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2005年12月4日 - 2005年12月10日

この映画を見て!『マグノリア』

第10回『マグノリア』マグノリア<DTS EDITION>

見所:あっと驚くラスト!

この映画は私の特にお気に入りの映画の一つです。上映時間は187分とかなり長いのですが、流麗なカメラワーク・テンポのいい編集と出演者たちの濃厚な演技に目を奪われ、見始めるとあっという間に過ぎていきます。そして誰もが予想しないラストの展開。これにはきっとみんなびっくりしてしまうでしょう!

ストーリー:「ロサンゼルス郊外で生活する9人の男女。生活環境も違い、職業も違う彼らだが、一つだけ共通していることがある。それは人間関係の悩み。愛する者の死、親子の不和・軋轢など人間関係に伴う孤独や怒り・悲しみ・後悔を抱えながら日々の生活を送る彼ら。そんなある日、彼ら一人一人の人間関係の問題が一気に彼らの前に立ちはだかる。そんな彼らに訪れた信じられないような予想外の出来事。それは彼らの悩みを日常から押し流し、新たなる日常へと誘う。」

この映画は見終わった後、賛否両論分かれると思います。その理由はラストの予想外な展開です。このラストの展開はきっと予想できないと思います。しかし、ラストの展開への伏線はプロローグに挿入される本編とは一見無関係な3つのエピソードに込められています。だから最初のプロローグはしっかり見ておいてください。なぜ監督はラストをこのような展開にしたのか、そこをどう受け止めるかで、この映画の印象は変わります。

この映画のテーマは人間関係の修復と再構築です。この映画に出てくる人たちは人間関係で大きくつまずいている人たちです。親のこと、子供のこと、愛する人のこと、みんなどこかうまくいかず、いらいらして毎日を過ごしている。そんな登場人物たちのいらだちや不安をこの映画はたっぷりと描いています。そんな登場人物たちのいらだちや不安が最高潮に達したときに起こる信じられない出来事。それは社会(日常)でさまざまな人間と交わり、そして悩む者たちが、社会の外から訪れるふいの出来事によって癒されるという構図です。このような構図の背景にはキリスト教における人間と神の関係というものが背景にあるように思えます。具体的に言うと社会で生きる人間の悩みを世界に存在する神が癒すという構図です。この映画のラストの展開はただみんなを驚かせるためにこういう展開にしたのではなく、神の奇跡の前で人間同士が許しあう姿を描いているのだと思います。

ところでこの映画の見所はラストの展開だけではありません。まず出演者たちの演技にも注目です。特にトム・クルーズ。彼の出演する映画では彼の演技に注目するより、彼のスター性に注目がいきやすいのですが、この映画で彼の演技に注目するはずです。おそらく出演作で一番いい演技をしていると思います。(この映画でアカデミー賞にもノミネートされています)また他にも演技のうまい役者揃いなので見応え抜群です。次にバックに流れる挿入歌、これもとてもいいです。アメリカのアーティスト、エイミー・マンが作詞・作曲して歌っているのですが、とても映画にあっています。特に映画の途中で流れ、登場人物たちが歌う「WiseUp」という曲はとてもいいです。(この映画自体エイミーマンの歌詞をモチーフに作っていったそうです)

是非皆さん、冬の長い夜、この映画を見てみてください。ラスト笑顔がこぼれます。この世界は生きるに値することがあることを感じます。

公式サイト:http://www.herald.co.jp/official/magnolia/index.shtml

製作年度 1999年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 187分
監督 ポール・トーマス・アンダーソン 
脚本 ポール・トーマス・アンダーソン 
音楽 ジョン・ブライオン 
出演 ジェレミー・ブラックマン 、トム・クルーズ 、メリンダ・ディロン 、フィリップ・ベイカー・ホール 、フィリップ・シーモア・ホフマン 

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街を捨て書を読もう!「ソクラテスの弁明」

『ソクラテスの弁明』 作:プラトン 岩波文庫

最近、ギリシャの哲学者ソクラテスの「ソクラテスの弁明」という本を読んでいます。私とソクラテスとの出会いは長く、高校の時でした。林竹二という哲学者がソクラテスの「無知の知」について解説してある本を読んで、自分の無知を自覚することが人間の最大の知恵であるということが書いてあり、衝撃をうけました。たくさんの知識を得ることが賢いことだと思い続けていた私の人間観を見事にひっくり返してくれました。
 ソクラテスがいう無知とは「善」に関する知識であり、世俗的なものでなく自分が本当に満足できる何を求めているのかを人間は知らないと言うことです。世俗的な知識をいくらもっていても、それはただのもの知りにすぎず、本当の知者ではない。ソクラテスは多くの人間がドクサ(一般的通念)に縛られ、みんながいいと言うなら自分にとってもいいというふうに思いこみ生きることを、「善を見失って生きていること」として批判します。知るという行為は自分の知っていること、思いこんでいることを徹底的に吟味して、本当に生きていくために必要なものかを追い求める作業です。
 ソクラテスは生前、アテネの市民と問答をして、相手の善に関する無知を暴いていきます。その行為は多くのアテネ市民の反感を買い、告訴され、死刑になります。ソクラテスは裁判で無罪になることもできたのですが、自分の信念を主張し、貫き、自ら死刑を受け入れます。

「ソクラテスの弁明」はソクラテスが裁判で語ったことが弟子のプラトンによって記述されています。ソクラテスはこの裁判で自分の信念を明確に語っています。神により与えられた使命を貫く姿、告発した者たちに冷静かつ非妥協的に反論していく姿は、本当の知を持った人間の生き方というものを教えてくれます。そしてより善く生きるということの意味というものを読む者に問いかけてきます。

この本を私は読むたびに、自分の思い上がりを正し、自分を謙虚にかつ、自分らしく生きていこうという気になるんですね。知識をたくさん持っているということは生きるうえでの技術は多く持っているといえるかもしれませんが、所詮それだけのこと。自分が自分らしく生きるために本当に必要な知識を考え、自分の無知を知り、無知であるが故に自分を知ろうと絶えずしていこうという姿勢をこの本は教えてくれます。

ぜひ一度読んでみてください。

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