さ」
white_stone  現在、テレビで2004年に放映された唐沢寿明主演の『白い巨塔』が再放映されています。この作品は欲望渦巻く医学界の内幕を描き、何度見ても面白い作品です。この作品は何回も映像化されており、特に有名なのが、2004年の唐沢版『白い巨塔』と1978年の田宮版『白い巨塔』の2作品です。特に1978年のドラマは主演の田宮二郎が収録直後に自殺し、伝説的ドラマとなっています。今回紹介する映画はそんな田宮次郎が初めて財前教授役で主演した映画です。
 原作は山崎豊子が執筆。63年から65年にかけてサンデー毎日で連載され、大評判を呼びました。当初は第一審で財前教授が勝訴し、原告側の証言台に立った里見医師が病院を去るところで終わっていました。しかし、読者からの要望で67年から68年にかけて続編が執筆され、財前教授が第二審で裁判に負け、癌に倒れるラストまでが描かれました。
 今回紹介する映画は、続編が書かれる前に制作されているます。そのため、テレビのラストとは違い、財前教授が裁判に勝訴し、里見教授が去るところで終わります。その為に後味がとても悪く、権力を巡る人間の醜さと嫌らしさが前面に押し出された作品となっています。
 この作品の魅力は大学病院という権力の砦の中に渦まく欲望に対する様々な人間模様を描いたところにあります。権力を握りたい人間たち、権力にしがみつく人間たち、権力にひれ伏す人間たち、権力に反発する人間たち。権力の前で人間は如何に弱い存在か、権力が個人という人間にとって如何に冷酷なものか、この作品は観客に訴えます。
 この映画の見所は前半の教授選を巡る東教授と財前助教授の攻防シーンと後半の医療裁判を巡る財前教授と里見助教授の法廷での対決シーンの2つです。
 前半の選挙戦は何がなんでも教授になりたい財前と何が何でも彼を蹴落としたい東教授の熾烈な裏工作合戦が繰り広げられます。このシーンは派閥の中で自分の保身ばかり考える人間の醜さや嫌らしさがこれでもかと描かれます。
 また後半の裁判では権力の保身が描かれます。前半で財前教授を嫌っていた人間たちも、医学界の威信にかけて、彼を守ろうとします。権力を持つ者たちが権力を維持するために結束する姿は見ていてぞっとします。ラストシーン、里見教授が病院を去るシーンは悪に正義が敗北するという重い結末で、見る者に生々しい現実を突きつけます。
 監督は『真空地帯』『戦争と人間』などの社会派映画の巨匠・山本薩夫。脚本は『七人の侍』『砂の器』『八甲田山』『日本沈没』などの名作を手がけた橋本忍。この2人の力量で、この映画は膨大な原作を150分というコンパクトな時間にまとめ、緊張感漂うドラマに仕上がってます。また手術シーンはとてもリアルで、白黒映像でなかったら正視できないかもしれません。
 役者も田宮二郎を始め、加藤嘉、東野英治郎、田村高広、石山健二郎、小川真由美、藤村志保、下條正巳、加藤武と豪華な顔ぶれです。特に財前を演じた田宮次郎のぎらぎらした演技は見物です。自信過剰で権力欲に取り憑かれた男の嫌らしさや憎らしさを見事に表現しています。また周囲の役者も権力に取り憑かれた人間のあさましさを見事に演じてます。
 古い映画であり、ドラマと比べてはっしょっている部分も多いのですが、役者の演技と緊張感ある脚本と演出で一気に見せてくれます。ぜひ、唐沢版『白い巨塔』に夢中になった人はこの映画も見て損はないと思います。
製作年度 1966年
製作国・地域 日本
監督 山本薩夫 
製作総指揮 - 
原作 山崎豊子 
脚本 橋本忍 
音楽 池野成 
出演 田宮二郎 、小川真由美 、東野英治郎 、滝沢修 、船越英二

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『タワーリング・インフェルノ』この映画を見て!

第56回『タワーリング・インフェルノ』
見所:「燃える138階建てのグラスタワー、消防士たちの炎との格闘。」
タワーリング・インフェルノ 今回紹介する映画は70年代を代表するパニックアクション大作『タワーリング・インフェルノ』です。この映画は当時流行していたパニック映画の頂点を目指すべく、ハリウッドを代表する20世紀FOXとワーナー・ブラザースという二つの制作会社が手を組み、一流のスタッフとキャストで制作されました。特にキャストは当時人気だったポール・ニューマンとスティーブ・マックィーンの2人をW主演に据え、脇役にウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、名優フレッド・アステア、ジェニファー・ジョーンズ、ロバート・ボーン、ロバート・ワグナーといった大物俳優が起用されました。昔を知っている映画ファンでないと名前を聞いてもあまりピンとこないかもしれませんが、ブラッド・ピットとトムクルーズが主演を演じているようなものです。これだけ大物俳優が大挙出演している作品は現代のハリウッドでもなかなか制作できないと思います。
 私がこの映画を見たのは幼稚園の時です。最初見たときは、迫力のある映像、緊迫したドラマ、スティーブ・マックィーンの格好良さに終始圧倒されっぱなしでした。それからテレビで放映される度に欠かさず見たものでした。パニック映画はこれ以外にも『ポセイドン・アドベンチャー』や『大地震』『エアポートシリーズ』などたくさんありますが、この映画はその集大成といった感じです。
 この映画はもう30年以上前の映画ですが、今見ても色褪せることなく輝く映画です。この映画は撮影のために30メートル以上あるミニチュアのビルを作り、5階建てのセットを各撮影所に作ったそうです。実際にセットやミニチュアに火を放ち撮影した映像は今見ても迫力満点です。またポール・ニューマンとスティーブ・マックィーンというW主演の演技も見物で、特にスティーブ・マックィーンは仕事一筋の消防隊長を渋い演技で、観客に強い印象を残します。
 ストーリー「サンフランシスコに建てられた、地上138階建ての超高層ビル『グラス・タワー』。その落成式当日、電気系統のチェック中に地下にある発電機からぼやが発生。すぐに火は消し止められたが、時同じくして81階の倉庫でもぼやが発生していた。しかし誰も気付くことなく、火は倉庫を燃やしていた。そして夜になり、各界の著名人を集め、134階で落成式のパーティーが始まる。その頃、火災は倉庫から階全体に燃え広がり始める。防火設備の不備の中、またたく間に炎に包まれるグラスタワー。ビルにとり残された人々を救うため、ビル設計者や消防隊長らは救出に向かう。
 昨年末からマンションの偽装問題が日本中を震撼させましたが、この映画もビルのオーナーや工事担当者がコストダウンをするために、設計とは違う電気系統の偽装工事をして、火災に至ります。そういう意味で、この映画は決してフィクションの話しではなく、今見てもリアリティのある話しです。責任をなかなか取ろうとしないオーナーや工場担当者の姿はヒューザーの社長を思い出させます。この映画は人災の恐怖を描き、警鐘を促します。
 この映画は火災が発生するまでのテンポがゆったりしていますが、それ以降は見せ場の連続です。宙づりになったエレベーターの救出、ビルとビルとをロープでつないでのゴンドラによる救出、そしてラストの大胆な消火方法。手に汗握るシーンの連続で、息つく暇がありません。当時はCGもない時代だったので、ほとんど実際の炎を使用し、スタントマンが危険なシーンを演じています。その為、最近にはない生の迫力があります。また人間ドラマとしても、老詐欺師と未亡人との恋などほろりとさせるものがあります。ラストの老詐欺師の表情は見ていて切なかったです。さらに消防士の命がけの活躍も丁寧に描かれおり、好感が持てます。小さいときはこの映画を見て、消防士に尊敬の念を抱いたものでした。映画のラストの消防隊長のセリフなどは建築関係者にとってはとても重い一言です。
 古い映画ではありますが、今見ても充分楽しめる作品です。また現代の建築に対して警鐘を鳴らす作品でもあります。ぜひ見てみてください。

| | コメント (6) | トラックバック (9)

『バット・テイスト』この映画を見て!

第55回『バット・テイスト』
見所:「ぐろっとさわやかな映像、B級テイスト満載なノリ。」
bat_taste  今回紹介する映画は『キング・コング』『ロード・オブ・ザ・リング』を監督して、今やヒットメーカーとなったピーター・ジャクソンのデビュー作品『バット・テイスト』です。この映画は自主制作なので安っぽい作りなのですが、監督の巧みな演出と過激なスプラッターシーン、下らないギャグ満載のストーリー展開でカルト的人気を誇っています。
 この映画は、メジャーデビューする前のピーター・ジャクソンが新聞者に勤めながら、その合間を縫って友人たちと4年以上かけて制作した作品です。ピータージャクソンが監督・脚本・撮影・編集・特殊効果など全て一人で担当しています。自主制作ながら、大胆なカメラワークや巧みな編集の仕方などはほとんどプロ並みです。また特殊効果も気合いが入っており、ミニチュアを使った爆破シーンなどもあります。ちなみにDVDに特典として付いていたメイキングを見るとカメラの機材や大道具・銃器などの小道具に至るまで全て手作りしたということ、その並々ならぬ情熱と努力に頭が下がりました。この映画を見るとピータージャクソン監督のセンスと才能を再認識させられます。この監督だからこそ、あの超大作『ロード・オブ・ザ・リング』を7年かけて制作できたのでしょう。しかし、この映画が劇場公開された当時は、ピータージャクソンが後に大作『ロード・オブ・ザ・リング』を制作し、アカデミー賞で監督賞まで取るとは誰も思わなかったでしょう。
 この映画のストーリーは単純で人間をファーストフードの材料にしようと企む宇宙人を特殊部隊が退治するという内容です。ストーリーは別に大したことがなのですが、その見せ方がとても面白く、飽きることなく最後まで見られます。自主制作なので舞台も小さな村一つです。そこで宇宙人と特殊部隊の対決が描かれるのですが、過激なスプラッターシーンとお馬鹿でブラックなギャグが随所に盛り込まれ、見るものを圧倒し呆れさせます。特にスプラッターシーンは悪のりしすぎで、気持ち悪いを通り越して笑ってしまいます。(但し、そういう映画に免疫のない人は失神すると思います。)また映画のラストシーンのぶっ飛んだ展開は見る者の思考能力を停止させます。このラストシーン、私は映画史に残る名シーンだと思います。
 またこの映画ではピータージャクソン自身が一人3役務めており、最低なキャラクターを最低に演じており、笑ってしまいます。特にピータージャクソン演じる特殊隊員の一人デレクというキャラクターはいかれっぷりが最高です。この映画では美味しい役どころをピータージャクソンが全てさらっています。
 この映画はとても下品でお馬鹿な映画です。しかし、一度はまると病みつきになります。この映画にはピータージャクソンの映画愛が詰まっています。『キング・コング』『ロード・オブ・ザ・リング』の原点がここにあります。是非、見てみてください!
製作年度 1987年
製作国・地域 ニュージーランド
上映時間 99分
監督 ピーター・ジャクソン 
脚本 ピーター・ジャクソン 、ケン・ハモン 
音楽 ミッシェル・スカリオン 
出演 テリー・ポッター 、マイク・ミネット 、ピート・オハーン 、ピーター・ジャクソン 、クレイグ・スミス 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』この映画を見て!

第54回『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』
見所:「不条理で幻想的なストーリー。ユートピアという名の友引高校学園祭」
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 今回は私が大好きなSFアニメ映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』を紹介します。「うる星やつら」というと高橋留美子原作で80年代にテレビアニメ化もされ、人気を博した作品でした。私もよくテレビであたるとラムを中心に展開されるラブコメディをいつも楽しみに見ていました。映画化も今回紹介する作品をあわせて、合計4本制作されています。
 さて今回紹介する作品は「うる星やつら」シリーズの中でも異色の作品であり、カルト的な人気を誇っています。監督は『攻殻機動隊』『機動警察パトレイバー』の監督で有名な押井守。この映画は監督の色が強く出ており、「うる星やつら」を知らない人が見ても十分に楽しめる内容になっています。
 ストーリー:「友引高校の文化祭前日”。ラムもあたるも泊まり込んで仲間と共に楽しく準備をしていた。しかし、温泉マーク先生はこの世界のある異変に気付く。“友引高校の文化祭前日”がどういうわけか繰り返し毎日続いているのではないかと考える温泉マーク先生。そして、家に訪問して生きたサクラさんに相談する。しかし、次の日、温泉マーク先生は消えてしまう。そして、その後もあたるやラム、面堂やメガネたちレギュラー陣を除き、友引町から人々が次々と姿を消していく。」
 この映画を最初に見たときは、幻想的で予測不能なストーリーの緊張感に引き込まれ、謎が解き明かされていく後半の怒濤な展開に圧倒されたのを覚えています。中盤に友引高校とその周辺の謎が解き明かされるシーンがあるのですが、そのシーンは何度見ていて鳥肌が立ちます。またその後に描かれるユートピア世界も見ていて魅力的です。
 この映画で描かれるテーマは夢と時間、そしてユートピアです。
 今いる世界が現実に存在するのか、それとも夢という虚構の世界なのか?もしこの世界が誰かが見ている夢の中で、自分は夢の中で存在しているの
だったら・・・。自分が今いる世界は現実か夢なのか?いったいそれを誰が証明できるのか?この映画はそんな現実と虚構の世界の曖昧さを描きます。そして時間という概念が人間の意識が作り出した産物にすぎないのではという哲学的問題提起を観客に投げかけます。
 またこの映画は理想の世界・ユートピアの魅力と虚しさを描きます。退屈な日常から離れ、友だちとワイワイがやがや騒ぎながらお祭りの準備をする楽しさ。ずっと永遠にこの時間が流れたなら、どんなに楽しいことか?こんな思いを皆さんも抱いたことがあると思います。この映画はそんな祭り前日の準備が永遠に続く世界を描きます。そして、映画の後半は友人以外誰もいなくなった廃墟の友引町が描かれます。そこでは時間も社会も存在せず、ただ友だちと遊びほうけるだけの日常が繰り返されます。社会的役割も義務も負わず、自分を邪魔をするものが誰もいない世界。それは自分にとって理想的な世界です。しかし、それと同時にそんな世界の退屈さや虚しさを描きます。自分にとって必要なものしかない時間の止まった世界の退屈さと虚しさ。この映画はユートピアの抱える魅力と虚しさという二面性を描きます。
 映画のラストは、一瞬現実に戻ったようにも思えますが、よく見るとこの世界がまだ夢の世界なのか、現実の世界に帰還したのか曖昧なまま終わります。それは現実と虚構の曖昧になった世界。それは現実の虚構化と虚構の現実化が進んできた現代において決して映画の中の出来事だとは言えない時代になってきています。そういう意味この映画はとても時代を先取りした映画だと思います。
 この映画は今見ても面白く、とても考えさせられるアニメ映画です。原作を知っている人も知らない人もお奨めの一本です!
製作年度 1984年
製作国・地域 日本
上映時間 98分
監督 押井守 
原作 高橋留美子 
脚本 押井守 
音楽 星勝 
声の出演 平野文 、古川登志夫 、神谷明 、杉山佳寿子 、島津冴子

 
 
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 』この映画を見て!

第53回『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
見所:「ノスタルジックな昭和の風景、野原一家の未来をかけた対決」
映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 昨年大ヒットした邦画『ALWAYS 三丁目の夕日』。この映画は高度成長期を迎える昭和30年代を舞台に庶民の夢と人情に満ちた生活を描き出していました。この映画は昭和33年当時のノスタルジックな風景をリアルに再現して、多くの人を魅了しました。人々はまだ未来に夢を持つことができ、貧しいながらも人々が助け合い希望をもって前に進んでいた時代。未来にも夢を持てず、人と人とのつながりが希薄になった現代。この映画は当時を知る人だけでなく、若い人にも反響を呼び、単なる懐かしさをこえた感動を呼びました。
 さて『ALWAYS 三丁目の夕日』を見て感動した人に、お奨めな映画が
今回紹介する作品。『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 』です。この映画は公開当時、子どもの付き添いで映画館に行った大人たちに感動の嵐を呼びました。そして映画評論家からも大絶賛を受け、その年の邦画ベスト1に選ぶ人も多かったです。子ども向けに作られた映画でありながら、大人に向けて強いメッセージ性を発しており、涙なしでは見られないと思います。
 ストーリー:「春日部市に新しくできたテーマパーク・20世紀博。そこは70年代子どもだった大人たちが懐かしがるもので満ち溢れていた。大人たちは子どもをほったらかし、童心に帰って遊びほうけていた。しかし、20世紀博を計画した秘密結社イエスタデイ・ワンスモアは恐ろしい計画を裏で進行していた。その計画とは輝かしさの失われた日本の未来を捨て、輝かしい未来があったかつての時代に日本を戻そうとするものだった。次第に街は白黒テレビやレコード・古い車で溢れ、大人は仕事も家事もせず、子どものように空き地や路地で遊んでいた。そして、遂に大人たちは20世紀博に行ったまま街に戻ってこなくなった。子どもたちは街に取り残されて途方にくれていた。しんちゃんを先頭にカスカベ防衛隊は大人たちを取り戻そうと秘密結社イエスタデイ・ワンスモアに闘いを挑む。
 この映画は懐かしさで懐かしい昭和の時代で満ち溢れています。まだ未来は輝かしい希望に満ち溢れた時代。みんな貧しかったからこそ、豊かさを求めて一丸となってがんばれた社会。その結果、物質的に豊かになったものの、未来は不透明になり、人々の関係も昔とは大きく変わった現代。そんな現代についていけない人たちは今を否定し、過去を懐かしがる。この映画は混迷する現代の大人たちの様子を見事に描き出しています。
 未来を諦め、昔はよかったと懐かしがる大人たち。それに対してこれから未来が始まる子どもたち。この映画は未来に希望がもてなくなり自信を失った大人たちに「それでも未来に向おう」という強烈なメッセージを発します。映画のラストでしんちゃんが「大人になりたいから」と言うセリフは胸にぐっときます。
 またこの映画では「時代の匂い」というものをテーマとして扱っています。各時代ごとにある匂い。人は時代ごとの匂いの中で生きていて、その匂いに励まされたり、落ち込んだり、癒されたり、いらだったりする存在です。この映画ではかつての高度経済成長期にあった匂いに大人たちが癒されます。では一体、今の時代はどんな匂いが漂っているのでしょう?この映画をみて考えてしまいました。
 この映画は子どもよりも大人が楽しめる映画になっています。未来をめぐる大人と子どもの闘いは感動的です。ぜひ見てみてください。
製作年度 2001年
製作国・地域 日本
上映時間 89分
監督 原恵一 
原作 臼井儀人 
脚本 原恵一 
音楽 荒川敏行 、浜口史郎 
出演 矢島晶子 、ならはしみき 、藤原啓治 、こおろぎさとみ 、真柴摩利 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 』この映画を見て!

第52回『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』
見所:「戦国時代のリアルな合戦シーン、野原一家の家族愛、涙なしでは見られないラスト」
映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 『ドラえもん』『名探偵コナン』と並んで毎年公開される『クレヨンしんちゃん』の映画。『クレヨンしんちゃん』の映画は毎回質が高く、ストーリーの巧みさ、大人が見ても笑えるギャグ、野原一家の家族愛など、大人が見ても楽しめる作品が多いです。今回紹介する映画は、その中でも特に評判の高い『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 』です。
 ストーリー:「ある日の夜、しんのすけは空をみつめるお姫様の夢を見る。次の日の朝、庭を掘り返した飼い犬のシロが、古い文箱を発見。それは書いた覚えのないしんのすけの手紙だった。そして、手紙には「おひめさまはちょーびじんだぞ」と書いてあった。そして、手紙に書いてあったお姫様が、夢に出てきた「おひめさま」なんだと思った瞬間、しんのすけは戦国時代にいた。そこで春日家の家臣・井尻又兵衛と知り合う。」
 私はこの作品はビデオで見たのですが、その完成度の高さに驚きました。タイムトラベルを扱った作品としてみても、伏線の張り方が巧みでラストはそういう手できたかというオチで見る者の涙を誘います。
 また戦国時代を扱った映画としても、歴史考証をきちんとしており、当時の生活や習慣を丁寧に再現しています。特に合戦シーンは当時の戦法が忠実に再現されており、下手な時代劇よりとてもリアリティがあります。まさかクレヨンしんちゃんでここまで質の高い時代劇が見られるとは思いませんでした。
 ストーリーも野原一家よりも戦国時代の姫と侍の恋に重点が置かれており、大人が見ても充分楽しめるドラマとなっています。身分の違う2人のプラトニックな恋愛は見ていて切なく、胸が締めつけられます。もちろん、いつもの如く、野原一家も大活躍し、見る者に笑いと感動を誘います。
 そして、涙なしでは見られないラスト。予想外の展開に涙腺がゆるんでしまいます。これは子どもよりも大人が見た方が感動できると思います。
 この映画は子ども映画とは思えないほど質の高い作品です。ぜひ見てみてください!
製作年度 2002年
製作国・地域 日本
上映時間 95分
監督 原恵一 
原作 臼井儀人 
脚本 原恵一 
音楽 荒川敏行 、浜口史郎 
声の出演 矢島晶子 、ならはしみき 、藤原啓治 、こおろぎさとみ 、真柴摩利 

| | コメント (4) | トラックバック (2)

『JOE HISAISHI MEETS KITANO FILMS』

お気に入りのCD.NO6 『JOE HISAISHI MEETS KITANO FILMS』 久石譲
joe_meet_takesi  今回紹介するCDは 北野武が監督した映画に使用された久石譲のサントラ曲を集めたベストアルバムです。 久石譲は宮崎駿映画の全音楽を担当していることで有名な映画音楽家です。宮崎駿の映画において久石譲の音楽はとてもはまっており、毎回印象的な曲を提供していますが、北野武の映画でも『あの夏、一番静かな海。』から『ドールズ』までの7作品で音楽を手がけています。
 北野作品においても、彼の音楽は映像にとてもはまっており、印象的な曲を数々提供しています。北野監督は削ぎ落としを意識して、映画を作っているようで、音楽家にも同じことを要求するそうです。そんな監督の要求に応えて作られた曲の数々は、北野監督の作り出す映像の力をさらにもう一段高いところまで引き上げます。
 北野作品はセリフが少なく、静かな場面が多いです。彼は映像で全てを語ろうとする監督です。そんな彼の作品において、音楽は単なる添え物でなく、重要な役割を持っています。
 まず久石譲の音楽は北野監督の映像の雰囲気や魅力をより前面に押し出します。『あの夏、一番静かな海』でラストに流れる「
Silent Love」は恋人たちの思い出シーンを一気に盛り上げますし、『ソナチネ』の印象的なミニマムミュージックによるメインテーマは美しくもどこか狂気じみていて、映像が持つ美しさや狂気をさらに増幅させます。
 また音楽がセリフで語られない主人公たちの感情や映画が語ろうとするテーマを観客に伝えてきます。HANA-BI』の哀切と感傷漂う曲が主人公の哀しみを表現し、『キッズ・リターン』の青春のほろ苦さと躍動感を表現した曲は主人公の若者たちの行き場のないエネルギーや苛立ちを伝えてきます。また『菊次郎の夏』の爽やかでノスタルジックな曲は夏休みの思い出というテーマをずばり曲で語っています。
 映画を見た人はこのアルバムを聴くと、映像が頭に浮かんでくると思います。そして、また映画が見たくなると思います。
 また映画を見ていなくても、聴いていて楽しめるアルバムです。久石譲の繊細で美しいメロディーライン、ピアノやストリングス・シンセを多用した音の心地よさ。このアルバムはヒーリングミュージックとしても満足のいくものです。
 北野映画ファンもヒーリングミュージックファンも買って損はしないアルバムとなっています。ぜひ聴いてみてください!

1.INTRO-Office KITANO Sound Logo(original)
2.Summer(菊次郎の夏)
3.The Rain(菊次郎の夏)
4.Drifter…in Lax(BROTHER)
5.Raging men(BROTHER)
6.Ballade(BROTHER)
7.BROTHER(BROTHER)
8.Silent Love(Main Theme)(あの夏,いちばん静かな海。)
9.Clifside Waltz 3(あの夏,いちばん静かな海。)
10.Bus Stop(あの夏,いちばん静かな海。)
11.Sonatine 1~act of violence(Sonatine)
12.Play on the sands(Sonatine)
13.KIDS RETURN(KIDS RETURN)
14.NO WAY OUT(KIDS RETURN)
15.Thank You,…for Everything(HANA-BI)
16.HANA-BI(HANA-BI)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ドールズ』この映画を見て!

第52回『ドールズ』 北野武特集4
見所:「美しい日本の四季の風景。斬新な衣裳デザイン。純粋で残酷な愛の物語。」
Dolls [ドールズ]
 今回紹介する『ドールズ』は、北野武監督が描く究極の愛の形を描いた映画です。近松門左衛門の『冥途の飛脚』の主人公、梅川と忠兵衛をモチーフにした構成で作られており、残酷で純粋な愛の物語が展開していきます。
 この映画はまた映像もいつものキタノブルーと呼ばれる青が基調のモノトーンの映像から、赤や黄など色彩豊かで幻想的な映像が展開されます。特にこの映画では日本の四季をとても綺麗に撮影しており、観客はその美しさに息を呑むと思います。衣装も『BROTHER』かファッション界の鬼才、山本耀司が斬新なデザイン・色遣いの衣裳を提供して、観客を魅了します。そして音楽は久石譲。繊細に研ぎ澄まされた最小限の音楽が、幻想的な映像をさらに際だたせます。
 ストーリーは3つの話しから構成されています。どの話しもどこか非現実的で幻想的でおとぎ話のようです。その反面、とても生々しく残酷でもあり、愛ゆえの孤独や哀しみが痛切に伝わってくる話しでもあります。
 ストーリー:「1本の赤い紐に結ばれ、あてもなくさまよう男と女がいた。女は男に振られて気が狂い、病院に入院していた。男は全てを捨てて彼女を連れ出し、当てもない旅に出ていた。迫り来る死期を悟った老境のヤクザと彼を長年待ち続ける女。女は若いときに男と出会い、弁当を食べてもらっていた。しかし、突然姿を消した男。女は弁当を持って男が来るのをずっと待っていた。事故で人気の絶頂から転落したアイドルと、そんな彼女を慕い続ける孤独な青年。青年は転落したアイドルへの愛ゆえに狂気に走る。
 北野監督は「愛とは主観的であり、暴力的なものである」という価値観の基、この映画を作ったそうです。それ故に描かれる登場人物たちの行動はどれも他人から見れば理解しがいものです。自分の人生も全て相手の為に投げ出そうとする登場人物たち。その姿は狂気としか言いようがありません。愛するが故に常軌を逸した行動をとる主人公たちの姿を通して、純粋な愛の本質を描きます。この映画が非現実的でおとぎ話のような作りになっているのは、愛とは主観的な思いこみであり、純粋であればあろうとするほど、現実から逸脱してしまうという愛の本質を伝えるためです。この映画は好きな人とくっつく、くっつかないなどの決して甘いラブストーリーではありません。とても辛口で残酷で、それでいて究極の愛の形を描いています。
 この映画は北野映画らしく、たくさんの死が扱われます。この映画で描かれる死は愛の成就です。純粋に愛しすぎた故に現実から逸脱した彼らが、その愛を全うしようと思うと、もはや死という永遠に時の止まった世界に身を置くしかないという哀しみが描かれます。そういう意味でこの映画における死はある意味ハッピーエンドです。死によって彼らは永遠に愛の中に身を置くことが出来るのですから・・。
 美しく幻想的な映像と音楽の中で展開される残酷なほど美しい愛の姿。ぜひ見てみてください!

製作年度 2002年
製作国・地域 日本
上映時間 113分
監督 北野武 
脚本 北野武 
音楽 久石譲 
出演 菅野美穂 、西島秀俊 、三橋達也 、松原智恵子 、深田恭子 

| | コメント (0) | トラックバック (4)

『HANA-BI』この映画を見て!

第51回『HANA-BI』 北野武特集3
見所:「キタノブルーの美しい画像、久石譲の哀しく美しい音楽、孤独な男の美学」
HANA-BI
 今回紹介する映画『HANA-BI』は北野映画の集大成です。キタノブルーと言われる青が際だった画像、孤独な主人公、死と愛に満ちたストーリー、久石譲の叙情的な音楽と北野映画ならではの魅力が詰まっています。それでいて、今までの北野映画にはないウエットさや愛が描かれています。この映画は海外でも高く評価され、ヴェネチア映画祭でも金獅子賞を獲得しました。また日本でも金獅子賞受賞ということで、一気に北野映画に注目が集まり始めました、
 私は『ソナチネ』の次にこの映画が好きなのですが、いつもラストシーンを見るたびに涙が出ます。浜辺で寄り添う夫婦、久石譲の哀切極まる音楽、そして妻のセリフ。とても静かなシーンなのですが、行き場のなくなった2人の孤独や哀しみ、そして愛が描かれ、激しく感情が揺さぶられます。このラストシーンが見たいが為に、何回もDVDで鑑賞しています。
 ストーリー:「刑事として寡黙に働く西。彼は子どもを突然失い、妻も不治の病に侵されていた。同情した仲間の好意で張り込み捜査の合間を縫って見舞いにいく。だが、発砲事件が発生。快く送り出してくれた部下・西が下半身不随の身になってしまう。その後、追いつめた犯人によって部下の田中も殉職してしまう。そして西は激情のあまり犯人を殺して警察を辞めてしまう。その後、自分のせいで人生を狂わしてしまった部下やその家族に償いをしていく。しかし、その金を工面するためにヤクザに借金を重ね、やがて首が回らない状況へと陥っていく…。そして西は残された時間の少ない妻と旅に出る。
 この映画は北野映画らしく死の匂いが立ちこめると同時に、生き残った者がどう残された時間を過ごしていくかというテーマを扱っています。次々と仲間や家族を失い、孤独になっていく主人公が自分に残された役割は何かを考え、自分のせいで犠牲になった者たちの為に償いをしていきます。主人公の不器用で誠実な人柄は見ていてとても切なくなります。
 またこの映画で描かれる夫婦の愛も奥ゆかしく、とても美しいです。ほとんど言葉を交わさない2人であるのですが、何気ない仕草や表情が夫婦の人生や愛を描き出し、胸にぐっと来ます。北野監督は映像でストーリーや感情を語っていく姿勢を常に取っています。彼にとって映像が言葉そのものなんでしょう。彼の映画では暴力シーンがとても多いですが、それは孤独で不器用なな主人公にとっての言葉であり、感情表現なのかもしれません。彼の映画では言葉はほとんど削ぎ落とされます。しかし、時折、はっとする言葉が挿入され、観客に印象づけます。この映画のラスト、妻が言う二言の何気ない言葉。今まで映像によって積み重ねられた2人の姿を見てきた者には、その何気ない言葉に涙せずにはいられません。
 この映画で特に印象的なのが音楽です。北野監督とは4度目のコンビになる久石譲が手がけているのですが、冷たく淡々とした映像やストーリーに感情を付けています。ストリングス中心の繊細で叙情的な音楽は、この映画が持つ哀切や孤独、愛情といったものを雄弁に物語っています。特にラストシーンは久石譲のあのメロディーが映像をぐっと盛り上げて、観客の涙を誘います。2人のコラボレーションの真骨頂がここに見られます。
 また北野武監督自ら描いた挿入画もとても印象的です。色鮮やかでありながら、どこか寂しさを感じさせる彼の絵はこの映画の雰囲気によくあっています。
 この映画は暴力と死に満ちていながら、暖かさと優しさを感じる映画です。ラストシーンは涙なしでは見られないと思います。あとエンドロールの後にも印象的なシーンがあるのでお見逃しなく!泣ける北野映画が見たいという方はぜひ『HANA-BI』をご覧ください!

製作年度 1997年
製作国・地域 日本
上映時間 118分
監督 北野武   
脚本 北野武 
音楽 久石譲 
出演 ビートたけし 、岸本加世子 、大杉漣 、寺島進 、白竜 

| | コメント (0) | トラックバック (3)

『ソナチネ』この映画を見て!

第50回『ソナチネ』 北野武特集2
見所:「沖縄の海辺で戯れるヤクザたちのはかない姿、狂気と死の匂いが漂う映像と音楽」
sonatine  今回紹介する映画『ソナチネ』は北野監督作品の中でも評価・人気共に非常に高い作品です。本作は公開当時の日本ではあまり注目されませんでしたが、イギリスで大反響を呼び、ヨーロッパで北野映画ブームを生むことになりました。
 私も北野監督の作品の中で一番好きな作品は『ソナチネ』です。DVDを購入しては、半年に1回は見直しています。この映画の魅力は語ると尽きることがないのですが、静かさの中に狂気と死の匂いが漂う映像と音楽にあります。ストーリー自体はとてもシンプルで、ヤクザが抗争に巻き込まれて、破滅していく姿を描いています。ただその描き方が北野監督らしく、静かにユーモアを交えながら、淡々と無常観を感じさせる演出となっており、普通のヤクザ映画とはひと味違う作りになっています。
 ストーリー:「組長から沖縄の中松組への加勢を頼まれ、手下を引き連れて現地へ赴いた。しかし、東京から助っ人が来たということで、かえって相手の組を刺激することになってしまい、状況は悪化する。かろうじて生き延びた村川らは、沖縄の人気のない海辺の家に実を隠す。しかし殺し屋が送り込まれ、手下を失う村川。そして、彼はついに破滅への道と向かうことになる。
 北野監督の映画はどれも死の匂いが漂いますが、この映画は特に死の匂いが濃厚です。映画の冒頭から「あんまり死ぬことを怖がっていると死にたくなるんだよ」というセリフが出てきます。このセリフは今回の映画のテーマを見事に表現しています。この映画は淡々とした日常の中での死の突発性や不条理を描きます。死は日常のすぐ側に横たわっていることをこの映画は浮き彫りにします。その死の描き方はある意味、とても怖いものを感じます。
 また、この映画は北野作品の中でも暴力描写が過激です。その描き方はどこまでもリアルで痛みを感じるものです。日常の中で突然降りかかる暴力。ある時は暴力を振るい、ある時は暴力を振るわれる中で見えてくる日常の中の非日常。人間の闇、支配欲、死への恐怖と誘惑。彼の描く暴力は観客の抑圧されたエネルギーを発散させる目的で描かれているのでなく、あくまで非日常へ観客を誘うために描かれます。
 この映画はストーリーそのものを楽しむというより、映像と音楽のコラージュを楽しむ映画です。沖縄の青い海辺で無邪気に戯れるヤクザたちの姿、そこに流れる久石譲の静かでありながら、どこか狂気を秘めた反復音楽。それは観客を静かなる死と狂気の世界に導きます。
 この映画は何の意味もない映画です。あらゆる意味は否定され、不条理さと狂気だけが残る映画です。
 誰でも見て楽しめる映画ではありませんが、はまると何度でも楽しめる映画です。

製作年度 1993年
製作国・地域 日本
上映時間 93分
監督 北野武 
脚本 北野武
編集 北野武
音楽 久石譲
出演 ビートたけし 、国舞亜矢 、渡辺哲 、勝村政信 、寺島進 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

『あの夏、一番静かな海。』この映画を見て!

第49回『あの夏、一番静かな海。』 北野武特集1
見所:「どこまでも静かなラブストーリー、どこまでも青く美しい海、波の音と久石譲による音楽の心地よさ」
a_scene_at_the_sea  今回紹介する映画は、北野武が始めて手がけたラブストーリーです。この映画は有名な映画評論家・淀川長治さんが「一番の傑作」と賞賛した作品です。この映画からキタノブルーといわれる映像、極端に少ないセリフ、間を大切にした編集など、北野武の映画スタイルが確立され始めます。またこの作品から久石譲が音楽を担当し始め、彼の作品で次々と印象に残る音楽を発表していきます。
 ストーリー:「主人公は聴覚障害者のカップル。ごみ収集車のアルバイトをする茂は、ごみ集積所で偶然サーフィンボードを拾ったことをきっかけに、サーフィンを始める。彼の練習する砂浜には、彼を見守る聴覚障害者のガールフレンド貴子の姿があった。茂は毎日練習を重ねて、サーフィン大会に出場するほどに上達する。
 最初、この映画を見たときは、映像・ストーリーとも徹底的に無駄なものが削ぎ落とされた演出に驚きました。この映画は最初から最後まで全て静かに進んでいきます。聞こえてくるのは波の音と久石譲の静かな音楽だけ。この静けさに最初は戸惑いますが、慣れてくるととても心地よく映像に集中できます。セリフも主人公のカップルは聾唖者なので一切なく、サーフィンに打ち込み始めた彼氏とそんな彼を浜辺でじっと見つめる彼女の姿が淡々と描かれていきます。その代わりに、主人公たちの仕草や表情がセリフの代わりになり、2人の感情や関係を伝えてきます。その繊細な表現はセリフでは伝えられない微妙な心の動きを感じることが出来ます。
 このどこまでも静かな映画は、久石譲の音楽がとても重要な役割を担っており、削ぎ落とされた映像・ストーリーに情感を与えてくれます。どこまでも透明で美しい反復音楽の調べは聞いていて心地よく、画面やストーリーの静けさを際だたせます。そしてラストシーンでメインテーマの音楽が流れた時はパブロフの条件反射のように涙が出てきます。
 この映画、北野監督らしい、コメディシーンがあります。主人公の何気ない失敗、周囲の者たちの滑稽な姿。静かな場面が続くこの映画の中で、くすっと観客を笑わかせる場面は、心を和ませてくれます。
 私はこの映画を見て、サイレント時代のチャップリンの映画に似ているなと思いました。全てを主人公の仕草や表情、周囲の状況で伝えようとするサイレント時代の映画。『あの夏、一番静かな海』の演出はサイレント映画の演出に似ており、観客をくすっと笑わかせながら、ドラマが展開していく手法はチャップリンの映画に似ていると思います。
 また私がこの映画の好きなところの一つとして、聾唖者という障害を持つ人を主人公にしながら、そのことを強調することなく、さりげなく描いているところがあります。普通の映画だと障害を持っている人を主人公にすると、その障害に焦点を当てて映画を撮るのですが、この映画は主人公の一つの属性としてしか扱いません。映画に出てくる周囲の人物たちも主人公たちの障害を特に気にすることなく接しています。このようにごく自然に障害を持った人の日常を描いた映画は少ないと思います。
 映画のラストはとても切ない終わり方をします。北野監督らしい終わり方であるのですが、人生の不条理さを見事に語っています。映画のラスト5分は映像の切なさに久石譲の音楽の効果も相まって、とても感情を揺さぶられます。私はいつもラストシーンを見るたびに自然に涙がこみ上げてきます。
 この映画はどこまでも静かで、どこまでも美しい映画です。ぜひ、この心地よい静けさに浸ってみてください。

製作年度 1991年
製作国・地域 日本
上映時間 101分
監督 北野武 
脚本 北野武 
音楽 久石譲 
出演 真木蔵人 、大島弘子 、河原さぶ 、藤原稔三 、寺島進 

 

| | コメント (0) | トラックバック (6)

「北野武」私の愛する映画監督4

第4回「北野武」
TAKESHIS' 今回紹介する映画監督は日本映画を代表する監督となった北野武です。私は『HANA-BI』が一番最初に見た北野監督作品でした。この映画は私にとって、北野監督の力量を見せつけられた作品でした。アウトローな男の美学を感じさせるストーリー、突発的に起こるバイオレンスのリアルな迫力、北野監督の独特な映像美や編集、久石譲の情感たっぷりの音楽。この監督の才能に惚れ込み、過去に撮った作品をDVDで片っ端から見ていきました。
 北野武の映画の魅力は人によっていろいろあると思うのですが、私は次の5つだと思います。
①独特な映像美
 彼の映画はストーリーを楽しむというより、彼の生み出した映像を楽しむという要素が強いです。どの作品もストーリー自体は大して意味がなく(良い意味で)、ストーリーを下に監督がイメージした映像の一瞬の美しさや面白さを味わうことの方に意味があります。彼の作り出す映像はどこまでも意味を否定し、夢のような感触を持っています。彼にとってストーリーよりもどんな映像をとるかに関心があるのでしょう。
 彼の映像はとてもクール(かっこよく、そして冷たい)です。彼独特の青が強調された画面は「キタノブルー」と言われ、世界中の映画人を虜にしました。私も彼の青みがかった画面がとても好きです。彼は青を再生の色として捉えているようです。もしそうだとしたら、いつも主人公たちの追いつめられた生き方を描いていますが、青みがかった画面に主人公たちの人生の再生を託しているのかもしれません。ちなみに『HANAーBI』や『ソナチネ』がキタノブルーを一番堪能できる映画です。ここ最近は青以外にも赤や黄などのカラフルな色彩を強調した画作りをしており、『ドールズ』や『TAKESHIS’』など最近の作品を見ると今までの「キタノブルー」とは違う画が見られます。

②間を大切にした編集
 彼の映画の編集は独特です。間を大切にした編集というか、主人公たちの何かしらのドラマが起こる前後の静かな様子もじっくりと見せてくれます。この前後の様子を見せることで、北野映画独特の静けさが生まれ、観客に不思議な余韻を与えてくれます。
 また主人公たちのストーリーの途中に脈略もない断片的な話し(ギャグシーンが多いです)がよく挿入されます。主人公たちのドラマを追っていた観客は、途中で急に関係ない話しが入ってくることで、戸惑いつつも、そこでニヤリと笑ってしまいます。
 
③死と暴力というテーマ
 彼の映画は常に死の匂いが漂います。主人公たちはどこか死にあこがれ、破滅に向かいます。彼の映画には生きることの無常観を感じてしまいます。「この世は一瞬の夢のようなもの」であると彼の映画は観客に語りかけてきます。彼にとって映画を撮るということはどこか自分の死と向き合い、生きている自分を再確認する行為なのでしょう。
 また彼の映画には暴力的な描写が多いです。静けさを突然打ち破る暴力、そしてまた静けさ。彼の描く暴力はどこまでも冷たく、無機質です。彼が描く暴力とはどこもまでも突発的で不条理なものです。それは死の突発性や不条理さであり、生きることの無常さや不条理さでもあります。
 
④芸人ビートたけしとのギャップ
 彼の映画の特徴としてテレビで見るタレントとしてのビートたけしとのギャップがあります。変なかぶり物をまとって、饒舌にしゃべりまくり、おどけて人を笑わせるビートたけし。どこまでも無口で、クールで、死と暴力を描く北野武。このギャップそのものが面白く、ビートたけし=北野武はどういう人間で何を考えているのか観客に興味を抱かせます。

⑤北野武のプライベートな側面が反映された内容
 彼の映画はプライベートな側面がいろいろな所に反映されています。例えば、バイク事故後に撮られた『キッズ・リータン』に込められた北野武の思い。それは事故で死の淵を漂いながらも、生き残ってしまった彼の思いがとても反映されています。また最新作『TAKESHIS’』にはビートたけしと北野武という二つの顔を持つ彼の人生観が投影されています。
 また映画の随所に彼のプライベートな趣味が反映されています。HANABIや菊次郎の夏に挿入される絵も自分で描いていますし、ここ最近の映画に登場するタップダンスのシーンも彼自身が最近タップを習っているおり、それが映画の中に反映されているそうです。
 さらに役者もたけし軍団や彼がお世話になった人の息子を起用するなど、身内を大切にしています。
 
 彼の映画は独特なスタイルを持っており、好きな人と嫌いな人に分かれるかもしれません。しかし彼の映画は一度はまると癖になり、何度でも見たくなります。もしこれから北野映画を見てみようという人がいるなら、私は『キッズ・リターン』から入ることをお奨めします。この映画はキタノブルーな映像を楽しめると同時に、ストーリーもほろ苦い青春を描き感動的です。ぜひ見てみてください。
武がたけしを殺す理由

ちなみに北野武監督が好きな人にお奨めする本が『武がたけしを殺す理由』です。この本は1991年から2003年の12年間にわたって行われた映画監督・北野武に対するインタビューをまとめており、彼がどういう思いで映画を撮っているのかよく分かります。絶対お買い得な本です。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860520262/qid=1140685827/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/250-2216638-9096228

*北野武監督作品
TAKESHIS’(2004)
座頭市(2003)
Dolls(2002)
BROTHER(2000)
菊次郎の夏(1999)
HANA-BI(1998)
キッズ・リターン(1996)
みんな~やってるか!(1995)
ソナチネ(1993)
あの夏、いちばん静かな海。(1991)
3-4x10月(1990)
その男、凶暴につき(1989)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

『アイズ・ワイド・シャット』この映画を見て!

第48回『アイズ・ワイド・シャット』 スタンリー・キューブリック特集6
見所「ニューヨークの街を悶々と彷徨うウブで間抜けなトム・クルーズの姿。ラスト、ニコール・キッドマン演じる妻が夫に放つ一言。」
eyes_wide_shut  今回紹介する映画はスタンリー・キューブリック監督の遺作であり、異色作である『アイズ・ワイド・シャット』です。
 この映画は制作開始当時から大変話題になった映画でした。まず寡作で知られるキューブリック監督が11年ぶりに放つ新作であるということ。次にトム・クルーズとニコール・キッドマンという当時実際に夫婦だった2人が映画の中でも夫婦役を演じると言うこと。さらに内容が「性」を扱ったものであるということ。これら話題性に富んだ映画であったにも関わらず、キューブリックの秘密主義もあって、制作中には映画に関する何の情報も提供されませんでした。今まで様々なジャンルの映画を斬新な映像と深いテーマ性を持って制作してきたキューブリックだけに、「今度の映画も過激な性描写があるのでは」とか「性に対してどのような価値観を提示してくるのか」などあれこれと憶測が飛び交ったものでした。そして、始めて予告編が公開されたときは、ニコール・キッドマンとトム・クルーズが鏡の前で裸で抱き合うシーンだけの映像が公開されて巷で大反響を呼びました。この予告編は見た観客に「これは本編はもっと過激なシーンがあるのでは」と想像させる力がある映像でした。公開への期待が高まる中、キューブリック自身が映画完成直後に心臓発作で亡くなってしまい、遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』には多くの映画ファンが注目したものでした。
 しかし実際に映画が公開されると、多くの映画ファンが困惑したものでした。もちろんキューブリックらしい映像美や音楽センスの巧みさは感じられるのですが、他のキューブリック作品に比べてインパクトに欠ける作品でした。私も映画初日にこの映画を見たのですが、見終わった後、「えっ、これだけ」と言った感じで困惑しました。キューブリック監督の映画にしては平凡な出来で、過激な性描写もほとんどなく、ストーリーも退屈なものでした。監督はなぜ今この映画を撮ろうとしたのか、そして観客に何を伝えようとしたのか?、私は見終わった後にとても考え込みました。
 ストーリー:「ニューヨークに暮らす開業医のビルは、美しい妻アリスとなに不自由なく幸せな生活を送っていた。ある夜、知人のパーティーに招待され帰宅した彼は、妻からセックスにまつわる衝撃の告白を受ける。夫は妻の一言に動揺しながら、妻に対して激しい嫉妬と妄想を抱くようになる。そして妻への嫉妬と自らの性的欲望を満たそうと夜の街を彷徨う。そんな彼の前に昔の友人が現れ、秘密結社が開く乱交パーティーの存在を教えてくれる。興味本意から彼は倒錯した性の世界へと足を踏み入れていくが・・・。
 この映画は夫婦の性生活の問題を扱った生々しい作品であり、また現実と虚構の世界が入り乱れる不思議な作品でもあります。
 まず前者の夫婦の性生活に関する部分ですが、この映画は「家庭が大切だ」「もっと夫婦でコミュニケーション(セックス)しよう」という道徳的な価値観を提示します。自分の妻は自分以外の男に興味はないものだろうと思いこみ安心仕切っている夫。それに対して、「自分も女であり、他の男に性欲を感じてしまうときがある」ことを伝える妻。妻の一言にうろたえる夫の間抜けな姿。その姿が結婚した男が妻という女に対して如何に鈍感であり、安心しきっているかが露呈します。動揺した夫は妻に嫉妬して、家庭の外で自分も性欲を満たそうとします。しかし、逆に危険な目に遭い、やっぱり家庭が一番いいと最後は妻の下に戻ってきます。この映画では夫になった男の妻に対する鈍感さに警鐘を促し、女性に男という生き物の幼稚さと脆さを提示します。映画のラストは危機を逃れた夫が妻と和解して、「良い家庭を作っていこう」と妻に対して声をかけるのですが、それに対して妻が痛烈な一言を夫に放ち映画は幕を閉じます。その一言はこの映画のテーマを見事に表現しており、見終わった後、強烈な印象を残すと思います。
 次に後者の現実と虚構の世界に関する部分ですが、この映画は途中どこまでが現実でどこからが虚構か曖昧な展開になります。夫が妻に嫉妬して家を飛び出した夜に参加した秘密パーティー。そこで恐ろしい目に遭うのですが、これは偶然その場にいて起こった出来事なのか、誰かが裏で計画して意図的に起こさせた出来事なのかが曖昧です。見方によっては、これは最初から仕組まれた出来事であり、夫が上流階級の人間たちに弄ばれていただけなのではないかと捉えることも可能です。(ここからネタバレになります)映画の最初に上流階級のパーティに夫婦で行くシーンがあるのですが、そこで妻が「なぜ自分たちが呼ばれるのか」というセリフを言います。それがこの映画の大きな伏線となっていて、あのパーティーに出ていた上流階級の人間たちが秘密結社のメンバーでもあり、中流階級の夫婦を弄ぼうと仕組んだ罠ではなかったのかとも受け取れます。この映画は一度見終わった後に、夫が巻き込まれた事件自体があのパーティーの時から仕組まれていたのではと思って、もう一度見てみると、全く違う印象を持って映画を見ることが出来ます。
 この映画は全体を通して、曖昧さが残る作品です。夫は今まで信じていた妻がどういう人間か分からなくなり、妄想の世界に陥りますし、秘密結社で起きた出来事自体もどこまでが現実でどこからが虚構なのか曖昧です。この映画は曖昧な現実の中で理解しがたい他者と共に生きていくにはどうしたらいいかを示したキューブリックの遺言なのかもしれません。
 
製作年度 1999年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 159分
監督 スタンリー・キューブリック 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 
原作 アルトゥール・シュニッツラー 
脚本 スタンリー・キューブリック 、フレデリック・ラファエル 
音楽 ジョスリン・プーク 
出演 トム・クルーズ 、ニコール・キッドマン 、シドニー・ポラック 、トッド・フィールド 、マリー・リチャードソン 

| | コメント (5) | トラックバック (3)

『六月の蛇』この映画を見て!

第47回『六月の蛇』
見所:「美しい青みがかったモノクロ映像。都会の中で繰り広げられる男女の愛と倒錯の世界。」
snake_of_june  今回紹介する映画は第59回ベネツィア国際映画祭審査員特別賞を受賞した日本映画の傑作です。監督は『鉄男』で衝撃的な映画レビューを果たし,肉体をテーマに都会における人間性を問うてきた塚本晋也。彼は、世界中の映画関係者・映画ファンにカルト的人気を誇っています。そんな彼が都会における男女の愛と肉体について考察した映画が『六月の蛇』です。
 この映画は上映時間80分ほどの短い映画ですが、その中身はとても濃く、見応えのある作品に仕上がっています。
映画は青いトーンのモノクロ映像で統一されており、寒々した雰囲気ながらも美しい印象を与えます。この独特な映像は無機質な都会に閉じこめられた人間の孤独感や閉塞感を見る者に与えます。それと同時に映像は人間の肉体の艶めかしい美しさやエロティシズムをしっかりと捉え、見る者を釘付けにします。また映画の後半は塚本晋也らしい異様な狂気の世界が展開されていきます。洗濯機の中に閉じこめられる男女、男の下半身から延びている長くヌメヌメしたホース、不思議な仮面を付けた同じ顔の男たちと悪夢のような映像世界が次々と出てきます。
 ストーリー:「心の電話相談室に務めるりん子。彼女は潔癖症の夫・重彦がいるが、彼は彼女と決してセックスをしようとしなかった。満たされない彼女の肉体と心。ある日、彼女はかつて自殺予告の電話をしてきた男に、自慰行為を隠し撮りされる。それをネタに脅迫を受ける。彼女は写真を取り戻そうと男の要求を次々と呑んでいく。写真は何とか取り戻した彼女は次第に自分の抑圧されていた性的欲望に目覚め始める。そんなある日、夫が男が撮った写真を見てしまう。無機質な都会の中で狂気と倒錯の世界が展開されていく。」
 この映画のストーリーは人間がもつ生々しいエロティシズムと孤独、そして愛について語られていきます。
 他人の悩み事を聞く仕事をしている主人公が抱える孤独や抑圧された欲望。会話もなく、一緒に寝ることもなく、セックスレスな夫との関係に対する不満や抑圧された性欲。そんな彼女の抑圧や欲望が非日常的出来事の乱入により、一気に目覚めてしまう。そんな彼女の姿を通して、前半は無機質な都会に生きる人間の生々しい欲望が示されていきます。しかし、映画は彼女が人間性を取り戻しかけた不幸が襲います。その不幸は夫と肉体的関係を失った妻の悲劇を感じさせます。
 映画の後半は潔癖症の夫に視点が当てられます。家中の汚れた排水溝の掃除ばかりし、自分の体臭を消そうとする夫。そこには生々しい人間の欲望を否定しようとする現代人の姿が描かれます。自分の肉体を意識しなくても生きていける都会、その中で喪失される欲望という名の人間性。この映画は人間性の喪失と復権という現代的課題をテーマとした作品です。
 この映画は塚本監督らしく暴力的な表現が随所に出てきます。主人公りん子を見る男たちの目線による暴力。夫の妻に対する精神的暴力。男の夫に対する痛々しい暴力。この映画は暴力によって、主人公たちが見失いかけた自分の生を取り戻していきます。危機に遭遇することで始めて気付く人間の本質。この映画は暴力を人間性を取り戻す一つの媒体として取りあげています。
 ラストはとても生々しく美しいシーンで終わります。そのシーンでは妻と夫の肉体関係の復活と人間性の復権が描かれます。また、それと同時に無機質な都会に生きる現代人に対して肉体が持つ欲望にアクセスし、生命の歓喜を味わうことの素晴らしさを示してくれます。
  この映画は万人受けする映画ではありませんが、完成度の高い映画です。ぜひ『六月の蛇』を見て抑圧された自分が抱える欲望と向き合い、愛とは何か、肉体とは何か考えてみてください。

製作年度 2002年
製作国・地域 日本
上映時間 77分
監督 塚本晋也 
脚本 塚本晋也 
音楽 石川忠 
出演 黒沢あすか 、神足裕司 、塚本晋也 、寺島進 、田口トモロヲ 

| | コメント (2) | トラックバック (2)

『Symphonic Suite AKIRA』芸能山城組

お気に入りのCD.NO5 『Symphonic Suite AKIRA』 芸能山城組
akira2  今回紹介するCDは当ブログでも紹介した映画『AKIRA』のサントラです。『AKIRA』は音楽がとても印象的で、ハリウッド映画でよくあるようなオーケストラを使った壮大で感動的な劇判的音楽は一切使われていません。その代わりに世界各地の民族音楽をモチーフにして、人間の声や民族楽器を巧みに取り入れて、独特な音楽を作り上げています。日本の能やお経、東南アジアのケチャ、ジェゴグ、ピグミー族のポリフォニー、西洋音楽のレクイエムなど古今東西の様々な音楽手法が取り入れられており、ワールドワイドな音楽が楽しめます。特にねぶた祭りの「ラッセラ・ラッセラ」というかけ声を取り入れた曲は印象的で、若者たちのエネルギーとお祭り騒ぎの様子を音楽で巧みに表現しています。
 監督はAKIRAの音楽を次のように考えていたようです。「リアルな存在としての音楽を検討をしました。たとえば、ネオ東京の喧噪の中からふと聞こえる音楽であったり、人々の話し声自体が音楽であったり等々、現実音との差がきわめて少ない音楽が『AKIRA』の音楽として相応しい。そしてらラストシーンの無音の世界に聞こえてくる音楽は、人の本来の声が生かされた、美しさと力強さをもつ合唱曲であって欲しいと考えていました」(CDのライナーノートより)
 そんな監督の思いに応えたのが芸能山城組だったそうです。芸能山城組というと何者と思う人も多いかもしれせん。芸能山城組は芸能山城組は山城祥二さんという代表の人をのぞいてプロの集団ではなく他に職業を持っている人や学生の集まりで構成されている民族音楽探求の集団です。70年代から80年代にかけて、民族音楽のレコードを発売して、注目を浴びていたようです。山城祥二さんは世界を飛び回り、民族音楽の取材、録音などのフィールドワークをしてきたそうです。そんな山城さんとその集団にとって、本作は集大成の作品となっています。
 『AKIRA』の映画音楽は映画の場面場面にあわせて作曲していくのではなく、映画の内容をイメージして芸能山城組が自由に音楽を作り、それを映画で使えるように曲を編集して使用したそうです。その為、今回紹介するアルバムも、映画のサントラと言うよりは芸能山城組のアルバムとして聴くことができます。
 『Symphonic Suite AKIRA』は『AKIRA』のサントラとしても楽しめますし、世界各地の民族音楽の持つ魅力を知る作品としても楽しめます。『AKIRA』が好きな人、民族音楽が好きな人はぜひ聴いてみてください。

1.KANEDA
2.バトル・アゲインスト・クラウン
3.ウィンズ・オーヴァー・ザ・ネオ-トウキョウ
4.TETSUO
5.ドールズ・ポリフォニー
6.SHOHMYOH
7.ミューテイション
8.イクスダス・フロム・ザ・アンダーグラウンド・フォートレス
9.イリュージョン
10.レクイエム

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『AKIRA』この映画を見て!

第46回『AKIRA』
見所:「2019年の近未来東京の緻密な映像、芸能山城組による音楽、健康不良少年たちの壮絶なバトルと友情物語。」
akira  今回紹介する映画は日本アニメの素晴らしさを世界中に広めた傑作『AKIRA』です。この映画は10億円の巨費を投じて3年という日数をかけて制作された超大作です。監督は原作も手がけた大友克洋。音楽は世界各地に伝わる伝統的合唱を研究する芸能山城組。アニメーターは日本アニメを支える超一流のメンバー。この映画はストーリー・映像・音楽どれをとっても20年前の映画とは思えないほどクオリティが高く、今見ても強烈なインパクトとパワーを持っています。
ストーリー:「第3次世界大戦から31年後の2019年。日本の首都・東京は先の大戦で謎の崩壊をして、新都市ネオ東京が作られ、経済的に復興を遂げて繁栄の絶頂にいた。しかしその反面、新都市ネオ東京では少年たちによる暴走行為や、政府に対する若者たちによるデモ行為、反政府ゲリラによるテロ活動などが頻発して治安は不安定になっていた。そんなある日、反政府ゲリラによって軍の極秘研究所から少年が連れ出される。少年の行方を必死に追う軍。その頃、不良少年金田のバイク集団が街に繰り出し、他のグループと抗争をしていた。その途中、金田の親友・鉄雄が少年と接触事故を起こしてしまう。事故現場にかけつけた軍は少年を連行。鉄雄も一緒に連行されてしまう。そして金田のバイク集団も警察に連行される。金田は警察所で反政府ゲリラ組織のケイという少女に出会う。そして政府がひた隠しにする極秘プロジェクト「AKIRA」の存在を知る。その頃、軍のラボに収用された鉄雄は自分の中で新たなる力(超能力)が覚醒したことに気付く。彼は自分が手に入れた超能力を使い、AKIRAの秘密を暴き、東京を支配しようとする。金田は鉄雄の暴走を食い止めようと、対決を挑むが・・・。
 この映画のストーリーはSF・友情・科学・哲学などさまざまな要素が込められています。人類の進化や世界の終末を描いたスケールの大きい話しでもあれば、若者の友情を描いた青春ドラマでもあります。同名の原作もあるのですが、映画よりも遙かにスケールが大きく、ストーリーも面白いです。(原作はまた後日紹介します。)映画は原作をとてもコンパクトにまとめたダイジェスト版といった感じであります。その為、映画は説明不足な所があり、物語の背景が分かりにくいところがあります。しかし、あの原作をストーリーが大きく破綻することなく2時間にまとめあげたのは大したものだと思います。
 映画のストーリーは金田と鉄雄という2人の若者の友情と対決をメインに描いています。いつも鉄雄をかばって兄貴的存在だった金田。彼の兄貴ぶった態度に不満を持ち、いつか彼を追い越したいと思っている鉄雄。この2人の微妙な関係をしっかり描き、ラストの対決シーンは見ている者を熱くさせます。そして映画のラストは終末後の世界に生き残った若者たちへの希望が描かれ、重々しいラストでありながらも清々しい余韻を感じさせます。
 この映画はストーリーもさることながら、映像・音楽の魅力が大きいです。まず映像ですが、終始インパクトのあるシーンの連続です。ネオ東京の闇を疾走するバイクシーンの圧倒的迫力、若者によるデモシーンなどのモブシーンの躍動感、鉄雄対金田の想像を絶するバトルシーン、力を制御できなくなった鉄雄の肉体の変容シーンの圧倒的迫力、ラストのなぎ倒されていく超高層ビル。どのシーンもダイナミックさと緻密さが同居しており、動く絵としての魅力に溢れています。
 また映画の舞台であるネオ東京の風景は緻密に描き込まれており、リアリティに満ちた近未来東京の姿を見せてくれます。ネオ東京の風景は60年代安保の時代を思わせるような人々のエネルギーに満ちており、またブレードランナーで描かれる都市のような退廃的魅力さもあります。
 さらにこの映画は音楽がとてもインパクトがあります。世界各地の民族の合唱法を研究し、再現する集団「芸能山城組」が手がけているのですが、世界各地の民族音楽・伝統音楽の手法を映画音楽に取り入れており、無国籍都市ネオ東京の雰囲気やストーリーや主人公がもっている躍動感を音楽で伝えようとしています。独特なリズムにメロディーは一度聴いたら耳から離れません。特にオープニングのバイクシーンで流れるねぶた祭りの掛け声が流れてくる音楽は若者たちがもつエネルギッシュさを音楽で巧みに表現しています。
 この映画はストーリーに粗もありますが、とても勢いのある映画です。緻密でダイナミックな映像や民族音楽を多用した独特なリズムにメロディー。この映画は映像と音楽に酔いしれる映画です。この映画はジブリ映画しか見たことない人にとってはとても強烈な印象を残すと思います。ぜひ見てみてください!

| | コメント (4) | トラックバック (1)

『妖怪大戦争』この映画を見て!

第45回『妖怪大戦争』
見所:「実写で甦る数々の妖怪たち。豪華なキャスト。」
youkai 今回紹介する映画は昨年の夏に『宇宙戦争』や『スターウォーズ』などのハリウッド超大作を相手に公開された日本映画の超大作?『妖怪大戦争』です。私はこの映画をDVDで見たのですが、思った以上に面白く楽しめる作品となっていました。
 この映画を見てまず驚いたのはスタッフとキャストの豪華さです。まず水木しげる・荒俣宏・京極夏彦・宮部みゆきという日本を代表する妖怪に詳しい作家が集まりプロデュースチーム「怪」を結成し、原案を執筆。(彼らは映画のキャストとしても特別出演しています。)
 監督は現在日本一忙しい監督であり、カルト的人気を誇る三池崇史。彼の代表作としては『殺し屋1』『ゼブラーマン』『着信アリ』などがあり、ヤクザ映画からホラー、ミュージカル、コメディとあらゆるジャンルの映画を撮りまくっています。彼の映画は時々暴走するときがあり、見ている側を唖然とさせる描写や展開をするときがあります。この映画でも三池監督ならではの子どもが見るにはブラックなシーンがあったり、悪ふざけするシーンなどがあります。しかし、三池色は適度に押さえられているので、子どもが見ても手に汗握る冒険活劇となっています。
 次にキャスト。これは日本を代表する大物俳優から個性派俳優、テレビでよく見るタレントまで総出演です。主人公は今人気の子役、神木隆之介。適役の加藤保憲に豊川悦司、鳥刺し妖女・アギに『キル・ビル』に出ていた栗山千明。この2人は悪役をとても楽しそうに演じています。他にも菅原文太、ナイナイの岡村、雨上がり決死隊の2人、竹中直人、佐野史郎と知っている顔が次から次へ登場します。妖怪役をしている役者は、特殊メイクで誰が誰を演じているのか分かりにくいですが、最後のエンドロールのキャストであの人がこの役をしていると知ったらびっくりすると思います。
 ストーリー:「10歳の少年タダシは、両親の離婚で田舎で母と祖父と暮らしていた。まだ田舎にとけ込めないタダシは神社のお祭りで世界に平和をもたらすといわれる伝説的存在=“麒麟送子”に選ばれる。その頃、世界を滅亡させようとする魔人・加藤保憲の悪霊軍団が妖怪を誘拐していた。“麒麟送子”に選ばれたタダシの所に妖怪が助けを求めてくる。そいてタダシは妖怪と共に魔人・加藤保憲の悪霊軍団に立ち向かっていく。アクションあり、笑いあり、涙ありの大冒険ファンタジー」
 この映画はとにかくハリウッド映画も顔負けのスケールで話しが展開していきます。『帝都物語』の魔人・加藤保憲が悪役で登場するのは笑いますが、ストーリーは少年の目線で終始描かれ、とても良くできています。途中から世界の存亡をかけた戦争に展開するというスケールの大きさはハリウッドも顔負けです。ラストもとても爽やかな余韻を残します。
 映像もテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』に登場してきた妖怪たちが実写で出てきて妖怪好きにはたまらない映像のオンパレードです。しかし実写にするとしょぼい妖怪たちもいましたが・・・。CG映像は完成度がもう一つで日本映画の限界を感じてしまいます。あのスケールの大きさを緻密に表現しようと思うと予算や人材がもっと必要なのでしょうね。ここはとても残念な所です。
 この映画にハリウッド大作にはない独特な味わいがあります。懐かしい日本の夏の田舎の風景。ハリウッドのモンスターにはない愛嬌のある妖怪たち。また子どもが見たらゾクッとするようなお色気シーンに結構迫力のある戦闘シーン。確かにB級映画のようなチープさやストーリーが子ども向けで気恥ずかいセリフがあったり、説教臭いところもあります。しかし、『ゲゲゲの鬼太郎』を見た世代はきっと楽しめると思います。

製作年度 2005年
製作国・地域 日本
上映時間 124分
監督 三池崇史 
製作総指揮 角川歴彦 
原案 水木しげる、荒俣宏、京極夏彦、宮部みゆき
脚本 三池崇史 、沢村光彦 、板倉剛彦 
出演 神木隆之介 、、南果歩 、成海璃子 、佐野史郎  宮迫博之(雨上がり決死隊)、豊川悦司、栗山千明、菅原文太

 

| | コメント (0) | トラックバック (4)

『女に選ばれる男たち 男社会を変える』街を捨て書を読もう!

『女に選ばれる男たち 男社会を変える』 著:安積 遊歩、辛 淑玉  太郎次郎社
女に選ばれる男たち―男社会を変える 今回紹介する本はマイノリティが日本社会で生きるとはどういうことか考えさせられる本です。著者は身体障害者であり、一児の母親である安積 遊歩さんと在日コリアン三世で日本人の男性と結婚した辛 淑玉さんです。2人とも障害者、在日、女性というマイノリティとして生きる中で体験した差別や抑圧について語ります。障害があるが故に一段低い人間と差別され、日本国籍ではないということで差別され、女性であるが故に家庭に縛り付けられる。著者たちはそんな日本の中にある差別や抑圧の構造やその背景を分析していきます。
 2人が語る差別や抑圧の体験を語った文章はとても強烈です。病院や学校、地域生活の中での安積さんの受けた差別はこの社会が障害者を対等な人間として扱ってこなかった事実を突きつけます。そして障害者が健全者がイメージする障害者像から離れたことをしようとすると、激しくバッシングにあうか、変に美談として取りあげられる今の社会に対して怒りを訴えます。また辛さんも在日として生まれ、国籍が違うというだけで就職や結婚、選挙権などで差別され、国家からもまるで犯罪者予備軍のように扱われる日本社会の排他性への怒りを訴えます。
 さらに著者たちは日本社会の女性への抑圧や差別についても激しい怒りをぶつけます。女性というだけで、子どもを生むことを強制され、家事や育児を男性から任され、社会進出も制限される日本社会。今の日本人が抱く男性・女性それぞれがもつ役割像を一度解体する必要性を2人は説きます。
 著者は最後に日本のマイノリティに対する差別や抑圧の問題はマジョリティ側の問題であり、マイノリティがマイノリティであるが故に「がんばらなくても」生きていける社会になるように「一緒に」考えて欲しいと訴えます。そして2人は政治や社会に翻弄されないために、自分たちが政治的な存在として生きることを宣言します。
 私は男性であり、日本人であり、今のところ障害は持っていませんが、この本は自分の生き方を反省させられました。そして、思いこんでいた役割から解放され、自分の生き方がすごく楽にもなりました。
 この本はぜひ多くの人に読んでもらい、日本社会が抱える差別や抑圧の問題と向き合ってもらえればと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『バットマン・リターンズ』この映画を見て!

第44回『バットマン・リターンズ』
この映画の見所!「バットマンとペンギン、キャットウーマン三つ巴の闘い、社会からはみ出した者たちの悲哀」
batman  『チャーリーとチョコレート工場』を前回紹介しましたが、今回はティム・バートン監督の傑作『バットマン・リターンズ』を紹介したいと思います。バットマンはハリウッドで今まで5作品制作されております。1作目と2作目はティム・バートン監督、マイケル・キートン主演で制作され、根強い人気があります。3作目以降は監督・主演も毎回変わっており、作風も1、2作目と大きく変わっています。一番最新の作品が昨年公開された『バットマン・ビギンズ』です。この最新作『バットマン・ビギンズ』はクリストファー・ノーラン監督、クリスチャン・ベール主演で制作されました。この映画はリアリティ重視の作風で興行収入も評価も高く、同じ監督・主演での続編が予定されています。そんなバットマンシリーズの中で一押しの作品はどれかというと今回紹介する『バットマン・リターンズ』です。
 この映画は画面・ストーリーともダークですが、ティム・バートン監督の魅力が詰まった映画です。表と裏の顔を持つ孤独と寂しさを抱えた主人公たち。暗いおとぎ話の世界のようなキッチュでダークでシュールな美術。ダニーエルフマンによる重厚でありなあがらどこかもの悲しい美しさを感じる音楽。見た目の明るさとは裏腹に主人交たちの暗い内面に切り込んだストーリー。登場人物・映像・音楽・ストーリーどれをとっても、ティム・バートンのダークさが前面に出ている映画です。
 ストーリー:「正義と悪が表裏一体の街、ゴッサム・シティ。そこで一人の赤ん坊が生まれる。しかし、生まれた赤ん坊は普通の姿ではなかった。街の下水道に赤ん坊を捨てる両親。それから33年後のクリスマス、ゴッサムシティではペンギンという謎の怪人が出没するという噂で持ちきりになっていた。その頃、ゴッサムシティの実力者シュレックは会社の秘密を知った女性秘書セリーナをビルから突き落とし殺そうとしていた。しかしセリーナは猫から9つの命を与えられ、キャットウーマンとして蘇っていた。ゴッサムシティはペンギンとキャットウーマンの出没で恐怖と不安に陥っていた。街を守るためにバットマンが再び立ち上がる。しかし、ペンギンはシュレックと新たに手を組み、街を裏から支配しようと企んでいた。ペンギンの罠により、窮地に追い込まれるバットマン。バットマン、キャットウーマン、そしてペンギンとの三つ巴の闘いが今始まる。」
 この映画のストーリーはオープニングからエンディングまでとても暗いです。そしてヒーロー者の映画にも関わらず、バットマンよりも敵役の方が目立っており、また感情移入できます。ティム・バートンはこの映画ではバットマンよりも適役のペンギンやキャットウーマンをに興味があったのか、敵役の2人がとても魅力的に描かれています。
 特にペンギンは小さいときに奇形児だった故に、親に捨てられるという哀しい過去を持っており、悪役であるにも関わらず、どこか観客の共感と涙を誘ってしまいます。ペンギンはもちろん悪役ですのでひどいことを数多くするのですが、その裏に潜む哀しみや孤独もしっかり描いているので、ラストにバットマンによって倒されても、観客はスカッとした感情を抱けません。むしろどこかペンギンに対して同情の気持ちを持ってしまいます。
 またキャットウーマンもバットマンの前に現れて、邪魔をするのですが、どこか哀しい存在です。キャットウーマンはもともとセリーナという不器用で孤独な女性が一度死んで生まれ変わった姿なのですが、セリーナという女性とキャットウーマンという怪人の二つの顔の間で苦しみます。
 さらにバットマンも表の顔ブルース・ウェインと裏の顔バットマンの間で揺れ動きます。特にこの映画ではお互い正体を知らないまま、ブルース・ウェインとセリーナが恋に落ちるのですが、2人がバットマンとキャットウーマンというお互いの正体を知ったときの2人の衝撃と葛藤は見ていて胸が苦しくなります。そして映画のラストにバットマンが仮面を引き裂き、表の顔ブルース・ウェインをキャットウーマンに見せる場面は、バットマンの彼女に対する愛情が観客の胸に伝わってくる名場面です。
 この映画は登場人物たちが表の顔と裏の顔を持っており、その二つの顔の間で苦しむ姿が描かれています。引き裂かれた感情の中で揺れ動いて生きる人間の葛藤や哀しみが観客の心に残る作品です。
 ティム・バートンは社会からはみ出した者や社会の中を上手く渡っていけない人間やモンスターたちの孤独や哀しみを愛情たっぷりに描く作品が初期の頃は多かったのですが、この作品はそんな彼の持ち味が前面に押し出されています。
 映像もティム・バートンのダークでキッチュな持ち味が活かされいます。1920年代のニューヨークを彷彿させるゴッサムシティ、おとぎ話の世界のような動物園、ゴシックホラー調のバットマンの館と見応えがあります。またティム・バートンならではの残酷なシーンや毒のあるユーモアなシーンもたくさんあります。
 役者たちもいい演技をしており、特にペンギンを演じたダニー・デビートとキャットウーマンを演じたミシェル・ファイファーは悪役を楽しそうに演じています。またクリストファー・ウォーケンも悪役ですが、いい味を出してました。
 この映画は勧善懲悪もののヒーロー中心の映画とはひと味違った魅力のある映画です。二つの顔の中で苦しむ主人公たちの姿や社会からはみ出した者たちの悲哀を描いた重厚な人間ドラマの映画です。ぜひ見てみてください。

製作年度 1992年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 128分
監督 ティム・バートン 
製作総指揮 ジョン・ピーターズ 、ピーター・グーバー 、ベンジャミン・メルニカー 、マイケル・ウスラン 
脚本 ダニエル・ウォーターズ 
音楽 ダニー・エルフマン 
出演 マイケル・キートン 、ダニー・デヴィート 、ミシェル・ファイファー 、クリストファー・ウォーケン 、マイケル・ガフ 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

『チャーリーとチョコレート工場』この映画を見て!

第43回『チャーリーとチョコレート工場』
こんな人にお奨め!「ちょっとブラックなチョコレートが好きな人。」
チャーリーとチョコレート工場 特別版  今回紹介する作品は昨年公開され大ヒットした『チャーリーとチョコレート工場』です。私はこの映画を劇場で見逃してしまい、DVDでの鑑賞となってしまったのですが、映画館で見れば良かったと後悔しています。
 この映画はハリウッドでも異端児として知られるティム・バートンが監督をしています。彼の映画の特徴は、お茶目で残酷でシュールな映像・ブラックユーモアとヒューマニズムを織り交ぜたストーリー・どこか影のあるキャラクターです。彼の代表作としては『バットマンリターンズ』・『シザーハンズ』などがありますが、どの作品も見た目の派手な映像の割にどこか暗い雰囲気が漂います。
 私は高校、大学の時は彼の映画の大ファンでよく見たものでした。彼の作品の映像のキッチュでシュールな映像、シニカルでダークなストーリーは私のお気に入りでした。ちなみに私が一番好きな作品は『バットマン・リターンズ』です。
 さて、久しぶりに見た彼の新作『チャーリーとチョコレート工場』ですが思った以上にティム・バートン節全開な映像とストーリーに見入ってしまいました。
 まず映像はおとぎ話の世界を見事に表現しています。ここら辺りはさすが『バットマン』や『スリーピー・ホロウ』を手がけたティム・バートンならではです。オープニングに出てくるチャーリーが住む傾きかけた家はゴシック調のデフォルメされた作りで見る者をおとぎ話の世界に一気に引き込みます。そしてメインのチョコレート工場。そのカラフルでキッチュでシュールな美術は見ていてとても楽しいです。特にウンパ・ルンパによるミュージカルシーンは彼ならではの毒のあるユーモア全開の映像と歌で最高でした。また映画マニアの監督ならではのお遊びシーンがあり、『2001年宇宙の旅』や『サイコ』のパロディシーンは見ていて笑ってしまいました。
 次にストーリーですが原作を基に脚色されているのでどうかなと思ったのですが、ティム・バートン監督の持ち味が活かされたものになっていました。そこはティム・バートン監督。ストーリー中盤の工場の経営者ウォンカ氏と憎たらしい子どもたちのやり取りは監督の茶目っ気と皮肉、毒のあるユーモアがみごとに活かされたストーリー展開で笑いっぱなしでした。それでいて、ラストは家族の愛を描き、ほろりとさせる展開は素晴らしかったです。私は不覚にも最後の父と子の和解場面でべたに感動してしまいました
 ティム・バートン監督というと以前は世の中から取り残された主人公たちの愛されない孤独や哀しみの姿を描いていました。それがここ最近は作風が変わって、『ビッグ・フィッシュ』など家族との和解をテーマにした映画を撮っており、この映画も前作に引き続いて家族愛を前面に押し出しています。
 またこの映画はティム・バートン作品の中で一番道徳的な作品でもあります。家族を愛し、欲のない、謙虚な人間が報われる道徳的な話しは児童小説の影響からかと思います。しかし、今までどちらかというと社会からはみ出した主人公たちの姿を通して人間の本質を描いてきた作品を多く作ってきたティム・バートンなので、そこが私にはちょっと不満でもありました。
 またこの映画は音楽が素晴らしいです。担当しているのは彼の映画音楽に欠かせないダニー・エルフマン。彼のコーラスを交えたフルオーケストラによる壮大なスコアーはおとぎ話の世界を見事に音楽で表現しています。またウンパ・ルンパによるミュージカルシーンの歌はシニカルでブラックな歌詞をリズミカルなメロディーにのせて唄っており、聴いていてとても楽しいです。
 出演者も映画の雰囲気に合っておりました。ウォンカ氏を演じたジョニー・ディップは妖しい姿で登場し、少し笑ってしまいました。子どもっぽい面もあれば、皮肉屋でもあり、どこか影のあるウォンカ氏をとても楽しそうに演じていましたね。ティムバートンとジョニー・ティップのコンビは今回で4作品目でありますが、この2人がタッグを組むと面白いですね。またここ最近ファンタジー映画に出まくりの、私の好きな俳優クリストファー・リーがこの映画でも思いがけない形で出演していたところも嬉しかったです。
 この映画、児童小説を原作にしていますが、一癖ある映画です。誰でも素直に楽しめる映画ではないかもしれません。しかし、ちょっとほろ苦く、見終わった後に幸せになれるこの映画。一度見てみる価値はあると思います。

製作年度 2005年
製作国・地域 アメリカ/イギリス
上映時間 115分
監督 ティム・バートン 
製作総指揮 マイケル・シーゲル 
原作 ロアルド・ダール 
脚本 ジョン・オーガスト 
音楽 ダニー・エルフマン 
出演 ジョニー・デップ 、フレディ・ハイモア 、デヴィッド・ケリー 、ヘレナ・ボナム=カーター 、ノア・テイラー 

 

| | コメント (8) | トラックバック (8)

『窓の日』矢野絢子

お気に入りのCD.NO4 『窓の日』 矢野絢子 

窓の日 今回紹介するCDは高知県出身の矢野絢子というアーティストのアルバムです。
 私が矢野絢子を知ったのは職場の先輩からでした。その先輩がぜひ私に聴かせたいCDがあると言って聴かせてくれたのが『窓の日』というアルバムでした。始めて聴いた時は歌唱力の高さと内省的で繊細な歌詞の鋭さと美しさ、ピアノを中心としたアコースティック音の心地よさがとても印象的でした。
 その後、先輩が誘ってくれて大阪のライヴにも連れて行ってもらいました。生で聴く彼女の歌声はとても心地よく、人間の悲しさやさびしさ、暖かさを唄った歌詞が胸に響きわたり、とても素敵なライブでした。
 私が彼女の歌で一番惹かれるのは歌詞です。彼女が紡ぎ出す言葉はどれもガラス細工のように繊細で美しく、それでいて野に咲く花のような暖かさと力強さを持っています。歌詞の内容は内省的なものや自分の経験や思いを投影したものが多いですが、多くの人が共感できる普遍性をもっています。特に私は「一人の歌」と「ふたつのプレゼント」がお気に入りです。「一人の歌」は生きることの孤独と哀しみを見事に歌詞にしています。また「ふたつのプレゼント」はピアノによる明るいメロディーと裏腹にある家族の崩壊と再生が唄われており、聴いた後まるで良質な短編小説を読んだかのような満足感が得られます。
 また全編ピアノを中心としたアコースティックなサウンドなのも、聴いていて心地よいです。『窓の日』には何曲かピアノやバイオリンによるインスト曲が収録されいるのですが、哀愁漂うメロディーと音は聴いていて、心を落ち着かせます。
 『窓の日』はシンプルで繊細で美しくとても素敵なアルバムです。派手さはありませんが何回も聴けるだけの力が歌に宿っています。ぜひ皆さんも聴いてみてください。ライブに行きたくなると思います。

1. 明るい方へ
2. ひとつふたつ
3. 一人の歌
4. 九月の高原
5. 幻の光(インストゥルメンタル)
6. 雨のレストラン
7. 手のひらに十二月(インストゥルメンタル)
8. つめたい手
9. ふたつのプレゼント
10. サンタの家
11. 音の無いフィルム(インストゥルメンタル)
12. 吉野桜
13. 窓
14. 瞬き

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『フルメタル・ジャケット』この映画を見て!

第42回『フルメタル・ジャケット』 スタンリー・キューブリック特集5
こんな人にお奨め!「戦争とは何か知りたい人、人間が狂気に陥っていく姿を見たい人」
フルメタル・ジャケット

 今回紹介する映画は戦争の本質を見事に抉りだしたキューブリックの傑作です。最近イラクでのイギリス軍や米軍の兵士によるイラク人への虐待や虐殺が問題となっています。なぜ兵士たちがあのような非人道的な行為をしてしまうのか、この映画はその答えを明解に教えてくれます。
 この映画は全編ドキュメンタリータッチで普通の若者が殺人マシーンの兵士となり、戦場で人を殺すまでを描いてます。キューブリックらしく、映像はどこまでもクールであり、ストーリーも主人公に感情移入をさせない作りになっており、観客は観察者として終始この物語を見ていくことになります。
 ストーリー「アメリカ南カロライナの海兵隊新兵訓練所に入隊したジョーカー、カウボーイ、レナードら若者たち。彼らは鬼教官ハートマンのもとで、毎日地獄のような猛訓練が行われる。しかし、一人落ちこぼれの若者レナードは訓練についていけず、仲間の足手まといになっていた。レナードは教官や仲間にいじめられ、次第に狂っていく。そして卒業前夜に教官をライフルで撃ち殺して自殺してしまう。訓練所を卒業したジョーカーやカウボーイは戦地ベトナムへと向かう。 そしてジョーカーは市街地で地獄のような戦場を目の当たりにすることになる。」
 この映画のストーリーは2部構成となっており、最初の45分間は訓練所の様子を描き、残りの1時間はベトナムでの様子を描いています。1部では若者が兵士となるまでの姿をシニカルに描きます。鬼教官による人間性を剥奪するような卑猥で差別的な罵詈雑言の嵐。聴くに堪えないような言葉の連続に圧倒されます。過酷な訓練と規律、言葉の暴力から、次第に殺人マシーンの兵士へと変わっていく若者たちの姿は見ていてぞっとします。2部では殺人マシーンと化した兵士たちの戦場での姿を描いていきます。特に印象的なのが廃墟の中で闘うシーンです。次々と倒れる仲間たちの姿、見えない敵への恐怖、そして思いがけない敵の正体。このシーンは戦争の狂気と虚しさが見事に表現されています。
 映画のラストは兵士たちが戦場を歩くシーンにミッキーマウスマーチが流れてくるのですが、戦争の狂気を見事に表現しています。
 この映画はベトナム戦争を扱っていますが、極めて普遍的なテーマを扱った映画であり、戦争と人間の狂気というものを見事に抉りだしています。キューブリック監督はどの映画でも狂気というテーマを扱っています。監督は常に人間の狂気がもつ力や恐怖、虚しさを映画のテーマとして取り上げます。この映画でも戦争という狂気に巻き込まれた人間の狂気の虚しさや愚かさを皮肉たっぷりに描いています。しかし私はこの映画を見て、キューブリック監督は人間の狂気に対してもはやどこか諦観しているのではないかと思ったりもしました。そして、監督は人間の狂気を滑稽で愚かな人間らしさの一つとして捉え、狂っていく人間にどこか愛おしさを感じていたのではないかとすら思います。
 『フルメタル・ジャケット』はとても優れた戦争映画であり、人間の狂気という本質を描いた映画でもあります。ぜひ皆さんも見てください!

製作年度 1987年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 116分
監督 スタンリー・キューブリック 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 
原作 グスタフ・ハスフォード 
脚本 スタンリー・キューブリック 、マイケル・ハー 、グスタフ・ハスフォード 
音楽 アビゲイル・ミード 
出演 マシュー・モディーン 、アダム・ボールドウィン 、ヴィンセント・ドノフリオ 、R・リー・アーメイ 、ドリアン・ヘアウッド 

| | コメント (2) | トラックバック (3)

『シャイニング』この映画を見て!

第41回『シャイニング』 スタンリー・キューブリック特集4
お奨めの人!「本当に怖い映画が見たい人!」
シャイニング 特別版 コンチネンタル・バージョン 今回紹介する映画はキューブリック監督が手がけたホラー映画『シャイニング』です。この映画はただ怖いだけでなく、とても芸術的美しさに満ちたホラー映画です。
 私はキューブリック監督の映画の中でこの作品が一番のお気に入りです。わっと驚かすようなこけおどしな恐怖でなく、ホテルのデザインやカメラワークなど映像そのもので観客に不安感や恐怖感を煽り立てようとする演出。狂気とアイロニーに満ちたストーリー。観客の不安感を増大させる現代音楽。この映画はキューブリック作品の中でも比較的見やすく、それでいてキューブリック監督の魅力が存分に発揮されている映画です。
 この映画の一番の見所は映像です。映像は全体的にブルーがかっていて、とても冷たい印象を与えます。オープニングは空撮シーンから始まるのですが、主人公が乗った車をひたすら後ろからカメラで追いかける撮り方はとても不気味です。このオープニングはこれから始まる物語を予兆してとても見事です。またホテルの美術もシンメトリーな構図や赤を多用した独特の色遣いなど生理的に落ち着かないデザインになっていて、観客に不気味な印象を与えてくれます。私はホテルの絨毯の模様が見ていて、とても気持ち悪くなったのを覚えています。またホテルの廊下を三輪車で走り回るシーンも不気味です。後ろからじっと見つめられているようなローアングルのカメラアイ。誰かに常に見られているこの感覚は怖いです。このシーンのためにキューブリック監督は新開発のステディカムという方式を使い撮影したそうです。
 また効果音や音楽の使い方もとても効果的です。人の神経を逆なでするような現代音楽の起用は、映像の不気味さをさらに増大させます。また心臓の鼓動の効果音は物語の緊張感を高めますし、広いホールに響くタイプライターの音は主人公たちの孤独を見事に表現しています。
 もちろん、この映画はホラー映画だけあって怖いシーンもたくさんあります。惨殺された双児の少女の亡霊、エレベーターからあふれ出る血の洪水、お風呂場の幽霊など見ていて背筋がぞっとする映像です。しかし、一番怖いシーンは主人公ジャックがタイプライターでひたすら打っていた文章を妻が見つけるシーンです。このシーンは書かれた文章の内容もあって、見る者を凍りつかせます。どのような文章かはぜひ映画を見て確認してください。
ストーリー:「作家のジャックは家族と共に雪に閉ざされたロッキー山上の大ホテルに管理人としてやって来た。しかしそのホテルには、前任者が家族を殺し、自殺するという呪われた過去があった。ジャックの一人息子ダニーは超能力をもっており、過去や未来を見通す力があった。彼はホテルの邪悪な力に気づき、自分たち家族の未来に恐怖が襲いかかることを感じていた。そして始まるジャックとその妻ウェンディ、ダニー3人だけのホテルでの生活。彼らの生活はホテルがもつ邪悪な力によって徐々に蝕まれていく。ダニーの前に現れる幽霊たち。ウェンディはホテルに他の誰かが潜んでいるのではと次第に脅え始め、ジャックはホテルの力によって次第に狂い始めていく。」 
 原作は『グリーンマイル』や『キャリー』の原作も手がけたアメリカホラー小説界の巨匠スティーヴン・キング。彼はキューブリックが監督した『シャイニング』の仕上がりにとても不満をもっており、自分でテレビドラマとしてリメイクしたほどです。なぜキングが映画の出来に不満を持ったのかというと、キングが小説で大切にしていた部分を見事にカットしてしまったからです。原作は家族の微妙な人間関係や登場人物の心理の描写に焦点を置いて、話しが進んでいきます。読者は単なるホラー小説としてだけでなく、人間ドラマとしてもとても読み応えのある内容となっています。ラストは映画とは全く違い、家族とホテルとの対決が描かれます。ラストは怖いシーンの連続でもありますが、家族愛などもしっかり描かれており感動的ですらあります。
 それに対して映画は家族の人間関係や心理描写などはあまり描かれずに、ひたすらホテルによって狂わされていく家族の様子が描かれていきます。映画では家族よりもホテルそのものに焦点が当たっています。監督はホテルに来た家族の関係や心理描写よりも邪悪な力に満ちたホテルそのものを描いてます。登場人物たちはホテルに振り回される受け身な存在でしかありません。ここら辺が原作者のキングが気に入らなかった大きな理由だと思います。
 映画のラストは原作のラストに比べると曖昧な終わり方をしていますが、映画の方が不気味な余韻を残します。このラストシーンは時間が永遠に止まったままのホテルの魅力に取り憑かれた男の話しだったとも受け取れます。私はこの映画のラストはホテルとジャックにとってはある意味ハッピーエンドだったのかなと思っています。
 この映画の特徴として、怪奇現象が本当に起こったことなのか、登場人物たちの妄想なのか曖昧に描いているところがあります。この映画の怪奇現象は捉えようによっては、主人公たちの妄想の産物とも受け取ることができます。閉鎖的なホテルの中で次第に狂っていく人間たちの姿を描いたドラマとしても見ることが出来ます。
 また、もう一つの特徴として、この映画は恐怖と笑いを紙一重に捉えています。狂っていくジャックの姿は怖いと同時にどこか滑稽です。ジャックが斧を持って、ウェンディとダニーの逃げ込んだ洗面所を襲うシーンはとても怖いシーンにもかかわらず、その姿はどこかユーモア漂ってます。またラストにウェンディがホテルの中で出会う幽霊たちもどこかユーモアがあり、まるでウェンディをからかってるみたいです。極め付きはジャックの死に様。何回見ても間抜けで笑ってしまいます。キューブリックは恐怖と笑いの紙一重をよく分かった上でこの映画を作ったのだと思います。
 役者の演技もこの映画は最高です。ジャックを演じたジャック・ニコルソンの演技はすこし過剰すぎる所がありますが、狂っていく様子を本当に狂気迫る演技で見せてくれます。そしてウェンディと役のシェリー・デュヴァル。はっきり言って、彼女の表情は幽霊並みに怖いです。彼女の神経質でヒステリックな演技は、ジャックがウェンディにいらいらしてしまうのを納得させるリアリティがあります。。
 映画『シャイニング』はとても不気味で、恐ろしく、それでいて芸術的な価値をもった作品です。またキューブリックの作品の中で一番取っ付きやすい作品でもあります。始めてキューブリックの作品を見る人は、この映画から見ることをお奨めします。冬の寒い夜、皆さんもシャイニングを一度見てみてください。より冬の寒さが身にしみると思います。
 最後に一言。この映画はアメリカ公開版と海外公開版と二つのヴァージョンが存在します。アメリカ公開版の方が20分長く、ホテルでの家族の様子が詳細に描かれています。現在DVDで入手できるのは海外版のほうで、アメリカ公開版は絶版となっています。アメリカ公開版が見たい人はレンタルビデオ屋に行くと置いてあるかもしれません。

製作年度 1980年
製作国・地域 イギリス
上映時間 119分 (米国公開版141分)
監督 スタンリー・キューブリック 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 
原作 スティーヴン・キング 
脚本 スタンリー・キューブリック 、ダイアン・ジョンソン 
音楽 ウェンディ・カーロス 、ベラ・バートック 
出演 ジャック・ニコルソン 、シェリー・デュヴァル 、ダニー・ロイド 、スキャットマン・クローザース 、バリー・ネルソン 

| | コメント (4) | トラックバック (6)

『バリーリンドン』この映画を見て!

第40回『バリー・リンドン』 スタンリー・キューブリック特集3
こんな人にお奨め!「18世紀ヨーロッパに興味のある人、コスチューム劇が好きな人、人生とは何か考えている人」
バリー リンドン

 今回紹介する映画は鬼才キューブリック監督が作った歴史映画『バリー・リンドン』です。この映画はキューブリックの作品の中では知名度は低いですが、隠れた名作です。日本を代表する黒澤明監督がこの映画を見て大変感激して、キューブリックに賞賛の手紙を書いたほどです。
 『バリー・リンドン』はもともとキューブリック監督が長年構想していたナポレオンを題材にした映画を撮ろうと準備していた矢先に制作中止となり、代わりに制作された映画です。
 この映画の一番の見所は徹底した18世紀ヨーロッパの再現です。文化、衣装、生活様式の細部に至るまで全てが緻密に再現されており、観客を18世紀にタイムスリップさせます。特に当時の室内の自然な光を再現にはこだわっており、蝋燭の光だけで撮影できるカメラレンズを開発したそうです。映像の美しさはまるで動く絵画を見ているかのようです。
 私がこの映画を始めて見たのは大学の時でしたが、その時はもうひとつピンときませんでした。映像の美しさにはため息が出ましたが、ストーリーは淡々と進んで、淡々と終わっていくのでもう一つストーリーに入り込んでいけませんでした。また主人公も他のキューブリック映画のように強烈な印象や魅力がありませんでした。この映画は私には合わないかなと思っていたのですが、最近DVDを買って見直すと昔見た時には気づかなかったこの映画の魅力に気づき、とてもはまってしまいました。
 ストーリー:「18世紀のアイルランド。バリーは貧しい農民の母子家庭に生まれた。ある日、恋愛のいざこざで決闘することになるが、何とか相手を射殺して逃げることができる。しかし逃げる途中にイギリス軍隊に入隊する。しかし、戦争に嫌気のさしたバリーはイギリス軍から逃亡するが、プロセイン軍に捕まってしまい、プロセイン軍のスパイをさせられることになる。しかし、スパイする
シュバリエがアイルランド人だったこともあり、バリーは彼の側につき、彼と共にヨーロッパ中でイカサマ賭博師として大儲けする。そんな中ベルギーの宮殿で名門リンドン家の夫人と出会い、彼女の心を射止めて、結婚することになる。そして莫大な冨と名声を得たバリーだったが、そこから彼の人生は大きく転落していくことになる。」
 この映画のストーリーは2部構成になっており、第1部はバリーが結婚して名声を得るまで、第2部はバリーが没落していくまでを描きます。この映画は他の映画と大きく違ってナレーションがバリーにこれから起こることを先に伝えます。観客はこの後、バリーの身に何が起こるのかをあらかじめ知った上で見てきます。
 それはキューブリック監督が観客に主人公へ感情移入させず、主人公を見つめる観察者として見るように仕向けているように思えます。この映画は主人公に感情移入する映画でなく、主人公の人生を覗き見する映画です。
 またこの映画の主人公は他の映画と違って魅力がありません。はっきり言って、とても嫌な奴です。明確な意志を持って人生を切り開いていくのでなく、ずる賢く日和見主義的に振る舞って人生をやり過ごしていくので、見ていてとても共感しにくいです。しかし考えてみたら、あの当時に現実的に農民が貴族まで上りつめようとしたら、バリーのごとく振る舞うしかないのだろうなとも思います。
 さらにこの映画はバリーの視点を通して戦争の愚かさ・虚しさや貴族の堕落した姿を痛烈に批判しています。横一列に並び銃を構えて敵に向かってゆっくり歩いていき、撃たれて死んでいく兵士たち。形式ばった戦争で無意味に死んでいく兵士たちの姿は戦争の本質を抉りだしています。また貴族の称号を得るために貴族のスタイルや生活習慣を身につけようとするバリーの姿はどこか虚しいです。この映画は貴族社会の習慣や風習をじっくりと描く中で、貴族社会の差別性、形式主義に対する痛烈な皮肉を訴えかけます。
 この映画は見終わった後、人生の栄枯盛衰や無常観を強く感じます。ラストシーンに出てくる「美しき者も、醜いものも今はあの世」という文章は、この映画のテーマを見事に語っていると思います。バリーはあまり共感できる主人公ではないのですが、見終わった後はなぜかバリーにとても悲哀を感じて共感しまいます。それはバリーの人生の栄枯盛衰に人生の無常観を感じてしまうからかもしれません。
 この映画は隠れた名作です。3時間以上の大作ですが、見終わった後に人生とは何か考えさせられると思いますよ。ぜひ見てみてください!

製作年度 1975年
製作国・地域 イギリス
上映時間 186分
監督 スタンリー・キューブリック 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 
原作 ウィリアム・メイクピース・サッカレー 
脚本 スタンリー・キューブリック 
音楽 レナード・ローゼンマン 
出演 ライアン・オニール 、マリサ・ベレンソン 、パトリック・マギー 、スティーヴン・バーコフ 、マーレイ・メルヴィン 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

『時計じかけのオレンジ』この映画を見て!

第39回『時計じかけのオレンジ』 スタンリー・キューブリック特集2
お奨めする人!「人間の暴力について考えてみたい人、クールでポップな映画が見たい人、パンクな映画が見たい人」
時計じかけのオレンジ

 今回紹介する映画はキューブリック映画で一番カルト的人気のある作品『時計じかけのオレンジ』です。この映画は近未来の若者の姿を通して人間の暴力性をテーマにした映画です。公開当時はポップでアナーキーな映像、シニカルなストーリーが絶賛されたものの、過激な暴力シーンから上映禁止になる国もあったほどでした。
 私がこの映画を最初に見たのは10年くらい前ですが、過激だと言われた暴力シーンは私は思ったほどではありませんでした。確かに冷酷残酷なシーンが多々ありますが、とても客観的に冷めた視点で撮られているので、見ている自分も暴力に陶酔するということはありませんでした。むしろ、ここ最近のハリウッド映画の暴力シーンの方が、見ている側を陶酔させるような描き方をして問題だと思います。暴力シーンはさておいて、映画自体はとても魅力的なもので、一気にはまってしまいました。ポップで大胆な芸術的映像、クラッシック音楽の大胆な使い方、シニカルなストーリーはさすがキューブリックと言えるものでしたし、人間の暴力性というテーマも考えさせられるものがありました。
 ストーリー:「 共産主義国になった近未来のイギリス。麻薬、暴力、盗み、暴行など、悪の限りを尽くす不良グループが存在した。リーダー格のアレックスは暴力とベートベンが好きな15歳。彼は超暴力の構想を日々練っていた。彼の暴力は日に日に過激になり、遂にある盗みの最中に仲間の裏切りで捕まった。その服役中に、悪人を善人に変える「ルドビコ式心理療法」の試験台となり、暴力を嫌悪する無抵抗な人間となって釈放される。しかし、そんな彼を待っていたのは、かつて自分が暴力の対象にしていた者たちからのすさまじい報復だった。
 この映画は全編さまざまな暴力を取り上げ、人間の中に潜む暴力性について考察していきます。前半は個人が個人に犯す暴力を取り上げ、人間が本能的にもつ暴力への衝動や誘惑について考察していきます。普段は道徳や倫理というオブラートで包み隠されている人間の暴力性というものを鋭く描いています。暴力はダメだという理性の下にある暴力への激しい衝動と誘惑。映画の主人公はたまたま暴力はダメだという理性を持ち合わせていなかっただけにすぎないのではないのかと激しく観客を挑発します。
 後半は国家権力が個人に犯す暴力を取り上げます。暴力を否定するために暴力を使う国家権力のおぞましさ。文明の下で行われる野蛮な行為。そこには正義や平和のために戦争をしてもよいという現代の文明化された野蛮な国々に対する痛烈な皮肉が込められています。また国家権力は社会の秩序維持の為にどこまで個人の人間性に介入することが許されているのかという倫理的な問題を観客に提起します。この問題提起はテロや犯罪の頻発する中、国家による個人への統制管理が進んでいる現代の方がむしろ論議されるべきことかもしれません。
 映画のラストは賛否両論分かれると思います。嫌悪感を抱く人もいるかもしれません。しかし、この映画のラストはとてもシニカルな形で個人の尊厳について訴えかけています。
 さて、この映画はストーリーだけでなく映像・音楽でも見るべきところは多いです。特に映像は今見てもとても斬新でユニークです。また映画に出てくる衣装や美術はどれも印象的です。山高帽に白のツナギに黒のブーツとステッキ。ミルクバーの猥褻な美術、広々としたレコードショップ、性器の形をした置物、ポップなデザインの建築物とその内装や家具。どれも強烈なインパクトがあります。また音楽の使い方も巧みで、暴力シーンにそぐわないような音楽を選曲して、映像のインパクトをさらに強烈にしています。
 この映画は見た目の過激さだけでなく、とても奥深いテーマを内包した作品であり、何回見ても考えさせられる作品であります。一見反社会的な内容でありながら、そこで語られるのは個人の人間性の尊厳と極めてまじめなテーマです。ぜひ、みなさんも一度この作品を見てみてください!

製作年度 1971年
製作国・地域 イギリス
上映時間 137分
監督 スタンリー・キューブリック
原作 アンソニー・バージェス 
脚本 スタンリー・キューブリック 
音楽 ウォルター・カーロス 
出演 マルコム・マクダウェル 、パトリック・マギー 、エイドリアン・コリ 、オーブリー・スミス 、マイケル・ベイツ 

| | コメント (2) | トラックバック (4)

『2001年宇宙の旅』この映画を見て!

第38回『2001年宇宙の旅』 スタンリー・キューブリック特集1
こんな人にお奨め!「名作と呼ばれる映画を見たい人、SF映画大好きな人、人類の進化について考えたい人」
2001 今回はSF映画の金字塔とも言える『2001年宇宙の旅』を紹介します。
この映画は1968年に公開された映画ですが、今見ても、全然古くささをを感じさせません。ため息の出るほど美しい映像、クラッシック音楽の大胆で巧みな使い方、宇宙の広大さと静けさを表現した音響効果の素晴らしさ、人類の進化を扱った奥の深いストーリー、映像に隠された様々な暗喩。この映画は何度見ても新たなる発見のある映画です。
 私がこの映画を最初に見たのは高校の時でした。雑誌などの映画史に残る映画ベスト10に必ず登場する『2001年宇宙の旅』に、私は一体どんなSF映画なのかと期待が膨らんでいたものでした。しかし、LDを購入して家で見たところ、いきなり猿が争うシーンが延々と続き戸惑いました。その後、宇宙ステーションや月面のシーンを見ても、映像のリアルさ・美しさに感動したものの、淡々と進むストーリーに正直退屈したものでした。HALという人工知能コンピューターが出て、人間に反乱をする場面は手に汗握ったものの、ラストのスターゲート突入から一気に話しについていけなくなりました。この映画は私のSF映画への概念を見事に崩してくれました。私はSF映画というと思い浮かべるのは『エイリアン』や『スターウォーズ』でした。だから『2001年宇宙の旅』も宇宙を舞台に手に汗握る活劇が展開されると勝手に勘違いしてました。この映画を見て、映画は総合芸術だということを私は始めて認識しました。
 ストーリー:「400万年前の人類の夜明け。人類はまだ他の動物と大差ない生活を送っていた。そんな人類の前に現れる黒石板モノリス。人類はモノリスと接触することで道具を使えることを発見する。そして2001年。月面で黒石板モノリスが発見される。なぜモノリスは人類の前に再び現れたのか?この物体の謎を解明するため、5人の科学者を乗せた宇宙船ディスカバリー号が木星に旅立つ。しかし、宇宙船ディスカバリー号に搭載されていた人工知能コンピュターHALが人類に対して反乱を起こしてしまう。HALの反乱で4人死に、ボーマン船長一人が生き残る。なぜHALは反乱を起こしたのか、そしてモノリスはなぜ人類の前に現れたのか、謎を抱えたままディスカバリー号は木星に到着する。そこで ボーマン船長が体験したこととは・・・・。
 この映画はセリフが極端に少なく、140分の上映時間中で40分くらいしかありません。その為にストーリーの全体像を1回見ただけで把握するのはとても困難です。この映画はセリフでなく映像そのものに深い意味が込められています。観客は映像からこの映画のストーリーやテーマ性を解釈していかないといけません。そう言う意味ではこの映画は観客の想像力をとても刺激する映画であります。
 この映画はアーサー・C・クラーク が書いた原作本もあるのですが、そちらは映画でよく分からなかった部分もとても丁寧に解説されおります。原作は映画と違い作者の意図やメッセージが明確に記されており、とても分かりやく面白い小説に仕上がっています。もし映画を見て、ストーリーがもう一つ分からなかった方や映画では説明されなかった謎に対する詳細な理由が知りたい人はぜひ原作を読むことをお奨めします!
 私はこの映画を人類の進化と暴力について考察した作品だと思っています。人間は暴力によって常に争い、強者が弱者を支配して文明を進化させてきた過程をこの映画は描いています。映画の冒頭の人類の祖先が道具を使い動物を殺し、仲間と争い始める場面は人間の進化と暴力の関係を見事に描いてます。映画後半で展開されるHALの反乱とそれに対して人間がHALのスイッチを切る場面もとても暴力的です。人類の地球の支配者としての存在を脅かす新たなる支配者に対して争う姿を象徴的に描いています。この映画は人間(それも男性)が暴力によって地球の支配権を獲得していった過程を描いた作品であります。
 ラストはとても抽象的で一度見ただけでは、何が起こっているのか掴みにくいと思います。原作ではラストに関しても詳細に何が起こっているのか説明しているのですが、映画では全く説明されていません。映画のラストのスターゲート突入からスターチャイルド誕生までのシーンは人間と宇宙に存在する高度知的生命体との接触を描いています。そして、高度知的生命体はHALとの争いで勝ったボーマン船長を新たなる生命体として進化させます。それが映画のラストのスターチャイルドです。
 さて、この映画の見所は奥の深いストーリーだけではありません。映像・音楽・音響、どれも全てが考え抜かれており、この映画のテーマを見事に語っています。特に各場面の映像にはさまざなな意味が込められており、観客はこの映像は何を象徴しているのか考えながら見ていくことが出来ます。例えば、人類の祖先が投げた骨が、次のカットで宇宙船のショットへとつながり、それがさらに宇宙船内を浮かぶペンのショットへとつながる一連のシーンなどは文明の進化を見事に表したシーンだと思います。
 また音響も巧みです。映画の後半の宇宙船内で息づかいだけが聞こえてくるシーンは、緊張感と主人公の孤独と閉塞感が見事に表現されています。
 さらに映像と音楽のシンクロも最高で、クラッシック音楽と近未来の宇宙の映像が見事なくらいマッチしてます。最初はこの映画のために音楽が作られていたのですが、監督がそれを全部却下して、今のクラッシック音楽に変えたそうです。この選択はとても大成功だったと思います。映画の冒頭、「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れる中、惑星が一直線に並ぶシーンなんて鳥肌が立ちます。
 この映画はとても30年以上前に作られた映画だとは思えないほど、今見ても素晴らしい作品です。現実の2001年は残念ながら映画で描かれる2001年ほど宇宙に人類は進出できませんでした。しかし、この映画はとてもリアルに人間の宇宙進出を描いてます。30年以上前のCGもない時代にこれほどの完成度の映像を作ったとは驚くべきものです。映画は決して技術だけではなく、監督のセンスや美意識が大切なことがよく分かります。
 ぜひ皆さんも映画史に残る名作『2001年宇宙の旅』をご覧になってください!

製作年度 1968年
製作国・地域 アメリカ/イギリス
上映時間 139分
監督 スタンリー・キューブリック 
原作 アーサー・C・クラーク 
脚本 スタンリー・キューブリック 、アーサー・C・クラーク 
出演 ケア・デュリア 、ゲイリー・ロックウッド 、ウィリアム・シルヴェスター 、ダニエル・リクター 、レナード・ロシター 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「スタンリー・キューブリック」私の愛する映画監督3

第3回「スタンリー・キューブリック」
kubrick_head2 皆さん、スタンリー・キューブリックという映画監督をご存じでしょうか?彼が監督した映画はどれも芸術作品であり、映画史に残る名作であります。また彼の映画は常に革命的な映像表現と卓越した音楽センスで、後の多くの映画人に影響を与えています。
 私がキューブリック監督に出会ったのは高校生の時でした。その頃は映画ファンの間で名作と言われる作品を片っ端から見えていた時期でした。そして私が読んでいた映画の解説本で、SF映画の代表として『2001年宇宙の旅』が高く評価されていました。私は小さいときからSF大好きな人間だったので、SF映画の代表作と呼ばれるくらいなら一度は見ておかないということで、LDで購入しました。家の小さなテレビでの鑑賞だったのですが、私の予想を遙かに超えた作品でした。『スターウォーズ』や『未知との遭遇』などが好きだったので、この作品も宇宙を舞台にした娯楽映画だと勘違いしてました。それがいきなり猿のシーンが延々と続きなんだこの映画はと驚いたものです。そしてこの映画はただ者でないと気づき、姿勢を正して見入りました。宇宙船の映像美、クラッシック音楽の大胆な使い方、難解なストーリーに見終わった後は圧倒されてしまいました。この映画を作った人は天才に違いないと確信した私は、その後キューブリック監督の映画を片っ端から買い集め、鑑賞していきました。大学生の頃にはキューブリック信者になっており、月に一度は彼の映画を見ないと気がすまいようになってました。
 彼の映画には他の映画にはない幾つかの特徴があります。その特徴が彼の映画の魅力であり、名作と呼ばれる所以だとも思います。

①圧倒的な映像美
 彼はもともと写真家だったこともあって、映像にはとてもこだわっています。彼の映画はどのシーンも、絵画か芸術写真のように美しいです。効果的な照明の使い方、完璧な画面の構図、映画美術に対するこだわりなど、自分がイメージする映像を完成させるためへの追求心は半端ではありません。彼はいいショットが撮れるまで同じシーンを何回も撮り直したそうです。『アイズ ワイド シャット』でトム・クルーズは50回以上同じシーンを撮り直したそうです。また彼は毎回作品のテーマや雰囲気にあった映像を生み出すために新しい撮影技術も積極的に取り入れています。『バリー・リンドン』では蝋燭の光だけで撮影できるようにレンズを開発し、『シャイニング』ではステディカムという装置を使い、スムーズな移動撮影を行っています。言葉で説明するのは難しいですが、彼の映像美は一見の価値があります。
②シンメトリーな構図の空間
 彼の映画を私が見るときにいつも注目するのがシンメトリーな構図の空間設計です。シンメトリーな構図とは左右対称な構図のことをいうのですが、彼の映画はシンメトリーな構図のシーンが多いです。シンメトリーな構図は整然とした秩序ある美しさを感じる反面、どこか居心地の悪さを感じてしまいます。だから彼の映画で左右対称な構図の空間が出てくると、気になると同時にとても生理的違和感を覚えるんですよね。
③卓越した音楽センス
 彼の音楽の使い方はとても巧みです。どの作品においても、映画のテーマや映像の魅力をさらに引き立たせる音楽の使い方がされています。彼は時として普通の人なら考えもしないような選曲をします。このシーンにこの音楽をもってくるのかと観客を驚かせます。特に『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』のクラッシック音楽の使い方は巧みでした。近未来宇宙の映像と古典的なクラッシックの融合、バイオレンス映像とベートーヴェンの融合などは新たなるクラッシック音楽の可能性を切り開いたと思います。また映画で歌が挿入されることが多いのですが、アイロニカルな使い方をしています。映像のもつ意味と相反する歌を流すことで、そのシーンが持つ意味を引き立たせています。彼の映画において音楽とは映像の従属物ではなく、映像の可能性を切り開くための大切な役割を担っています。   
④主人公への冷めた視点
 彼の映画はどの作品も主人公に感情移入できないような作りになっています。観客は神のような視点で客観的に主人公の姿を捉えて判断することを要請されます。彼は主人公の行動は描いても感情というものはあまり描きません。彼は常に観察者として主人公を見つめて追っています。彼は一人の人間の感情や人生を追う作家ではなく、彼は“ある人間”をサンプルとして取り上げ、人間とはどういう存在かをより大きな視点で捉えようとします。彼は普遍的人間性を追求した作家だと思います。
⑤深いテーマ性
 彼の映画はどれもジャンルが違います。戦争映画、SF映画、ホラー映画、歴史映画といろいろなジャンルの映画を監督しています。しかし、どの映画も共通したテーマがあります。それは「人間と暴力」、「人間と狂気」というテーマです。(『アイズ ワイド シャット』は少しテーマが違っていましたが) 彼の映画はどれも暴力に満ちています。戦争という暴力はもちろんのこと、人間が本質的に持っている暴力性というものを、どの映画でも追求しています。 また人間がもつ狂気というものにもとても興味があるようで、主人公である人間が狂っていく様子をいつも淡々と描いています。彼にとって人間とは暴力的存在であり、狂った存在であると映っていたのでしょうか。

 彼の映画は他の映画には魅力があります。そしてその魅力に一度はまってしまうと、何度でも彼の映画を見たくなります。彼が『アイズ ワイド シャット』撮影後に亡くなったのが残念です。
 是非、みなさんも一度ご覧ください。また「この映画を見て!」でも彼の各映画について取り上げていこうと思っているので、お楽しみに!

*スタンリー・キューブリック監督作品
1955年 非常の罠 
1956年 現金に体を張れ 
1957年 突撃  
1960年 スパルタカス 
1962年 ロリータ  
1964年 博士の異常な愛情  
1968年 2001年宇宙の旅   
1971年 時計じかけのオレンジ   
1975年 バリー・リンドン  
1980年 シャイニング 
1987年 フルメタル・ジャケット  
1999年 アイズ ワイド シャット 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

『エクソシスト』この映画を見て!

第37回『エクソシスト』
こんな人にお奨め!「怖い映画が見たい人、オカルトに興味がある人、神の存在について考えてみたい人、人間の弱さについて考えている人」
exo25r2  この映画は映画史に残るホラー映画の傑作であり、知っている人も多いと思います。この映画は確かにホラー映画の代表作というだけあってショッキングなシーンも数多くあります。屋根裏の謎の音、ポルターガイスト現象、悪魔に取り憑かれ苦しむ容姿が変貌する少女、首が180度回るシーン。
 しかし数多くのホラー映画が作られている今見るとそんなに怖い映画ではありません。むしろ悪魔払いを中心にした奥深い人間ドラマが展開される映画です。
 この映画は悪魔払いを扱った映画でありますが、悪魔払いのシーンは最後の30分ほどです。最初の1時間はある日突然に悪魔に取り憑かれた少女とその母親の悪魔に脅える姿と自分の母を見捨てた若い神父カラスの苦悩する姿とを平行して描いていきます。そして中盤過ぎかかった頃、ようやく家族とカラス神父は出会い、悪魔の存在を確認し、悪魔払いに挑んでいきます。
 映画の前半は突然原因も分からず様子がおかしくなった少女に戸惑う母親の孤独と苦悩がじっくりと描かれています。病院に行ってありとあらゆる所を診察しても異状の見つからず、どんどん様子の変わっていく娘に精神的に追いつめられていく母親の姿がとてもリアルに描かれています。救いたくても救えない苛立ちや焦り、未来に対する不安と絶望、何としても子どもを守りたい母親としての愛情。この映画は母の子に対する愛情を描いたドラマとしても1級品です。
 またこの映画は人間の弱さを描いた映画でもあります。悪魔に取り憑かれた少女と並んで、この映画の主役とも言えるカラス神父は人間の弱さの象徴として描かれています。独り身の母親を見殺しにしたという苦悩にずっと苛まされるカラス神父。神父でありながら人を救うことが出来ない無力感。彼は神父としての自分にどこかコンプッレックスを持って生きています。しかし最後に悪魔と直接対決する中で、自分の弱さを悲劇的な形ではありますが克服します。この映画は自分の内面の弱さと向き合い克服するドラマとしても胸に残るものがあります。
 映画のクライマックスの悪魔払いのシーンは圧巻です。描かれる時間は短いのですが、今までのドラマの積み重ねがある分、とても見入ってしまいます。映画の冒頭で出てきたメリン神父が登場し、悪魔との一騎打ちが始まります。このシーンの緊張感は凄いです。そして思いがけない形で突然打たれる終止符。それは見ているものに深い余韻を与えてくれます。
 この映画が単なるホラー映画を超えた格調高い仕上がりになっているのは、ストーリーの奥深さもありますが、演出面での巧みさもあります。
 暗く冷たい印象を与える映像、巧みなカメラワーク、編集の巧みさ、ドキュメンタリータッチの演出、効果的な音楽の使い方と、どれも映画の仕上がりを高めています。特にメリン神父がタクシーでやってくるシーンと何とも言えない後味を残す映画のラストシーンは印象的です。
エクソシスト ディレクターズカット版
 この映画は2000年に再編集され、10分程のシーンが追加されたディレクターズ・カット版が公開されています。こちらはリーガンが蜘蛛歩きをするシーンやラストシーンに変更が加わっています。またCGによるサブリミナル映像も各所に付け加えられています。しかし、完成度で言うとオリジナルの方が優れています。30年前にこれらのシーンを付け加えなかったのは正解だったと思います。
 続編も何本か制作されていますが、これらも1作目には及びません。

皆さんも是非この恐ろしくも哀しい映画を見てみてください。深い余韻が残ると思います。

製作年度 1973年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 122分
監督 ウィリアム・フリードキン 
製作総指揮 ノエル・マーシャル 
原作 ウィリアム・ピーター・ブラッティ 
脚本 ウィリアム・ピーター・ブラッティ 
音楽 マイク・オールドフィールド 、ジャック・ニッチェ 
出演 エレン・バースティン 、マックス・フォン・シドー 、リー・J・コッブ 、ジェイソン・ミラー 、リンダ・ブレア 

| | コメント (5) | トラックバック (2)

『アマデウス』(ディレクターズカット版)この映画を見て!

第36回『アマデウス』(ディレクターズカット版)
こんな人にお奨め!「モーツァルトが大好きな人、天才と秀才の違いを知りたい人、才能のない自分に不満を持つ人」
アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション 今年はモーツァルト生誕250年ということで、今回はモーツァルトを主人公にした『アマデウス』を紹介したいと思います。この映画は1984年に公開されたのですが、公開当時に大変高い評価を受け、アカデミー賞でも8部門受賞という輝かしい成績を収めています。
 この映画はイギリスの劇作家ピーター・シェーファーによって著された戯曲『アマデウス』を基に作られた映画です。戯曲『アマデウス』は1979年にロンドンで公演され人気を博し、日本でも松本幸四郎主演で制作されています。
 ストーリー:「1825年、オーストリアのウィーン。1人の老人が自殺を図る。彼の名はアントニオ・サリエリ。かつて宮廷にその名をはせた音楽家であった。そのサリエリが天才モーツァルトと出会う。モーツァルトは下品でいい加減な男だったが、音楽の才能に関しては天才だった。サリエリは彼の才能に激しく嫉妬する。そして次第になぜあのような下品な男に才能を与えたのか、神にも不信を抱くようになる。そしてサリエリはついにモーツァルトに対して恐るべき陰謀を謀る。」
 『アマデウス』のストーリーの面白さはモーツァルトの才能に嫉妬するサリエリという男の存在にあります。自分よりも遙かに優れた才能を持つものへの羨望と嫉妬。自分の方が才能を持つのに相応しい人間のはずなのに、自分よりも下品な人間に才能を与えた神への不満。サリエリの中に渦巻く感情は決して特別なものでなく、誰しもが持つ感情です。「なぜ自分にはこれだけの才能しか与えられなかったのか?なぜあいつにあれだけの才能が与えられたのか?」人生においてこんなことを一度は考えたことある人は多いと思います。そう言う人はこの作品を見るとサリエリに共感できると思います。この映画のテーマは誰しもが持つ天才への羨望と嫉妬そして妬みです。
 さて映画『アマデウス』の見所ですが、ストーリーはもちろんのこと、映像・音楽・役者の演技と全てにおいて見所満載です。まずプラハで撮影された映像はとても素晴らしく、18世紀のウィーンの雰囲気を見事に再現しています。豪華絢爛な衣装、18世紀の舞台の再現、18世紀の市民の生活の様子など映像的に見て楽しめる作品となっています。音楽は全編モーツァルトの名曲が流れており、この映画を見ると彼の代表作が一通り聴けます。
 そして役者の演技。サリエリを演じた
F・マーレイ・エイブラハムの演技は最高です。彼はモーツァルトへの嫉妬とねたみを見事に表現しています。そしてモーツァルトを演じたトム・ハルス。今までイメージしていたモーツァルト像を見事に壊してくれました。
 映画のクライマックスシーン、死にかけたモーツァルトが作曲するのをサリエリが手伝うシーンの2人の演技合戦は凄いです。死期が近づき最後の力を出して作曲モーツァルトと嫉妬や妬みを超えて天才の才能に少しでも近づこうとする秀才サリエリの姿が緊張感たっぷりに描かれ、見入ったものです。
 この映画は劇場公開版とディレクターズカット版と2バージョンあります。私はどちらも見たのですが、20分追加シーンのあるディレクターズカット版の方がストーリーが分かりやすく、深みが増したと思います。特にサリエリとモーツァルトの妻コンスタンツェが出会うシーンはラストの妻のサリエリへの態度の伏線となっており、ここが劇場版でカットされたのは惜しいなと思いました。
 あと私がこの映画で気になったのはサリエリが食べるお菓子です。サリエリは映画の中でやたらお菓子を食べるシーンが出てきます。そのお菓子が美味しそうなのですが、いったいどんな味なのでしょうね。ちなみにサリエリがお菓子を食べるシーンには彼の抑圧された欲望というものが暗示されているような気がします。格式や伝統を重んじ、気品高い人間でいようとするサリエリの押さえつけられた欲望のはけ口がお菓子を食べることでなかったのではと思います。

 モーツァルトの曲は頭を良くすると紹介されて以来、ちょっとしたモーツァルトブームが起こっています。是非、少しでもモーツァルトの曲を聴いたことある人ならこの映画はきっと楽しめると思います。また全くモーツァルトの曲を知らなくても、この映画は才能と嫉妬という極めて普遍的なテーマが描かれいるのでとても面白くご覧になれると思います。是非みなさんもこの映画を見てみてください!

製作年度 1984年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 180分
監督 ミロス・フォアマン 
製作総指揮 マイケル・ハウスマン 、ベルティル・オルソン 
原作 ピーター・シェイファー 
脚本 ピーター・シェイファー 
音楽 ジョン・ストラウス 
出演 F・マーレイ・エイブラハム 、トム・ハルス 、エリザベス・ベリッジ 、ロイ・ドートリス 、サイモン・キャロウ 

| | コメント (2) | トラックバック (2)

『サウンド・オブ・ミュージック』この映画を見て!

第35回『サウンド・オブ・ミュージック』
こんな人にお奨め!「ミュージカル映画大好きな人、音楽を愛する人、明るい気持ちになりたい人」
サウンド・オブ・ミュージック プレミアム・エディション 今回紹介する映画は映画史においても燦然と輝きつづける名作『サウンド・オブ・ミュージック』の紹介です。この映画の一番の魅力は名ナンバー揃いの「歌」です。「サウンド・オブ・ミュージック」「ドレミの歌」「エーデルワイス」「私のお気に入り」と誰もが一度は聞いたこと、又は歌ったことある曲が使われています。その為、ミュージカルはちょっと苦手な人でも、この映画はすんなり見られると思います。この映画で使われている歌は聴いていて、どれも楽しく美しい曲ばかりです。この映画を見終わると「歌」がもつ魅力や力というものがとてもよく分かります。
 私がこの映画を始めてみたのは小学生の時で、私の母がミュージカル好きだったので、一緒に見た記憶があります。子どもながらに、映画で流れる歌に感動し、はらはらどきどきのストーリーに夢中になったのを覚えています。
 ストーリー:「修道女見習いのマリアは、修道院では問題児だった。そこで院長は、マリアをトラップ大佐の家に送りこむ。そこには母のいない7人のひねくれた子供たちがいた。家庭教師として7人の子どもたちの面倒を見るマリア。トラップ家に受け入れられたマリアは、やがて大佐への恋心に気づく。そしてマリアは大佐と結婚する。しかし、第2次大戦が始まり、大佐はナチに追われる身となる。」
 この映画のストーリーはマリア・フォン・トラップによって書かれた自叙伝「トラップ・ファミリー合唱団物語」の前編を基に作られています。戦争の影がちらつくオーストリアを舞台に、ドラマチックなストーリーが展開されるのですが、映画は前半と後半で色合いがだいぶ違っています。前半はマリアと子どもたちの友情やマリアと大佐の恋などが描かれ、見ていて楽しいのです。しかし、後半は戦争の影が色濃くなり、ナチの支配下のオーストリアから脱出しようとする一家の姿を描き、とてもスリリングな展開になります。
 私がこの映画で一番印象的なのは映画のクライマックス、音楽祭に一家が出場するシーンです。ナチの支配が進み、祖国が失われようとしている今、大佐が祖国への愛を込めて「エーデルワイス」を歌うシーンは胸にぐっと来るものがありました。このシーンでこの映画は単なるミュージカル映画にはない深いメッセージをもつ映画になったと思います。
 この映画は歌・ストーリー以外にも見所は満載です。オープニングのアルプスからザルツブルクまでの空中撮影の雄大さ、後半のスリリングな脱出劇の展開などは映画ならではの醍醐味を味わえます。またキャスティングもとても素晴らしく、マリアを演じたジュリー・アンドリュース始め、大佐役のクリストファー・プラマーや子役の演技もとても上手です。
 この映画は3時間と長い映画でありますが、歌の素晴らしさとストーリーの面白さで飽きることなく見させてくれます。ぜひこの映画史に残る名作を皆さんも見てみてください。

製作年度 1964年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 174分
監督 ロバート・ワイズ 
脚本 アーネスト・レーマン 
音楽 アーウィン・コスタル 、リチャード・ロジャース 、オスカー・ハマースタイン二世 
出演 ジュリー・アンドリュース 、クリストファー・プラマー 、エリノア・パーカー 、リチャード・ヘイドン 、ペギー・ウッド 

| | コメント (4) | トラックバック (4)

『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』この映画を見て!

第34回目『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』
こんな人にお奨め!「『マトリックス』、『ブレードランナー』に夢中になった人、サイバーパンクが好きな人」
GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 前回まで3回にわたり私の好きな近未来SF映画を紹介しましたが、もう1本私の大好きな映画を紹介するのを忘れていたので、今回させてもらいます。
 今回紹介する『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』は前回紹介した『マトリックス』にも多大な影響を与えた日本アニメの傑作です。日本のアニメ映画というとスタジオジブリのイメージが強いですが、海外では他にも人気を博しているアニメが数多くあります。今回紹介する映画もアメリカでビデオ発売され、大ヒットした作品です。
 
この映画は1995年に制作された映画ですが、クオリティの高い映像と時代を先取りしたストーリーで今見ても見所の多い映画です。2004年には続編の『イノセンス』も公開されています。
 ストーリー:「
ネットが世界を覆い、人間の可能性は大きく広がった近未来。 人間の身体は一部またはほとんど義体化され、脳も電脳化されてネットと直接アクセスできるようになった社会。しかし電脳化が進むにつれ、電脳犯罪も頻発していた。草薙素子は公安9課に所属するサイボーグ。ある時、公安9課に人形使いと呼ばれる1人のサイボーグが拘束される。人形使いと呼ばれるクラッカー(パソコンの不正利用者)は他人の脳をハッキングして、記憶をすり替え操り、犯罪を起こさせていた。人形使いとは一体何者なのか?それを問いつめようとした時、公安6課が強引にも彼を連れ去ってしまう。人形使いは公安6課が対ネット犯罪者用に開発したプログラムが、偶然にもゴースト(魂)に近い自我を持つことにより生まれた、擬似生命体だった。公安6課との激しい攻防の末、彼を取り返した素子は、彼から思いもかけない申し出を受ける。
 ストーリーを長々と書いてしまいましたが、この映画はある程度サイバーパンクやパソコンに詳しくないと、最初見たときどういう話しなのか掴みにくいと思います。今まで聞いたことないような言葉(「電脳」「義体」「ネット」)が次々と出てくるので、始めてそのような言葉を聞く人は何のことかとまどうと思います。また人間の脳がネットと直接アクセスでき、さまざまな情報を収集したり、他人の脳をハッキングできると聞いてもぴんとこない人もいると思います。
 しかし、一度そこら辺のことを理解して、この映画を見ると非常に面白い作品です。まず映画の世界では取り替え可能になった身体や脳は自我(アイデンティティ)にとって何の意味も持ちません。自分の記憶ですらねつ造されてしまいます。そんな世界では今ここにいる自分が本当の自分かどうかさえあやふやで、不確定なものになってしまいます。ここにいる自分が本当に自分なのか、もしかしたら記憶も誰かにねつ造されているのではという不安・恐怖。また身体も脳も入れ替え可能なら、一体自分を自分たらしめるものは何なのか?何を根拠に今ここにいる自分が唯一無二の自分だと言えるのか?そして身体や脳が自我(アイデンティティ)にとって何の意味も持たないのなら、もともと身体や脳をもっていなくても自我(アイデンティティ)を持てばそれは人間と同じものと言えるのではないか?では人間と非人間との境界線は何なのか?この映画は非常に哲学的な深い問いかけを私たちに投げかけてきます。
 この映画は最後に人間とネットの融合という形で、新たなる進化?の形が描かれます。それは人間を超えた人間の誕生であり、魂を持ったテクノロジーの誕生です。そして人間と非人間との境界線がなくなります。
 この融合シーンを見ながら私は生命とは何かについて考えてしまいました。多様性とゆらぎが欲しいと融合を持ちかける人形使い。コピーは所詮コピーに過ぎないという言葉が何とも印象的です。生命は自己を保存するためにあえて他者と交わろうとする。時にはそれが変異などを起こし、新たな種が誕生し、生命に多様性が生じる。生命とは維持のための安定と変化のための不安定と両方を求める生き物なのでしょうね。
 この映画は80分と短い映画ですが、何回も見て楽しめる映画だと思います。興味のある人は是非見てください。
GHOST IN THE SHELL 2 INNOCENCE INTERNATIONAL VER.

 ちなみに昨年に続編の『イノセンス』が公開されましたが、こちらは1作目に比べると衝撃度や完成度は落ちます。主役は1作目の脇役だったバトーに交代してます。もちろん草薙素子も思わぬ形で出てきます。
 この映画、
映像はとても精密で美しいのですが、少しセル画とCGがかみあっていないかなと思いました。ストーリーは1作目に比べるとインパクトがなく、普通のSFハードボイルド映画でした。

製作年度 1995年
製作国・地域 日本
上映時間 80分
監督 押井守 
原作 士郎正宗 
音楽 川井憲次 
出演 田中敦子 、大塚明夫 、山寺宏一 、仲野裕 、大木民夫 

| | コメント (0) | トラックバック (3)

『マトリックス』この映画を見て!

第33回『マトリックス』
こんな人にお奨め!「今ある世界は現実ではないのではと疑ったことのある人、スカッとしたい人、サイバーパンク大好きな人」
マトリックス 特別版 いよいよ私がお奨めする3回連続近未来SF映画の紹介も最後になりました。今回紹介する映画は世界中で大ヒットした『マトリックス』。ご覧になった方も多いと思います。この映画は3部作まで作られましたが、一番面白いのは1作目です。あとの2作は設定的にはとても面白いと私は思うのですが、見せ方や話しの進め方が下手です。映像が凄いだけで、主人公に感情移入できないのが一番大きなミスだと思います。
 さて1作目ですけど、公開されたのは1999年で、『スターウォーズ・エピソード1』と同時期の公開でした。『エピソード1』は観客の期待も高く、ふんだんなし資金を投入して制作されましたが、映画の出来はたいしたありませんでした。『スターウォーズ』好きの私も出来の悪さにショックを受けました。ちょうど『エピソード1』に失望していた時に現れたのが、この映画『マトリックス』。SFファンを喜ばせるようなサイバーパンク(電脳空間)な設定に、斬新な映像表現(アニメでは以前から見られた表現ですがね)、カンフーと銃による豪快でスカッとしたアクションと見所の多い映画でした。私もこの映画にはまり、何回も映画館に見に行きました。
 わたしがこの映画に惹かれた理由は、「自分がいま生きているこの世界がもし現実でなかったら」という設定でした。私自身、小さいときから、「もしかしたら、この世界は誰かの夢の中で、私は夢の中の登場人物に過ぎず、夢が覚めたら私もいなくなるのでは」とか「この世界は神のような存在が操っていて、私たちはその人形に過ぎないのでは」とか考えたりしたものでした。この現実が本当に現実であるのかどうか、現実の中に生きる私たちがなかなか証明できないですよね。もしかしたら、この現実が架空な世界かもしれないわけで、ただ気づいてないだけかもしれませんしね。この話を続けていくと、哲学的な話しになってくるのですが、この映画はそういう私の思いに見事に応えた映画でした。
 この映画では殆どの人間はマトリックスという電脳空間を現実だと思いこみ生活しています。一部それに気づいた人たちが人間が機械の奴隷になっている本当の現実を教え、本当の現実世界を人間の手に戻そうと闘いを機械に挑みます。この映画では主体性を剥奪された人間たちが主体性を取り戻そうと機械との争いに挑みます。そこには現代社会がシステムによって縛られ、個人の主体性が剥奪されいる現状に対する見事なアンチテーゼになっていると思います。
 しかし私はこの映画を見ながら「なぜマトリックスの中で生きていくことがだめなのか?」という問いが私の中で生まれてきました。「虚構の空間とはいえ、そこで人間らしく生活することもできるのに、なぜ現実にこだわるのか?」「マトリックスは機械が作り出した世界に過ぎないから人間は許せないのか?」「もしこの世界が神によって作られたマトリックスであるならば人はそれを受け入れるのか?。」ここら辺のことを考え出すと、この映画のテーマそのものを否定してしまうのですが・・・。
 話しが少し脱線しましたが、この映画は『キル・ビル』のようにいろいろな映画・漫画・本からの引用がなされています。特に日本アニメの傑作『攻殻機動隊』の影響が強く、設定や画面の構図などとてもよく似ています。よく似ているとは言え、日本では実写で出来ない映像表現をみごとやってのけたのは素晴らしいと思います。

マトリックス リローデッド 特別版 この映画は『リローデッド』『レボリューション』と続編が2作作られましたが、この続編は蛇足でしたね。主人公が1作目で最強になってしまい、続編では全く感情移入できませんでした。あと脇役のトリニティーとモーフィアス2人の魅力が続編では半減されており、脇の又脇役の人たちの方が魅力的に見えてしまい、イマイチでした。 
 映像も凄いですけど、どこかCG臭さが抜けず、人間離れしすぎてノレないんですよね。CG物量作戦といった感じで、ドラマとかみ合ってなくて、映像ばかり先行してましたね。
 ただ設定自体はとても面白かったです。『リローデッド』のラストに語られた「救世主は今までもいたこと、マトリックスが6回フォーマットされたこと、ザイオン自体もマトリックスのシステムに組み込まれていること」が説明されるシーンは1作目の話しを根底から覆し、一体どういう展開になるのかと期待しました。この発言で1作目で語られていた主体性の復権が見事に否定され、全てはシステムの意のままだという設定は刺激的でした。
マトリックス レボリューションズ しかし3作目は話しがスケールダウンしましたね。監督自身話しをどう収集していいのか分からなかったんでしょうね。 結局、スミスというマトリックス上のウィルスを駆除する話しになってしまい残念でした。
 ただラストに機械と人間がお互いに譲歩するという結末はハリウッド映画らしくなくて好きです。それと同時に人間中心主義からの脱却も感じられ、「人間と非人間との違い」や「主体性の定義」などの問題提起も含まれていて決して失敗作とは言えないなとは思います。
 ちなみに2作目のラストでネオが現実世界でも機械を倒せたのは、超能力ではなく、ネオの体が無線LANとなり、直接本体にアクセスして機械を止めたというだけです。彼は人間でもありながら、機械とも交信できる巫女さんのような存在になったのでしょうね。
 『マトリックス』はとても知的に刺激的な映画でもありますし、感覚的にも楽しめる映画です。私のお薦めのSF映画です。

製作年度 1999年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 136分
監督 アンディ・ウォシャウスキー 、ラリー・ウォシャウスキー 
製作総指揮 バリー・M・オズボーン 、アンドリュー・メイソン 、アンディ・ウォシャウスキー 、ラリー・ウォシャウスキー 、アーウィン・ストフ 、ブルース・バーマン 
脚本 アンディ・ウォシャウスキー 、ラリー・ウォシャウスキー 
音楽 ドン・デイヴィス 
出演 キアヌ・リーヴス 、ローレンス・フィッシュバーン 、キャリー=アン・モス 、ヒューゴ・ウィーヴィング 、グロリア・フォスター

| | コメント (2) | トラックバック (4)

『未来世紀ブラジル』この映画を見て!

第32回『未来世紀ブラジル』
こんな人にお奨め!「情報管理社会に抵抗を感じる人、ブラックユーモア大好きな人、近未来SF映画大好きな人」
未来世紀ブラジル スペシャルエディション 前回の『ブレードランナー』に引き続き、私の好きな近未来SF映画2本目の紹介です。
 今回の作品も80年代を代表する近未来映画の傑作です。監督は『12モンキーズ』や『フィッシャーキング』で有名なテリー・ギリアム。『ブレードランナー』とはまた別の意味で強烈な映像、皮肉たっぷりのストーリー、ラスト15分のどんでん返しなど見所の多い映画です。
 私がこの映画を最初に見たのは小学生の時でテレビの深夜放送で見た記憶があります。私はその頃、喘息持ちで夜も眠れない日がありました。そんな眠れないある日、テレビをつけると放映されていたのが『未来世紀ブラジル』。最初はボーと見ていたのですが、強烈な映像とよく分からないけど怖いストーリー、そしてラストの予想外のオチに子どもながらに凄い映画を見たという満足感を覚えたものでした。
 その後、レンタルビデオを借りては見ていたのですが、一昨年にDVDが発売されたので購入して何回も見たものです。
 ストーリー:「20世紀のどこかの国。そこは徹底的に情報が管理された社会だった。情報局に勤めるサムはいつも天使のような女性と大空を飛ぶ夢を見ていた。そんなある日、情報局の書類ミスで、一般市民がテロリストと間違われ処刑されてしまう。後処理に追われるサム。そんな彼女の前に夢で出会った女性と同じ顔の女性ジルに出会ってしまう。しかし、ジルとの出会いがサムの人生を大きく狂わしていくことになる。」
 この映画の一番の見所はやはり映像です。近未来でありながらどこかレトロで懐かしさを感じる映像。それでいて、どこかファシズム時代のイタリアやドイツの官僚主義的雰囲気を彷彿とさせます。その映像と対比するかのような、サムが見る夢の奇妙奇天烈なイマジネーション溢れる映像。天使が舞い、鎧武者が現れるその映像は一度見ると脳裏から離れられないと思います。
 またストーリーもとても皮肉が効いており、官僚主義の愚かさや、管理社会の恐怖が見事に描かれています。書類がないと何も動けず、問題があっても責任を取らない官僚たち。情報が国家によって管理され、官僚の情報管理ミスで人生を左右される市民たち。閉塞的で息の詰まるような社会の姿が見事に描かれています。そして、そんな社会の中でほんの一時の自由を求めようとしたサムがいつの間にか社会を敵に回し悲劇に陥っていく姿が、悪夢のように描かれいます。 そしてラスト15分のどんでん返しは見ているものを圧倒します。悪夢か現実か分からないような映像の連続と衝撃のラストシーンは見る者を凍りつかせると思います。ラストはあれはあれで主人公は幸せなのかもしれませんが。
  またこの映画が描く悪夢のような世界は決して他人事ではないなと最近思い始めました。この映画では爆弾テロのシーンが何回も挿入されるのですが、現実爆弾テロは頻発してます。映画ではテロに対抗するために情報を管理し、街にテロ対策の警備を増強して対応しているわけですが、現実も街にカメラが設置され、警官が立ち、交通機関では手荷物チェックが強化されてきてます。情報管理も情報技術が進むにつれて巧妙に行われてきています。官僚主義の愚かさは今の行政を見れば分かるとおりです。現実がどんどん映画の世界に近づいているような気がして、なんとも薄ら寒いです。
 是非、皆さんもこの悪夢のような世界を見てみてください。決して映画の中の話しだとは思えませんよ。

製作年度 1985年
製作国・地域 イギリス/アメリカ
上映時間 143分
監督 テリー・ギリアム 
脚本 テリー・ギリアム 、トム・ストッパード 、チャールズ・マッケオン 
音楽 マイケル・ケイメン 
出演 ジョナサン・プライス 、キム・グライスト 、ロバート・デ・ニーロ 、イアン・ホルム 、キャサリン・ヘルモンド 

| | コメント (3) | トラックバック (4)

『ブレードランナー』(最終版)この映画を見て!

第31回『ブレードランナー』(最終版)
こんな人にお奨め!「『マトリックス』や『攻殻機動隊』・『A.I』などのSFが好きな人、人間とは何か考えたい人。」
ディレクターズカット ブレードランナー 最終版 今回から連続3回にわたり、私の好きな近未来SF映画を紹介します。まず第1作目として紹介するのが『ブレード・ランナー』(最終版)です。この映画は、80年代を代表するSF映画であり、今でも熱狂的な人気を誇る作品です。
 私が始めてこの映画を見たのは高校の時でLDで買った『ブレード・ランナー』(最終版)でした。始めて見たときはその退廃的で美しい近未来映像に圧倒されたのを覚えています。そして何回か見るにつれて、この映画に込められた「人間とは何か?」というテーマについて自分なりによく考えたものです。

 ストーリー「2019年のロサンゼルス。街は酸性雨が終始降り注ぎ、太陽の光に照らされることは殆どなかった。この時代、レプリカントという見た目も知能も感情も人間と変わらないアンドロイドが他の惑星で人間の為に過酷な労働を強いられていた。そんなある日、4体のレプリカントが地球に逃亡。彼らの捕獲を命じられた「ブレードランナー」デッカードが、潜入したレプリカントたちを追い、L.Aの街を彷徨う。
 この映画の一番の見所は何と言っても、何と言っても2019年の近未来ロサンゼルスの暗く退廃的な描写です。酸性雨降り注ぎ、終始薄暗い空。乱立するビルとその合間を飛び交う車。ビルに設置された巨大スクリーンに映し出される強力ワカモトの広告。まるで香港のような無国籍な街並みを行き交う東洋人の姿。街そのものがこの映画の主役のようなものです。とても映像にこだわっており、一度見たら目に焼き付くような光景が次から次へと出てきます。
 そのような街の中で展開されるストーリーはハードボイルドタッチで、淡々と潜入したレプリカントたちを追うデッカードの姿が描かれていきます
 しかし、この映画では主人公のデッカードの話しよりも、追われる側のレプリカントたちの話しの方がとても印象に残ります。4年で死ぬように設定されたレプリカントが何とか延命してもらおうと、自分たちを作った設計者に会いに行くシーンは胸が詰まります。知能も感情も人間と同じく持っているのに人間が作ったアンドロイドであるが故に、奴隷のように扱われ、命の期限まで設定されてしまっているという哀しみ。
 
この映画はストーリーが進むにつれて、非人間的な人間たちと人間的な非人間と「どちらがより人間らしいのか」という問いかけを主人公にも見ている観客にも投げかけてきます。  そして何とも哀しい映画のラストは「人間とは一体何か?」という難しい問題を名が観客に問いかけてきます。
 生きる美しさと哀しみを説き、死んでいったレプリカントの姿をみると、人間と非人間との境界線はどこで引くべきなのかとても悩んでしまいます。知能も感情も人間と全く同じだった場合、ただ肉体の構成が違うという理由から非人間的に扱うことが許されるのか?そして、人間が人間と同等の知能と感情を持つ存在を作り上げたとき、人間はその存在に対して神のように振る舞うことが許されるのか?科学が進む現代、この問題は差し迫った問題だとも言えます。
 さて、この映画の映像・ストーリーの魅力は紹介しましたが、もう一つ音楽もとても魅力的です。きっと皆さんもエンド・タイトルに流れる曲はテレビで聴いたことがあると思います。(報道番組でとてもよく使われていました。)
 音楽を作ったのはギリシャのヴァンゲリスという作曲家で、シンセサイザーを使って魅力的な音楽を数々生み出しています。代表作としては『炎のランナー』が有名です。この作曲家がこの映画の為に作った曲(1部違うアルバムの曲を挿入していますが。)は近未来の退廃的な映像にとても合っており、映画のハードボイルドな雰囲気をより高めています。ここまで映像にぴったり寄り添う音楽はそうないと思います。映画のサントラも名盤なので、是非映画を見てはまった方は購入して聞いてみてください。
 この映画はその後のSF映画やSF漫画にも多大な影響を与えている名作です。ぜひ一度は見て損はしないと思いますよ。
 最後に。この映画は劇場公開版・完全版・最終版の3つのバージョンがあります。それぞれの違いを説明します。まず劇場公開版は全編に主人公のモノローグが入り、ラストも取って付けたようなハッピーエンドのシーンが挿入さています。完全版は劇場公開版に残酷なシーンが追加されています。そして最終盤は監督自らが再編集しており、劇場公開版で会社に無理に付け加えられて、気に入らなかった主人公のモノローグとラストのハッピーエンドのシーンが削除され、一部追加シーンがあります。私は
監督の意向が反映された最終盤がお奨めです。 

製作年度 1982年
製作国・地域 アメリカ/香港
上映時間 116分
監督 リドリー・スコット 
製作総指揮 ハンプトン・ファンチャー 、ブライアン・ケリー 
原作 フィリップ・K・ディック 
脚本 ハンプトン・ファンチャー 、デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ 
音楽 ヴァンゲリス 
出演 ハリソン・フォード 、ルトガー・ハウアー 、ショーン・ヤング 、エドワード・ジェームズ・オルモス 、ダリル・ハンナ 

| | コメント (3) | トラックバック (6)

『ショーン・オブ・ザ・デッド』この映画を見て!

第30回『ショーン・オブ・ザ・デッド』
こんな人にお奨め!「ロメロの『ゾンビ』が好きな人、最近のゾンビ映画が物足りない人ショーン・オブ・ザ・デッド
今回紹介する映画は日本では劇場未公開の傑作ゾンビ映画です。この映画はゾンビ映画好きの私にとっては久しぶりの当たりのゾンビ映画でした。
 ここ何年かゾンビ映画ブームで『バイオハザード』『ドーン・オブ・ザ・デッド』『ランド・オブ・ザ・デッド』など数々のゾンビ映画が公開されましたがどれももう一つでした。その理由として、ゾンビ映画に新しい要素を盛り込もうとしたところにあると思います。ゾンビを走らせたり、知能付けさせたりとしたせいで、ゾンビの魅力が逆に半減してるような気がします。ゾンビはやはり何考えているのか分からず、ゆっくり歩いて、人を襲わないと怖くありませんよね。
そんな中、『ショーン・オブ・ザ・デッド』は久しぶりに正当派のゾンビ映画でした。
 この映画は正統派のゾンビ映画なのですが、基本的にコメディタッチで話しが進んでいくので、怖くはありません。むしろ主人公たちのマイペースさに笑ってしまうくらいです。それでいてゾンビ映画のツボをきちんと押さえており、昔からのゾンビ映画ファンも満足させる出来となっています。もちろんゴアシーンも手を抜かずハードに描写されています。
 ストーリー「ロンドン郊外に住むショーンは彼女がいるにもかかわらず、いつもまったりと脳天気に暮らしていた。ショーンの楽しみは親友のエドとゲームをしたりパブに入り浸ること。そんなある日、ショーンは彼女のリズにあきれられてふられてしまう。何とか彼女とよりをもどしたいショーンだったが、上手くいかずパブでエドと酒を飲んで憂さを晴らしていた。そんな頃、ロンドン各地で死体が蘇り、人を襲う事件が発生。街中がゾンビに覆いつくされようとしていた。しかし、そんなこと全く気づかないショーンとエド。だが彼らもゾンビの襲撃を受け、ようやく事態を知り、家族や恋人の救出に向かうが・・・。」
 この映画はとてもまったりと話しが進んでいきます。ゾンビが街を徘徊していてもなかなか気づかず、襲われてもレコードを投げて退治しようとする姿は見ていて滑稽で笑えます。でもそれでいて、妙にリアリティも感じたりします。実際にもし街にゾンビが溢れてても、多くの人は案外この主人公のような行動を取ったりするのではと思います。世界が危機に陥っているのに、主人公2人がそんなこと全く意に介せずマイペースに行動するところがこの映画の魅力の一つであることは間違いありません。
 ゾンビとの攻防シーンも緊張感漂いながら、どこか抜けている登場人物たちの姿に笑えます。レコードを投げてゾンビを追い払うシーンで、いちいち投げていいレコードか確認するシーンは笑えました。またゾンビのまねをして、ゾンビの中を通り抜けようとしたりするシーンも最高です。また逃げ込んだ先がいつも通っていたパブという設定は、主人公たちの脳天気さがよく表れていて面白かったです。映画全編イギリスらしい皮肉とウエットに富んだユーモアの連続で、見ていてくすくす笑えます。
 それでいて、後半ドラマとしてもきちんと盛り上がりどころがあり、ぐっと胸に来るシーンもあります。ラストはゾンビ映画のセオリーに反してハッピーエンドなのですが、この終わり方が変にリアルでもあり、ユーモアにも富んでいて傑作でした。
 随所に往年のゾンビ映画のオマージュもあり、昔からのゾンビ映画ファンはにたにた笑えるシーンも多数あります。また音楽の選曲がよく、クィーンの曲がとても効果的に使われています。特にラストの歌はこの映画のオチにとても合っていて良かったです。
 この映画が劇場未公開なのはもったいないくらいです。ぜひ皆さんもレンタルでもDVD買ってもどちらでもいいので、この傑作ゾンビ映画を見てみてください。

製作年度 2004年
製作国・地域 イギリス
上映時間 100分
監督 エドガー・ライト 
製作総指揮 ティム・ビーヴァン 、エリック・フェルナー 、アリソン・オーウェン 、ナターシャ・ワートン 、ジェームズ・ウィルソン[製作] 
脚本 サイモン・ペッグ 、エドガー・ライト 
音楽 ダン・マッドフォード 、ピート・ウッドヘッド 
出演 サイモン・ペッグ 、ケイト・アシュフィールド 、ニック・フロスト 、ディラン・モーラン 、ルーシー・デイヴィス 

| | コメント (2) | トラックバック (5)

『キル・ビル2』この映画を見て!

第29回『キル・ビル2』
こんな人にお奨め!「カンフー映画、マカロニウェスタン、『サンゲリア』を知っている人か、こよなく愛する人」
キル・ビル Vol.2前回に引き続き、『キル・ビル』の続編の紹介です。前作はおもちゃ箱をひっくり返したかのようなハチャメチャな作りとなっていましたが、今作はうって変わって、落ち着いた味わいのハードボイルドな作品に仕上がってます。また前作はタランティーノ が愛する日本映画へのオマージュに溢れる作品となっていましたが、今作は香港映画とイタリア西部劇(マカロニウェスタン)へのオマージュに溢れる作品となっています。
 ストーリーは前作に引き続き、「自分を殺そうとした仲間に復讐しようとする」という話しの続きで、前作の謎がいろいろ解明していきます。前作はアクションを見せる所に力を入れ勢いのあるストーリ展開でしたが、今作はタランティーノらしい会話シーンが随所にあり、じっくりと物語っていくストーリ展開となっています。前回のハチャメチャなアクションシーンやポップでキッチュな映像を期待して見ると肩すかしを喰うかもしれません。今作は前作の続きでありながら、別物の作品として見た方がいいと思います。今回はアクションシーンよりも会話シーンに力が置かれ、映像も落ち着いたハードボイルドな雰囲気の前作と全く印象の違う作品となっています。
 私はラスト30分の主人公ブライドと敵のボスであるビルとの会話がとても印象に残っています。特にビルが語るスーパーマンの話は非常に面白い例え話でなるほどなと感心しました。
 役者もいい演技をしています。特にマイケル・マドセン演じるだめ男は最高でした。何とも情けない死に方も含めて、いい味を出していたとも思います。あと暗殺団のボスを演じるデビット・キャラダインも落ち着いた演技の中に凶暴さを滲ませ印象に残っています。彼の最期はあっけない反面、かっこよかったですね。
 今回も前作に引き続き、様々な映画から引用されているシーンやシチュエーションが多々あります。私が印象的だったのはイタリアゾンビ映画の傑作『サンゲリア』へのオマージュシーン(生き埋めにされたブライドが墓から出てくる所です)と中国でカンフーを習得するシーンです。他にも随所にマカロニウェスタンへの監督のこだわりが感じられるシーンが見られました。
 ここまで1部と2部で印象の違う作品というのも珍しいです。一つの話しであるはずなのに語り口が違うとこんなに印象が変わるのかとびっくりしました。1作目をみて、これちょっと合わないと思った人も2作目は意外にいけるかもしれません。逆に1作目のノリを期待した人は2作目に失望するかもしれません。現在、1部と2部を編集し直して1作の作品にまとめる作業を行っているそうですが、ここまで語り口が違う2作品を1作品にまとめあげると、どんな印象になるのか気になる所です。
 映画好きの人なら『キル・ビル』2部作は一度は見て損はない作品だと思いますよ。

製作年度 2004年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 136分
監督 クエンティン・タランティーノ 
脚本 クエンティン・タランティーノ 
音楽 RZA 、ロバート・ロドリゲス 
出演 ユマ・サーマン 、デヴィッド・キャラダイン 、ダリル・ハンナ 、マイケル・マドセン 、ゴードン・リュウ 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

『キル・ビル』この映画を見て!

第28回『キル・ビル』
こんな人にお奨め!「B級映画・子連れ狼・梶芽衣子・深作欣二・三池崇・サニー千葉を知っている人か、こよなく愛する人」キル・ビル Vol.1
 今回紹介する映画は見る人をとても選ぶ映画です。上にも書いたように、B級映画やかなりマニアックな日本映画好きの人が見れば、この映画は最高におもしろ映画です。しかし、年に数回しか映画館で映画を見ない人やゴールデンタイムにテレビで放映される映画しか見たことがない人がこの映画を見ても、はっきり言って面白くないかもしれません。むしろ眉をひそめてしまうかもしれません。
 この映画のストーリーはとてもシンプルで「仲間に裏切られた殺し屋の女が復讐を果たす」というだけのものです。そのようなシンプルなストーリーにも関わらず、2部作で4時間以上の大作になってしまっているのは、監督の映画愛ゆえです。この映画は監督が好きな映画のシチュエーションやシーンを自分で再現したくて作った究極のプライベート映画です。そして、この映画はタランティーノが自分の好きな映画を観客に紹介したカタログ映画みたいなものです。
 はっきり言って、この映画に感動や何かしらのメッセージ性を求めても何の意味もありません。この映画の正しい鑑賞の仕方は「このシーンはこの映画の引用だな」とか「この俳優をここに出すなんて」というような監督の引用やこだわりを見つけてニヤニヤ楽しむことです。この映画をどれだけ深く楽しめるかで自らの映画マニア度が分かります。
 第1部では監督の日本映画に対するリスペクトやこだわりが強く感じられる作りになっています。まず、この映画の全体の構成は梶芽衣子主演の『修羅雪姫』からの引用となっています。また主演のブライドのキャラクター設定には同じく梶芽衣子主演の『女囚さそり』という映画の影響を強く感じさせるものがあります。また過激な暴力シーンは『殺し屋1』や『ゼブラーマン』の三池崇監督の影響が強く感じられますし、青葉屋での日本刀を使った決闘シーンでは『子連れ狼』を監督した三隅研次監督の影響が大きいです。そしてタランティーノ が大好きだったという深作欣二監督に対する敬意やこだわりが随所に感じられます。栗山千明の起用は『バトル・ロワイヤル』からの影響ですし、サニー千葉が出るシーンは『柳生一族の陰謀』への完全にオマージュです。
 第1部はおもちゃ箱をひっくり返したかのようなハチャメチャな作りとなっています。強引だけどパワフルなストーリー展開、変な日本の描写、過激な暴力、クールでポップな音楽の使い方と見所は満載です。監督の演出や音楽センスの素晴らしさが随所で感じられますし、美術に衣装も凝りに凝っていますし、カメラワークや編集も巧みです。
 この映画は見る人をとても選ぶ映画です。誰もが楽しめる映画ではありません。しかし、もっと映画について知りたいという人は見て損はないと思います。この映画を見てから、引用元になっている映画をレンタルビデオで借りてきて見たりするとあなたの映画マニア度もぐっと上がることでしょう。
 では次回「キル・ビル2」のレビューを書きますので、お楽しみに。

製作年度 2003年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 113分
監督 クエンティン・タランティーノ 
製作総指揮 E・ベネット・ウォルシュ 、ハーヴェイ・ワインスタイン 、ボブ・ワインスタイン 
脚本 クエンティン・タランティーノ 
音楽 RZA 、ラーズ・ウルリッヒ 
出演 ユマ・サーマン 、デヴィッド・キャラダイン 、ダリル・ハンナ 、ルーシー・リュー 、千葉真一 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『海からの贈物』街を捨て書を読もう!

『海からの贈り物』 作:アン・モロウ・リンドバーグ 新潮文庫 

海からの贈物 この本はアメリカの女性飛行家で有名飛行家の妻である作者が、離島に滞在して、生きることや幸せについて考えたエッセイ集です。
 いつも家族や社会を養うために、自らの人生を捧げるために費やされてきた女性の人生。そんな女性たちが、一人の人間として、一人の女性として現代の中でどう生きていくかについて、女性の生き方・恋愛・結婚・孤独・現代文明の問題について深い考察がなされています。
 文明が進み、便利な生活を送れるようになり、時間に余裕ができたはずの私たち。しかし物や情報に満ちあふれている現代社会の中で、私たちはいまここにいる自分を見つめるための時間を見失ってしまっていると作者は訴えます。
 

 作者は文明から離れた孤島の何もない小さい小屋に住み、昼間は海に行き、泳いだり貝殻を拾う生活をしながら、自然の中で自分の女性としての生き方を振り返ります。女性は家族や社会を支えるために身を捧げる人生を送ってきた。しかし、そんな女性たちも過酷な生活の中でも自分を見つめる時間をもっていた。しかし現代文明が進み、豊かになるに連れて、時間に余裕ができたはずなのに、自分を振りかえる時間がもてなくなった女性たち。情報や欲望を刺激され踊らせれ、あわただしく生きる女性たち。作者はそんな女性たちに今ここで生きている自分の人生を振り返り、欲望や情報に振り回されない今ここの自分の生活を大切にしなさいと訴えます。
 
 私は男性ですが、この本をよんではっと気づかされる部分が多かったです。特に人間は本質的に孤独であることを書いてある箇所と男女の関係も年を積み重ねるごとに変化していくものであることを書いてある箇所は印象に残りました。
 この本はとてもコンパクトな文章の中に、生きる上での大切なエッセンスがいっぱい詰まっています。ぜひ皆さんも(特に女性の方)読んで見てください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『めぐりあう時間たち』この映画を見て!

第27回『めぐりあう時間たち』
・こんな人にお奨め!「自分の人生に何かしら満たされない漠然とした不安や不満を抱えている女性の方」
めぐりあう時間たち DTSスペシャルエディション (初回限定2枚組)

 この映画は「ダロウェイ夫人」という1冊の本を中心に、3つの時代(1920年代・1950年代・2000年代)でそれぞれ生きる3人の女性の1日を描いた作品です。私はこの映画を劇場で見たのですが、最初見たときは3つの時代の女性の話しが交互に同時進行で語られている中で描き出される時代を超えた女性の孤独と哀しい生き様に胸を打たれたのを覚えます。

ストーリー:「まず1920年代。「ダロウェイ婦人」を書いた女性作家ヴァージニア・ウルフ。彼女は心の病から田舎に夫と引っ越してきた。優しいが、彼女の生き方を決して理解してくれない夫。彼女は田舎暮らしを嫌い、都会に戻りたいと願っていた。彼女は次第に精神的に追い込まれていく。次に1950年代。「ダロウェイ婦人」を読む主婦ローラ。彼女は夫との間に一人息子がいる。彼女は優しいが鈍感な夫との生活にどこか苛立ちや孤独を感じていた。そして夫の誕生日、彼女はある決断をする。最後に2001年。出版社に勤めるクラリッサは恋人の詩人リチャードが有名な賞を受賞したのでパーティを開こうとしている。しかしリチャードはエイズに冒されており、自分の人生に絶望していた。彼を献身的に支える彼女だが、悲劇が訪れる。3つの時代の女性が抱える孤独と苛立ち。女性が一人の人間として生きる姿を描く。」

 この映画は時代こそ違え、自分の人生に孤独や寂しさを抱えながらも、一人の女性として、一人の人間として自分らしく生きていこうと葛藤している女性たちの姿を描いています。その葛藤は見ていてとても胸が苦しくなります。いつも人生において受け身にならざるえない女性たちの苛立ち。人間として生まれてきたのに、どこか自分の人生に手応えを感じられない孤独感。映画では女性たちの苛立ちや孤独感が痛いほど伝わってきます。
 時代や社会が要請する女性像に縛られ、役割を演じないといけない女性たちが、自分の人生を手に入れることがどんなに困難であるか、この映画を見て男性である私は改めて痛感しました。

 この映画は死の匂いが全編漂っています。死への恐怖・おびえ、死への憧れ、死の悲しみ。生きる屍のような生き方をせざるえない人間たちが、生を味あうために死への誘惑にかられる姿は見ていてとても痛々しく、考えさせられるものがあります。生きるために一度死なないといけない人間たち。そこには人生の闇と不条理を感じざるおえません。
 
 またこの映画では、同性愛をほのめかすキスシーンが各年代ごとに挿入されます。2001年のパートではクラリッサは同性愛者で好きな女性と同居していると言う設定ではっきりと同性愛が描かれています。この映画がなぜ同性愛のシーンを入れたのか、私なりに考えたのですが、そこには女性の気持ちを共感できるのは男性ではなく、同じ女性であることを言いたかったのかなと思います。

 この映画の見所は各時代の女性たちを演じた女優たちの演技です。ニコール・キッドマン 、ジュリアン・ムーア 、メリル・ストリープという現代のハリウッドを代表する女優たちが演じているのですが、観客を映画に引き込む素晴らしい演技をしています。特にヴァージニア・ウルフを演じたニコール・キッドマンの演技は見ていて狂気迫るものがあります。特に彼女が田舎から逃げようと駅で列車を待っているときに夫が迎えに来るシーンの演技は素晴らしいので是非皆さんも見てみてください。

 3つの時代の3人の女性の1日の話しというシナリオはとても複雑であるのですが、編集・演出がとても巧みで上手に各時代の場面を切り替えながら観客に話しを見せてくれます。そのおかげで観客は3人の女性が時代を超えて共通して抱える孤独や哀しみに共感しやすくなっています。さらに現代音楽家フィリップ・グラスのもの悲しい反復音楽がいつの時代も変わらない女性の孤独と哀しみを見事に表現しており、この3つの時代の話しを1つの大きな話しにまとめあげています。

この映画は明るく楽しい映画ではありませんが、人生とはどういうものか考えるにはとてもいいきっかけを与えてくれる映画です。ぜひご覧ください。

・受賞歴:アカデミー主演女優賞(ニコール・キッドマン)、ベルリン映画祭銀熊賞女優賞(ニコール・キッドマン 、ジュリアン・ムーア 、メリル・ストリープ)、ゴールデングローブ作品賞・主演女優賞(ニコール・キッドマン)、他多数の映画賞受賞

製作年度 2002年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 115分
監督 スティーヴン・ダルドリー 
製作総指揮 マーク・ハッファム 
原作 マイケル・カニンガム 
脚本 デヴィッド・ヘア 
音楽 フィリップ・グラス 
出演 ニコール・キッドマン 、ジュリアン・ムーア 、メリル・ストリープ 、スティーヴン・ディレイン 、ミランダ・リチャードソン 

| | コメント (2) | トラックバック (4)

私の映画遍歴6『映画音楽の魅力』

 私は小さいときから映画音楽をよく聴いていました。私の父親がオーディオ好きで、家に立派なオーディオ機器があり、映画好きの母がよく映画音楽のレコードをかけて聴いていたので、私も側でよく聴いていました。母がよく聴いていたのは一昔前の映画音楽で、『風と共に去りぬ』『ある愛の詩』などのメロドラマのテーマ曲や『荒野の用心棒』『シェーン』などの西部劇のテーマ曲などが多かったです。私自身は哀愁漂う映画音楽が好きで、エンニオ・モリコーネなどのイタリア西部劇の曲が特にお気に入りで、よく一人でかけて聴いたものでした。そしてテレビなどで映画を見るときも、映画音楽を気にしながら見るようようになり、自分が好きな映画にかかっていた曲のレコードを親にせがんで買ってもらったりしてました。
 そして中学生になったあたりから、自分で映画音楽のサントラを集めるようになりました。私は『ニュー・シネマ・パラダイス』のエンニオ・モリコーネの哀愁漂うメロディーや『スターウォーズ』のジョン・ウィリアムスのハリウッドならではのダイナミックなシンフォニックサウンドが特に好きで、この2人の手がけた映画音楽のサントラを好んで買い集めたものでした。高校生あたりからは宮崎駿や北野武の音楽を手がける久石譲のサントラにはまり、彼が手がけたCDはほとんど買いそろえていきました。
 映画サントラの魅力はもちろん音楽を聴くだけで映画のシーンや感動が再現されるところにあるのですが、映画音楽単体でも完成度が高ければ、スタンダードな名曲として映画をあまり知らなくても聴いて楽しめるところにもあると思います。
 「名作には印象に残る音楽」があると言われているように、映画にとって音楽とは映像の添え物などではなく、重要な映画の一つの骨格です。セリフで語られない主人公の心情を代弁したり、その場の雰囲気を語ったり強調したり、映画のテンポや流れをよくしたり、時には映画のテーマそのものを語ったりと映画の中で音楽の果たす役割はとても大きいです。映画でどのような音楽を、どのような場面で流すかで、その映画の個性や色が出てきます。有名な監督たちはお気に入りの作曲を抱えており、彼らに曲を書いてもらうことで、自分の映画の色を付けてもらっています。(久石譲と宮崎駿、スピルバーグとジョン・ウィリアムス、エリック・セラとリュック・ベッソンと言うように。)また映画によってはクラッシックやポップスの既成曲をうまく映画音楽として取り入れ、映画の完成度を高めている作品もあります。
 良い映画は見終わった後にその映画に流れていた音楽を聴いただけでその映画のシーンや感動が再現されます。きっと皆さんも印象に残っている映画音楽がいくらかあると思います。その映画はきっとあなたにとって名作の映画だと思いますよ。最後に私が音楽が印象に残った作品を10本紹介したいと思います。

・私が特に映画の中で音楽が印象に残った作品ベスト10 

onceワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
 アメリカのギャング映画なのですが、音楽がとても効果的に使われており、映画全体に漂うノスタルジックな雰囲気を音楽が醸し出しています。イタリアの映画音楽第一人者、エンニオ・モリコーネの最高傑作です。特にパンフルート奏者ザンフィルが奏でる哀愁漂うメロディーが最高にしびれます。『アマポーラ』や『イエスタデイ』などのまた既成曲も効果的に使われております。映画のサントラもとても素晴らしく夜中一人でウィスキーなどを飲みながら聴くと感傷的な気分に浸れます。

天空の城ラピュタ『天空の城ラピュタ』
 宮崎駿の映画はどれも久石譲が手がけており、どの作品も音楽の完成度が高く、見終わった後強い印象を残すのですが、特に『天空の城ラピュタ』は音楽の完成度が素晴らしいです。主題歌『君をのせて』も素敵ですし、映画で流れる曲もメリハリがあり、映像とのシンクロも最高です。(特に中盤のシータ救出シーン!)どの曲もメロディーも美しく、映画のもつ壮大でどこかもの悲しい雰囲気をよく伝えてくれます。

スター・ウォーズ トリロジー リミテッド・エディション (初回限定生産)『スターウォーズ』
 スターウォーズの曲は皆さん知っていると思います。映画のオープニング、あの壮大な曲がかかっただけで、いっぺんにスターウォーズの世界に観客を引き込んでくれます。ダース・ベーダーの曲もとても印象的で、あの曲が流れてくるとダース・ベーダーの顔が浮かんできます。
 ジョン・ウィリアムスは私のお気に入りの作曲家でスピルバーグとのコラボレーションで数々の名ナンバーを作曲しております。彼の映画音楽の魅力は印象的なメロディーとフルオーケストラを使ったダイナミックな音。そんな彼の魅力が一番楽しめるのは『スターウォーズ』だと思います。

2001年宇宙の旅『2001年宇宙の旅』
 この映画は全て既成のクラッシック曲を使っているのですが、その使い方の上手さに最初見たときは衝撃を受けました。近未来の映像にクラッシックがこんなにあうとは!監督の音楽センスは最高です。

サウンド・オブ・ミュージック プレミアム・エディションサウンド・オブ・ミュージック
 この映画はミュージカルなので、全編音楽が流れています。私はミュージカルは大好きなのでいろいろな作品を見ますが、この作品ほど名ナンバーが揃っているミュージカルはないと思います。『ドレミの歌』『エーデルワイス』など皆さんが知っている曲、聴いていて楽しめる曲が詰まっています。この映画を見終わると、きっと映画で流れていたナンバーを口ずさみたくなると思います。

dancer_in_dark『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
 この映画もミュージカルなのですが、これは『サウンド・オブ・ミュージック』とは対称的な作品です。見終わった後味もとても重いのですが、映画の中で歌われる曲はどれも素晴らしいです。曲を担当しているのはアイスランド出身のロック歌手・ビョークなのですが、彼女の作り出す曲の美しさと彼女の歌声は最高です。映画は暗く賛否両論あると思いますが、音楽は誰が聴いてもぐっと魂にくるものがあります。

ディレクターズカット ブレードランナー 最終版ブレード・ランナー
 これは1980年代の近未来SF映画の代表みたいな作品で、現在までカルト的な熱狂を誇っています。2030年の退廃した未来映像に流れるギリシャの作曲家ヴァンゲリスのシンセサイザーによる機械的でありながら官能的で感情に訴えてくる曲の数々は映像と共に強烈な印象を残します。

アマデウス『アマデウス』
 モーツァルトの死のミステリーを扱ったこの映画。全編に渡り、モーツァルトの名曲が流れます。映画では、モーツァルトがどのようにして数々の名曲を生み出していったかを描く場面があり、一見取っつきにくいように思われるクラッシックに対して、この映画を見ると興味がわくと思います。

ロード・オブ・ザ・リング ― コレクターズ・エディション『ロード・オブ・ザ・リング』
 この映画は世界中で大絶賛、大ヒットをとばしたファンタジー映画ですが、音楽もとても素晴らしです。グラミー賞のサントラ部門3年連続受賞、アカデミー音楽賞2回受賞という高い評価を受けており、完成度の高い映画音楽です。映画が描く中つ国という架空の世界を音楽で素晴らしく表現しております。時にクラシカルな手法、時に民族音楽の手法を取り入れ、壮大なスケールの叙事詩を盛り上げてくれます。また各作品の最後に流れる主題歌もどれも素晴らしいです。

グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版

『グランブルー』
 この映画のサントラは高校の時、何回もかけて聴いたものでした。透明感溢れるシンセサウンドは聴いていて心が癒されます。映画を見ていない人でも、この映画のサントラはヒーリングミュージックとして最適です。この映画はこの音楽によって、魅力が一気に増しているように思います。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『風の谷のナウシカ』街を捨て書を読もう!

『風の谷のナウシカ』 作:宮崎駿 徳間書店

ワイド版 風の谷のナウシカ7巻セット「トルメキア戦役バージョン」 先日、テレビで宮崎駿の『風の谷のナウシカ』が放送されていて、私も何回目になるかもう分かりませんが、最後までまた見てしまいました。『ナウシカ』は宮崎駿の手がけた映画の中でもインパクトが強く、彼の代表的作品であることは間違いありません。映画版『ナウシカ』の魅力はその世界観・主人公の完璧なまでの人間性・メッセージ性の3つにあると私は思います。私が始めて見たのは中学生くらいだったと思うのですが、とても衝撃を受けたのを覚えています。まず腐海という誰も見たことがない美しくも人間にとって悪夢のような世界観。人間が環境破壊の中で作り出した腐海により、人間は皮肉にもマスクを付けないと毒ガスで死んでしまうという設定は最初見たとき非常に衝撃的でした。そのような腐海のほとりの村「風の谷」で生きる主人公ナウシカの完璧なまでに善き心、美しい心を持ちあわせた人間性には最初見た当時にアニメのキャラクターとはいえ憧れ、惹かれたのを覚えています。滅びの縁にいる人間が、それでも自分たちを地球上の支配者であると思いこみ、残された自然を破壊し、力と憎悪をめぐって争うことを止めない姿には何とも言えない哀しみを感じると共に宮崎駿の環境破壊・戦争に対する強烈なメッセージ性に共感を覚えたものでした。
風の谷のナウシカ この映画は原作の漫画があり、映画と同じく宮崎駿が手がけているのですが、この漫画版『風の谷のナウシカ』は日本漫画史上屈指の名作に仕上がっています。映画版『ナウシカ』しか知らない人は、漫画版『ナウシカ』の世界観・人間の描き方・メッセージ性のあまりの奥深さにびっくりすると思います。そして、一度漫画版『ナウシカ』を読み通したら、映画版『ナウシカ』には物足りなさを感じると思います。(映画版ナウシカも魅力のいっぱい詰まった作品で、私自身は大好きな作品です)

 漫画『風の谷のナウシカ』は1982年からアニメージュという雑誌に連載を開始し、映画制作で何度か連載を中断しながらも連載をし続けて、1994年に完結しました。原作は単行本で7巻まで発行されおり、映画版『ナウシカ』は原作の2巻途中までの話しを大きく改編して、作られた作品となっています。その為に映画と漫画ではストーリーの流れや登場人物の人間像も大きく違っており、両者は全く別の作品と言ってもいいくらい違う作品であります。漫画は映画『ナウシカ』の世界観・人物像・メッセージ性を悉く自ら否定していくようなストーリー展開になっており、映画のナウシカが好きな人が見たらショックを受けると思います。そして、映画版『ナウシカ』を作った監督・宮崎駿自らがその内容を徹底的に否定していくような展開にしていった漫画版『ナウシカ』を読んでいく内に連れて、思想家・宮崎駿の価値観の変遷や葛藤までもが伝わってくる作品となっています。
 漫画版『風の谷のナウシカ』の魅力はその世界観・人間像・メッセージ性の深さです。映画版『ナウシカ』と比較しながら漫画版『ナウシカ』の魅力を紹介していきたいと思うのですが、映画と漫画の一番の違いは「混迷の深さ」です。映画はまだ善と悪という2項図式が明確にあり、ナウシカが善の方向にみんなを引っ張っていくような話しでしたが、漫画の方は善と悪という2項図式が崩れ、善と悪が入り乱れ、混迷した状況の中で話しが進んでいきます。そのため登場人物たちの描かれ方も深みが増しており、それぞれの人物たちが内面に抱える「善と悪」「憎悪と慈悲」「秩序と混沌」が詳細に描かれおり、読み手はどの人物にも人間くささを覚え、共鳴・共感できるような作りになっています。
 特に映画では救世主としてストレートに描かれていたナウシカも漫画では単なる救世主として描かれるのでなく、ナウシカ自身愚かで醜い人間の一人に過ぎない人間として描かれています。最初は風の谷の王の娘としてある意味無垢で自らの正義を信じて進んでいたナウシカも戦争に巻き込まれていく中で、自らの内に潜む虚無や絶望と葛藤する場面が多く出てきます。話しが進むに連れて彼女は無垢なままでいることは許されず、単純に自らの正義を叫ぶことも許されない状況になってきます。そして彼女は周囲の人間の調停をしていく存在へとなっていきます。また彼女の暗い幼少期の母との関係なども描かれ、彼女自身の心に潜む闇と向き合う事にもなります。漫画版では一人の人間として強さと弱さを併せ持ったナウシカの姿を克明に描いています。
 また描かれる世界は映画よりもさらに暴力と憎悪に満ちあふれており、戦争による破壊と暴力の連鎖をこれでもかというくらい徹底的に描写しており、後半になるに連れて陰惨で残酷な場面の連続になります。その描写は安易な希望のかけらのひとつもないほど徹底した憎悪と絶望に満ちたものです。そこには作者・宮崎駿のこの世界に対する絶望がかいま見えます。
 絶望的な世界の中で残されたかすかな希望を見つけようとする主人公ナウシカとその周囲の者たち。ナウシカを中心に最初憎しみあい、殺し合っていた者たちが己の憎悪や殺戮虚しさを知り、自らの内に潜む憎悪を乗り越え、かつて敵だった者たちと何とか和解し、生き延びていこうとする姿。その姿は今現代の世界にとっても非常に大切な姿だと思います。憎悪と暴力の連鎖はどこかで誰かがぐっと我慢して手を引かない限り、ずっと続いていくもの。宮崎駿は漫画版『ナウシカ』で憎悪と暴力の連鎖をどう断ち切ることができるのか、ずっと考えてきたのだろうと思います。絶望の淵の最後の希望。それが憎悪と暴力の連鎖を断ち切るということなのでしょう。漫画版『ナウシカ』では最後の希望が克明に描かれており、それは宮崎駿の希望でもあるのでしょう。
 映画版『ナウシカ』では環境破壊に対するメッセージが叫ばれていましたが、漫画版『ナウシカ』ではもう一歩踏み込んで、人間と他の生命との関係性やこの地球に生きる生命そのものに対する深い考察がなされています。映画版では人間による自然破壊を止めて、自然と共生の道を選ぼうというメッセージが叫ばれていました。しかし漫画版では人間も地球上に生きる一生命体に過ぎないという価値観を下に後半話しが進んでいきます。そして映画では描かれることなかった腐海の秘密が暴かれていきます。その秘密は映画で叫ばれていたメッセージそのものをひっくり返してしまうくらい、大きなものです。その秘密はぜひ原作を読んで自ら確かめてください。その秘密とその秘密に対する主人公ナウシカのとる決断を描く中で、宮崎駿は生命の目的意識性を否定します。全ての生命は目的があって生まれてくるのでなく、ただ生きるために生まれてくるのだという強烈なメッセージがそこには含まれています。そして、残酷で愚かな面をもつ人間でさえ生まれてきた限り、生きなければならないとナウシカ(宮崎駿)は言います。人間が作り出した様々なイデオロギーや価値観をも超えて、一生命体としての人間の存在を肯定する漫画版のラストは混迷する現代世界にあってストレートに力強いメッセージ性を持っています。
 漫画版『ナウシカ』は明確な善悪やイデオロギーや思想そのものが否定され、混沌とした清濁併せのむ世界で生きる命たちが浄化される姿を描いた作品であります。そしてどのような状況であっても生きていくことそのものへのエールと賛歌に満ちた作品です。

 また漫画版『ナウシカ』を読むと、ここ最近宮崎駿が作る映画をとても理解しやすくなります。漫画版『ナウシカ』以降、宮崎駿の作る映画の方向性は明らかに変わってきました。『ナウシカ』以降に宮崎駿が監督した映画として『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』の3本があります。これらの映画は『ナウシカ』完成以前の『魔女の宅急便』『天空の城ラピュタ』と作風が大きく変わっています。(この作風の変化がよかったかどうかは賛否両論あると思います。私自身ここ最近の作品の混沌さや複雑さも嫌いではないのですが、以前の作品の方がよかったなあと思うときはあります。)
もののけ姫 まず『もののけ姫』は漫画版『風の谷のナウシカ』の思想をコンパクトにまとめた映画です。『もののけ姫』は公開当時大変話題になり大ヒットした映画ですが、ストーリーが複雑で難解であるという感想もよく聞かれました。この映画は漫画版『ナウシカ』を読んでいると、大変分かりやすい映画です。混沌とした世界の中で、自分たちが生き延びるために、さまざまな思想や価値観をもった者たちが争い、滅びの縁に追い込まれるという設定は漫画版ナウシカそのものですし、登場人物たちを単純な善悪の図式の中で区分けして描くのでなく、善と悪・憎悪と優しさなど多様な面をもつ人物として一人一人描かれたのも漫画版ナウシカの影響が強いです。『もののけ姫』のラストの曖昧な終わり方もナウシカのラストを知っている人はあの終わり方しかないと納得すると思います。
千と千尋の神隠し (通常版)

 続いての『千と千尋の神隠し』も明確な悪役の不在、全ての者が浄化されていくストーリー、清濁併せのむ世界観などは『ナウシカ』で宮崎駿が手に入れたものが明確に反映されいると思います。
 そして最新作の『ハウルの動く城』。この作品も明確な悪役が不在してますし、混沌とした世界観、全ての者が浄化されていくストーリー展開などナウシカの影響が伺えます。また戦争シーンなどは漫画版『ナウシカ』の戦争シーンとだぶって見えます。

 漫画版『ナウシカ』は読むのにとても体力・精神力のいる作品ではありますが、その内容はとても素晴らしいです。是非皆さん、漫画版『ナウシカ』は面白いので、まだ読んだことがない人は急いで書店で購入して読んでみてください。その壮大なスケールと深いメッセージに感銘すると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

『美輪明宏全曲集』

お気に入りCD.NO3 『美輪明宏全曲集』 キング・レコード全曲集
 前回ブログで美輪明宏さんの魅力を少しばかり紹介しましたが、前回は美輪さんの本を中心に紹介したので、今回は美輪さんの歌の魅力を紹介したいと思います。
 私が美輪さんの歌の魅力にはまったのは、NHK教育テレビで放映されていた美輪さんのNHK講座「美と愛の法則」で『ヨイトマケの唄』を聴いたときからです。
 『ヨイトマケの唄』は貧しい家庭の中で育った子どもが大きくなり、今はもう亡くなった父母への思いを偲ぶ歌なのですが、私は始めて聴いたとき、その歌の美しさ・力強さに魂をわしづかみにされました。私もいろいろな歌を聴いてきましたが、この歌ほど感情にダイレクトに伝わってくる作品はありませんでした。
 美輪さんは講座の中で、この歌は自分や自分の周囲での実体験を元に作られたようです。この歌は最初はなかなか売れなかったようですが、ふとしたきっかけでテレビで紹介されてから大反響を呼んだそうです。特に炭坑で働く家族からの反響は大きかったそうですしかし、この歌の中に差別的用語があると知識人と称するエセヒューマニストたちに指摘され、それから放送禁止歌に指定されてしまったそうです。
 (それにしてもこの歌の歌詞に差別用語があるので、この歌を差別的だと放送禁止歌に指定した知識人たちとは、一体何様のつもりなんでしょう。言葉の表層的な所だけを見て、これは差別的だと決めつける知識人たちの考えそのものに差別性が含まれていると思いますし、差別語を撲滅しただけでは決して差別はなくならないと私は思います。差別の根はもっと深いものがあると思います。ただ差別されている側がその言葉に不快を感じるならみだりに使うべきではないとは思いますが。)
 この歌は決して差別的な歌ではなく、人間が社会で生きていく厳しさや優しさが美しさに溢れた素晴らしい歌です。歌詞はもちろん素晴らしいのですが、美輪さんの歌い方がまた絶品です。歌の緩急の付け方、腹の底から響いてくる声、感情がこもったというか、当事者の感情が乗り移ったかのような歌い方は、歌詞の素晴らしさを何倍にも引き立てていす。この歌は聴く人の魂を揺さぶる力を持っていると思います。私は是非多くの人にこの歌を聴いて欲しいと思っています。
 私は美輪さんの歌だと『ヨイトマケの唄』以外にお薦めするのは『愛の讃歌』です。この歌はフランスの有名なシャンソン歌手エディット・ピアフが歌っていた曲で、日本では越後吹雪さんが戦後歌って全国的に有名な曲になったのですが、越後吹雪さんの『愛の讃歌』は歌詞が原詩と大幅に違っているようで、それが不満だった美輪さんが原詩を忠実に訳され、自ら歌っているのですが、この美輪さんの『愛の讃歌』はとても素晴らしいです。愛の強靱さや優しさ・美しさが見事に表現されおり、愛の本来持つ力強さが伝わってくる歌になっています。また美輪さんの歌い方が絶品で、愛の繊細さと強さを見事に声で表現しています。フランス語で歌われる時の発音もとても美しいです。
 私は美輪さんのCDは今のところ『美輪明宏全曲集』しかもっていないのですが、このCDは美輪明宏の歌手としての魅力を余すところなく伝えるCDとなっています。上に挙げた「ヨイトマケの唄」や「愛の讃歌」も入っていますし、彼のヒット作「メケ・メケ」や美しい日本語が堪能できる曲、美輪さんの歌手としての力量が分かる曲が多く選曲されており、美輪さんのCDを買うときの最初の1枚にとてもお薦めです。美輪さんは時代に左右されない数少ない本物の歌手だと思います。機会があれば是非一度コンサートに行ってみたいなと思っているこの頃です。

1.ヨイトマケの唄
2.兄弟
3.孤独
4.めぐり逢い
5.うす紫
6.いとしの銀巴里
7.砂山
8.叱られて
9.雪の降る町を
10.メケ・メケ (M'E QUE' M'E QUE')
11.人生の大根役者 (LE CABOTIN)
12.暗い日曜日 (SOMBRE DIMANCHE)
13.群衆
14.愛の讃歌 (HYMNE A L'AMOUR) (原語バージョンセリフ付)
15.花 (すべての人の心に花を)
16.老女優は去りゆく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

肝臓を痛める

ここ最近、胃や目の調子が悪いと思っていたら、今日の朝、起きられないくらいしんどくなり、職場を休んでしまいました。午後から病院に行くと、肝臓が悪いとのこと。以前は胃潰瘍の疑いがあると言われていたので、肝臓が悪いという予想外の診断結果にブルーになってしまいました。血液検査によると肝臓に関係する数値が通常の50倍から100倍とのこと。急遽点滴をして、明日に精密検査の予定です。アルコールも最近は飲んでいないのに、医師や看護師にお酒を飲み過ぎていないかやたら聞かれて、またブルーになってしました。まだ病名ははっきりしていませんが、世の中、いつどんな病気にかかるか分かりませんね。皆さんもお気を付けください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »