街を捨て書を読もう!「ソクラテスの弁明」
最近、ギリシャの哲学者ソクラテスの「ソクラテスの弁明」という本を読んでいます。私とソクラテスとの出会いは長く、高校の時でした。林竹二という哲学者がソクラテスの「無知の知」について解説してある本を読んで、自分の無知を自覚することが人間の最大の知恵であるということが書いてあり、衝撃をうけました。たくさんの知識を得ることが賢いことだと思い続けていた私の人間観を見事にひっくり返してくれました。
ソクラテスがいう無知とは「善」に関する知識であり、世俗的なものでなく自分が本当に満足できる何を求めているのかを人間は知らないと言うことです。世俗的な知識をいくらもっていても、それはただのもの知りにすぎず、本当の知者ではない。ソクラテスは多くの人間がドクサ(一般的通念)に縛られ、みんながいいと言うなら自分にとってもいいというふうに思いこみ生きることを、「善を見失って生きていること」として批判します。知るという行為は自分の知っていること、思いこんでいることを徹底的に吟味して、本当に生きていくために必要なものかを追い求める作業です。
ソクラテスは生前、アテネの市民と問答をして、相手の善に関する無知を暴いていきます。その行為は多くのアテネ市民の反感を買い、告訴され、死刑になります。ソクラテスは裁判で無罪になることもできたのですが、自分の信念を主張し、貫き、自ら死刑を受け入れます。
「ソクラテスの弁明」はソクラテスが裁判で語ったことが弟子のプラトンによって記述されています。ソクラテスはこの裁判で自分の信念を明確に語っています。神により与えられた使命を貫く姿、告発した者たちに冷静かつ非妥協的に反論していく姿は、本当の知を持った人間の生き方というものを教えてくれます。そしてより善く生きるということの意味というものを読む者に問いかけてきます。
この本を私は読むたびに、自分の思い上がりを正し、自分を謙虚にかつ、自分らしく生きていこうという気になるんですね。知識をたくさん持っているということは生きるうえでの技術は多く持っているといえるかもしれませんが、所詮それだけのこと。自分が自分らしく生きるために本当に必要な知識を考え、自分の無知を知り、無知であるが故に自分を知ろうと絶えずしていこうという姿勢をこの本は教えてくれます。
ぜひ一度読んでみてください。
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