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2005年9月

この映画を見て!「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

once 第6回「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

見所:時系列が複雑に入り組んだ脚本、重厚な演出、1930年代のニューヨークのセット、エンニオ・モリコーネの哀愁のある音楽

 この映画を始めてみたのはもう10年前になります。この映画はタイトルも長いですが、上映時間もとても長く4時間近くあります。(でも当初はさらに長く5時間近くあったそうですが。)描かれる世界は20世紀前半のニューヨークのユダヤ系移民のマフィアの世界。ストーリーは貧しいユダヤ系移民の少年たちがマフィアの世界に足を踏み込み、大人になり成功しながらも、破滅へと向かっていく姿を少年時代(1920年代)・青年時代(1930年代)・老年時代(1960年代)と3つの時代に分けて描いています。この映画はシナリオがとても面白く出来ていて、時系列がばらばらに配置されています。最初は青年時代から始まり、次に老年時代、そして少年時代とあちらこちらに時代が飛びながら、主人公たちの姿を追っていきます。最初は時系列がばらばらなので見ている側も少し混乱するのですが、これが実にこの映画がラストに向かうにつれて効果を挙げていきます。またラストも非常に意味ありげな終わりをします。そしてそのラストをどう捉えるかでこの映画の全体の印象が変わります。
先にあげたシナリオ以外にも、この映画は見所が多いです。100億円近い予算をかけた重厚なニューヨーク下町のセット、エンニオ・モリコーネの哀愁のある音楽、ロバートデニーロの哀愁ある演技、映画全体を包むノスタルジックで重厚な演出。(1シーン1シーン美しい構図でとてもゆったりと丁寧に描かれており、それが主人公たちの心情をセリフが少ないながらも如実に表現しています。)
 この映画のテーマは一言で言うと「人生は儚い夢のようなもの」であるということを物語っています。それはラストシーンを見てもらえば良くわかります。友情、裏切り、恋愛、失恋、成功、失敗、生きているといろいろな経験を人はしますが、全ては移ろいゆく儚いもの。この映画は生々しい世界を描きながら、ノスタルジックな雰囲気を漂わせています。それは人生など儚い夢みたいなものであるというこの映画のテーマからきているのだと思います。
 秋の夜長、ぜひ皆さまもご覧ください。皆さんはこの映画のラストをどう解釈されるでしょうか?

製作年度 1984年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 225分 (アメリカでは初公開時にずさんに編集された140分版で公開されて不評でした。日本も初公開時は205分にカットされた短縮版でした。
監督 セルジオ・レオーネ 
製作総指揮 クラウディオ・マンシーニ 
脚本 フランコ・フェリーニ 、レオナルド・ベンヴェヌーチ 、ピエロ・デ・ベルナルディ 、エンリコ・メディオーリ 、フランコ・アルカッリ 、セルジオ・レオーネ 
音楽 エンニオ・モリコーネ(最高です。)
出演 ロバート・デ・ニーロ 、ジェームズ・ウッズ 、エリザベス・マクガヴァン 、ジェニファー・コネリー 、ダーラン・フリューゲル 

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「A.I.」この映画を見て!

ai 第5回「A.I.」

見所:ジャンクフェアー、水没したニューヨーク、何ともいえないラスト

最初に言っておくと、この映画は失敗作です。しかしこの映画は退屈だとか、面白くないとか言っている訳ではありません。むしろ見所の多い映画です。
この映画の監督はスティーブン・スピルバーグ。常に話題作を提供している監督ですが、この映画も公開当時話題にもなり、賛否両論分かれた映画でもありました。(興行的には日本では成功し、アメリカでは失敗しました。)
ちなみにこの映画は本来スピルバーグではなく、スタンリー・キューブリックという監督が撮る予定でした。キューブリックは映画ファンの間では有名な監督で、代表作に「2001年宇宙の旅」や「アイズ・ワイド・シャット」などがあります。キューブリックはテーマや映像にもこだわり、何年もかけて1本の映画を撮っていく監督で、AIは彼が20年くらい前から映画化を企画していました。しかし、彼が亡くなり、キューブリックと親交があったスピルバーグが監督することになりました。
キューブリックの映画はスピルバーグの映画とはだいぶ方向性が違います。キューブリックは美しくも冷めた映像で客観的に物語を進行していきます。スピルバーグはどちらかというと観客も映画の中に巻き込んで主観的に話を進めていきます。作風の違いがある中、スピルバーグがキューブリックの企画した映画をどう撮るか、私はスピルバーグもキューブリックも好きなので、この二人の監督がコラボレーションした「A.I.」を楽しみかつ心配したものです。脚本も途中までキューブリックが作っていたストーリーボードを参考に、スピルバーグが作ったのですが、二人の作風のちぐはぐさが悪い方向に出てしまってます。

『この映画のストーリーは三部に分かれています。第一部は地球のほとんどが温暖化により水没した未来。人口増加防止のために出産制限がかけられている中、ロボットが労働力として位置づけられている社会。ある夫婦の子どもが難病にかかり、意識が戻らないままとなってしまう。その夫婦にロボット会社から愛情をインプットされた子ども型のロボットが送られる。戸惑いながらもそのロボットを自分の子どものように扱う母親。子ども型ロボット「デイビット」はAIにインプットされた愛情からか、母親の関心を引こうとする。しかし意識不明だった子どもが意識を取り戻し、家に戻ってきたときから、デイビットにとっての不幸が始まる。子どもにロボットのように扱われ、母親も子どものほうに関心が向く中、デイビットは母親の関心を引こうとする。自分が人間でないから愛されないと思うデイビットはピノキオの本を読み、青い妖精に出会えば自分も人間になれるのではという希望を持つようになる。しかし、思わぬ事故から、デイビット家族に危険を及ぼすものとされ、森に捨てられてしまう。
第二部では捨てられたデイビットが、森の中をさまよう中、青い妖精を探そうとする。しかしいらなくなったロボットを破壊するショー「ジャンクフェアー」に巻き込まれ、危うく破壊されかける。しかし何とか逃げだし、仲良くなったセックスロボット「ジゴロ・ジョー」と共に青い妖精を探して、旅をする。そして水没したニューヨークに青い妖精がいるという情報を手に入れ、ニューヨークに行くが、そこでデイビットを迎えたものは・・・。
第三部は希望が絶望へと変わり、奇跡を待ち続けたデイビットに起こるほんのわずかな奇跡が訪れる姿が描かれます。』

この映画を最初に見たときは、救いのあるようで、実は救いのないラストに何とも後味の悪い映画だなと思ったものです。またSF映画としては未来設定のつめも甘く、世界観が伝わってこないので、つまりませんでした。

この映画の一番の不満は脚本です。主人公にも共感できるようで共感できかったり、スピルバーグのマザコンぶりが全開で、いまいちのりきれなかったり、スピルバーグのヒューマニズムとキューブリックのシニシズムとのせめぎ合いで話の展開もちぐはぐだったりと粗が目立ちます。

キューブリックはこの映画を愛情を持ったA.I.型ロボットという視点から、人間の存在とは、愛という感情とは何か?をクールな視点で問いかけようとしたのだと思うのですが、スピルバーグは母親に愛されない子どもの不幸話にまとめているんですよね。しかもラストシーン、映画前半が人間の冷たさを描きながら、突如人間を褒め称えるセリフが出てきたり、ナレーターが過剰に主人公の心情を語り興醒めになってしまうんですよね。

この映画はSF映画として見ると失敗作です。しかし未来を舞台にしたピノキオの映画としてみると、けっこう面白い作品です。主人公のロボットはピノキオそのものです。まあ映画の中にはピノキオへのオマージュに満ちています。もろピノキオのパクリみたいなところもありますが・・。

そしてこの映画が問うている人間とは何か、愛とは何かいう主題(上手く映画では伝えきれていませんが)は私たちに重い問いかけを残します。

最後にシナリオはいまいちですが演出においてはさすがスピルバーグ上手いです。音楽・カメラは美しいですし、見せ場もたくさんあります。また全体的には抑えた語り口ですが、第二部の「ジャンクフェア」はここだけ違う映画を見ているかのようです。人間がロボットを破壊して満足するというえげつないシーンですが、ロボットの破壊ショーを過激にスピルバーグは演出しており、子どもが見たらトラウマになるような映像です。このシーンは単なる破壊ショーというシーンを越えて、人間の中にある差別意識や残酷さを鋭く描いています。また水没したニューヨークのシーンはなかなかの見応えです。

製作年度 2001年
製作国・地域 アメリカ
上映時間 146分
監督 スティーヴン・スピルバーグ 
製作総指揮 ヤン・ハーラン 、ウォルター・F・パークス 
原作 ブライアン・オールディス 
脚本 イアン・ワトソン 、スティーヴン・スピルバーグ 
音楽 ジョン・ウィリアムズ 
出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント(ロボット役ということで瞬きをあるシーンを除いてしてないです。) 、フランシス・オコナー 、ジュード・ロウ(この人の演技が一番面白かったです。) 、サム・ロバーズ 、ブレンダン・グリーソン 

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私の映画遍歴3「80年代スピルバーグにはまる」

70年代後半から80年代一番勢いのあった映画監督と言えば、スティーブン・スピルバーグ。彼の映画は軒並み世界中で興行収入のベストテンを占め、出る映画はヒット間違えなしでした。皆さん一度は見たことがあると思います。80年代後半一度勢いが落ちましたが、90年以降は念願のアカデミー監督賞も受賞し、映画制作会社・ドリームワークスを設立。映画界のトップメーカーとして今も定期的に話題作を提供してくれています。

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彼は今までにたくさんの映画を制作・監督していますが、私が一番好きだったのは70年後半から80年前半の時代に作られた作品です。この時代の代表作は「激突」「未知との遭遇」「ジョーズ」「レイダース」「ET」と娯楽作・大作が目立ちます。このころの彼の映画は見世物小屋的要素が多く、次々と目新しい見世物を見せてくれるので私としては彼の次回作を楽しみに待っていたものです。彼の映画は見て考えるというより、体感する映画が多いです。日常で希薄になった怖いもの・不思議なもの見たいという欲望を彼の映画は満たしてくれます。90年代も「ジュラッシックパーク」というすごい見世物を見せてくれたのですが、この映画は生々しい恐竜にインパクトがあったものの、見せ方や話の進め方は80年前半までの方が面白いなと私は見た当時は思ったものです。

彼の映画との最初の出会いはテレビでの「激突」というテレビ映画でした。この映画は主人公の中年男性が車に乗っているとき、タンクローリーを抜かしてしまい、その恨みからか、タンクローリーに襲われ、逃げるというシンプルな話です。このシンプルな話をスピルバーグは演出の巧みさで一気に見せきってしまいます。

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彼の映画は見せ方がとても上手いです。なかなかそのものを見せない演出とそのものを一気に見せつける演出は特に巧みです。(これはジョーズを見ると良くわかります。前半なかなか正体を現さない演出と後半の鮫との格闘シーンで鮫そのものを見せ付ける演出!最近の宇宙戦争もこの演出が前半巧みでしたね)。また映画のテンポも良く、サスペンスシーンの盛り上げ方も上手で、観客を映画の中に巻き込んでくれますよね。

また、この頃の彼の映画には(べたな言い方をすると)どこかロマンがあったんですよね。彼の映画が提供する鮫との格闘や冒険そして宇宙などの非日常的なものに対するロマンに小学生の私はあこがれたものです。ちなみに私が一番ロマンを感じたのは「未知と遭遇」はです。ぜひ皆さんも見てみてください。夜空を見上げたくなります。

miti 最近の彼の映画ももちろん好きで欠かさず見てますが、以前に比べるとどこかロマンを感じないんですよね。スピルバーグも大人になってしまったのか、最近の映画はロマンを追い求めるというより、家族をテーマにした映画が多いですね。(宇宙戦争ですら家族が前面に出ていた映画でしたからね。)

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私の映画遍歴2「80年代ホラー映画大ブームにはまる」

私が小学生の時、80年代はテレビでもよくホラー映画を放映してました。今思うと結構過激なシーンのある映画が、21時台によく放映されてましたね。私は小さいときからびびりで、夜も一人で寝ることがなかなかできなかったのですが、テレビでホラー映画があると必ず見ていました。そして見終わった後、いつも眠れず後悔していました。

当時はよくテレビで放映されていたホラー映画と言えば「13日の金曜日シリーズ」「バタリアン」。この2作品は私の通っていた学校の男子の間でもよく話題になりました。

13fy 「13日の金曜日」をはじめて見た時は、まじびっくりしました。殺人描写はもちろんのこと、結構エッチなシーンもあり、いつも行ってははいけない場所に行く若者たちのアホさに、子供心に印象残り、学校でも友達と昨日見た13日の金曜日のことを話したり、家の裏山にあった池にジェイソンがいるのではと、友達と肝試しをしたりしたものです。また13日の金曜日鬼ごっこなるものが流行っていました(今思うとやばい遊びですね。)

batariann また「バタリアン」も金曜ロードショーで初放映されたときは衝撃を受けましたね。タールマンやオバンバ(このオバンバがオバタリアンという言葉を生み、ブームになるのですが)などの変なネーミングかつ結構グロイゾンビに、生きながら死んで死後硬直を起こす登場人物、何とも後味の悪い衝撃的な結末と強いインパクトのある映画でした。小学校でももちろん話題になり、これまたバタリアン鬼ごっこなるものが流行っていました。

ホラー映画って見たくないのに見てしまうのは、近代から現代になるにつれて日常から異界(人間が畏怖し近づかない場所)や死の感覚が希薄になるなか、ホラー映画の中では普段忘れていられる異界や死がむき出しになるところに人間の興味がいくからだと思います。80年代はバブル絶頂期で世の中浮かれている時代でした。社会全体が光に包まれふわふわしているような時代でした。今まであった家族や学校、会社という共同体の意味も薄れてくる中、各個人の存在を支える価値観も流動化するような時代。明るくふわふわした時代だからこそ、人間の中にある死や異界に対する不安や希求が80年代ホラー映画のブームの背景にあったのかもしれません。

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この映画をみて!「インファナル・アフェア」

第4回「インファナル・アフェア」

infenaru 昨年香港で大ヒットを記録して、PART2、3も制作され、ハリウッドでのリメークも決まったこの作品。私はジョン・ウー監督の「男たちの挽歌」に一時期はまった私としては、今回の作品も裏社会を舞台に激しいガンアクションが展開されるのかと期待していたのでいい意味で見事に裏切られました。

 この作品は脚本がとても練られています。話自体は、 警察に潜入することを命じられたマフィアの青年と、マフィアに潜入して囮捜査をすることを命じられた警察官それぞれお互いの正体を探り、任務を遂行しようとする駆け引きを最後まで心理的緊張感を保ちながら描いていきます。話自体は今までもよくあるものですが、話の進め方・見せ方がとても上手です。特に後半30分の話の展開はすごいです。主役2人が次にいったいどのような行動に出るのか、手に汗握ります。

 また主役2人の演技が絶品で、お互い本当の自分を隠して目的を遂行していく中での葛藤や戸惑いを見事に表現しています。マフィアに潜入した警察官演じるトニー・レオンは正義のためにマフィア潜入して、犯罪にも手を染め、いつしか正義を(自分が警官であるということ)見失いそうになる苦悩を感情豊かに見事に表現しています。また警察に潜入することを命じられたマフィアの青年演じるアンディ・ラウの警察内で信頼を得て地位を築くなか、自分の真の正体がばれることを恐れ、警察での今の地位を守ろうと懸命になる役をクールに、繊細に表現しています。どちらもいい演技をしていますが、わたしはラウの役の方が演じるのは難しかっただろうと思います。

 香港の町並みを陰影の深く捉えるカメラ、主役2人を取り巻く脇役の演技(特に警視官を演じたアンソニー・ウォン。まるで太陽にほえろの石原裕次郎のような存在感です。)のすばらしさもこの映画の完成度を高めています。

 この映画のタイトル「インファナル・アフェア」は直訳すると無間道となり、仏教用語で無間地獄を意味しており、主人公二人の映画の結末後の苦悩を見事に表現しています。きっと2人とも後戻りできない自分の生き方を永遠に後悔し、苦しむのでしょう。生きるとは苦悩を背負いながら、投げ出さず(投げ出せず)歩き続けることだと映画を見て感じました。

インファナル・アフェアI

製作年度 2002 

製作国・香港 

上映時間 102 

監督 アンドリュー・ラウ 、アラン・マック 

脚本 アラン・マック 、フェリックス・チョン 

音楽 コンフォート・チャン 

出演 アンディ・ラウ 、トニー・レオン 、アンソニー・ウォン 、エリック・ツァン 、エディソン・チャン 

公式サイト: http://www.infernal.jp/index_top.shtml

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「サンゲリア」この映画を見て!

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第3回「サンゲリア」

私は中学生の時にジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」(US公開版)に出会い、ゾンビ映画の虜となりました。(「ゾンビ」については後日詳しく紹介します。)それから「バタリアン」「ブレインデッド」「ショーン・オブ・ザ・デッド」といろいろなゾンビ映画を見えてきたわけですが、なぜかゾンビ映画の代表作と言われる「サンゲリア」だけ見逃してきました。そして遂に「サンゲリア」を見ることができました。
 この映画を見ての第一印象は、正直期待が大きかった分、肩透かしでした。緊張感のない展開のストーリー、力が入っていないけど変に耳につく音楽、グロいけどいまいち緊迫感のないゾンビとの死闘。私の脳内で『サンゲリア』=「すごいゾンビ映画」というイメージが先行していたので、すこしがっかりしました。「ゾンビ」と同レベルの映画を期待していましたが、やはり『ゾンビ』は別格ですね。
 ただ『サンゲリア』つまらないかというとそんなことはなく、見所はたくさんです。
 前半、意味もなく水着なしで、おっぱい丸出しで泳ぐヒロイン。ある意味、びっくりしました。そんなヒロインが海で鮫に襲われそうになった時に登場する水中ゾンビ。鮫と格闘を始めるですが、これにはびっくりしました。いったいこの水中ゾンビはどこからやってきたのか分かりませんが鮫と闘うとは・・・。(本物の鮫とゾンビが格闘してるのですが、これ演じる人は大変だったでしょうね。)このシーンでは鮫とゾンビどちらを応援したらいいのか困惑しましたが、インパクトは大のシーンです。
 続いて目に木が突き刺さるシーン。ここは気合の入ったグロイシーンです。本当に見ていて目が痛くなりました。
 そして、墓場から出てくる虫まみれゾンビ。最高に汚くて気持ち悪いゾンビです。ただあそこまで腐っていたら、もう動けないのではと思ったりしましたが、それは考えてはいけませんね。
 最後の病院での死闘もある意味すごかったです。主人公たちが逃げ込んだ病院にゾンビがたくさん襲いかかるのですが、なんかまったりとした展開。映像はグロイのですが、主人公たちに切迫感がないんですよね。
 ラストは衝撃的なシーンのはずが、予算不足かあれでは・・。
 この映画はとにかく汚くてグロイゾンビのメイクが一番の見所です。さすがイタリア映画といった感じの残酷描写のオンパレード。これに関しては『ゾンビ』と双璧をなしています。ただ正直ストーリーはいまいちでした。 突っ込みどころも満載ですが、ゾンビ好きは見て損はないと思います。

製作年度 1979
製作国・地域 イタリア/アメリカ
上映時間 91
監督 ルチオ・フルチ
脚本 エリザ・ブリガンティ 
音楽 ファビオ・フリッツィ 、ジョルジョ・トゥッチ
出演 イアン・マカロック 、ティサ・ファロー 、リチャード・ジョンソン 、オルガ・カルラトス 、アウレッタ・ゲイ 

関連サイト:http://www.jvd.ne.jp/hr/zombie2.htm

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この映画を見て!「オーディション」

第2回「オーディション」
この映画の見所:「きりきりきりきりきり」最後30分間の映像

(注)この映画は心臓の弱い方は決して見ないほうがいいと思います。

audition ストーリー

「妻を失った中年男性が、映画のオーディションと称して再婚相手を探そうとするが、そこで出会った女性は実は・・・。」

村上龍原作のこの映画。監督がアナーキーかつ過激な作風で知られる三池崇監督(「着信アリ」「殺し屋一」)ということもあり、すごい作品(R15指定です)となっています。海外でも高い評価を得ているこの作品ですが、実に丁寧に作られた痛く(この痛くがこの作品のポイントです。)怖い作品です。

 前半は丁寧に中年男性が女性を捜し求め、恋に落ちていく姿が描かれています。この前半の丁寧な描きこみが後半の壮絶な狂った展開を引き立たせています。役者も適材適所といった感じで、主演の中年男性石橋凌はもちろんのこと、怪しい女性を演じる椎名英姫は清楚に淡々と狂った演技を見せてくれます。そして大杉連と石橋蓮司がインパクトのある役をしています。特に大杉蓮は今見るとよくこんな役を引き受けたなと思います。

 理想の女性などこの世にはいない。いたとしたら気をつけたほうがいいよと男性の皆さまに警告する映画です。理想の女性を求める男性はこの映画を見て、現実に戻ってきてくださいね。

製作年度  2000
製作国・地域  日本
上映時間   115
監督    三池崇史

製作総指揮  横浜豊行

原作 村上龍
脚本 天願大介
音楽  遠藤浩二
出演  石橋凌 、椎名英姫 、國村隼 、松田美由紀 、大杉漣

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この映画を見て!「トーク・トゥ・ハー」

 「この映画を見て!」では私が今まで鑑賞した映画の中から、、「これは見ないと人生を損する(かも)」知れないような映画を皆さまに紹介したいと思います。大作映画からカルト映画・B級映画まで幅広いジャンルの中から、選りすぐりの作品をご紹介します。ぜひ、このコーナーで紹介された映画を映画館やレンタルビデオ店等で探して、皆さまもご覧ください!

第1回紹介作品「トーク・トゥ・ハー」
この映画の見所:愛する故の孤独と狂気と悲しみを問うストーリー展開!

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ストーリー

「主人公は闘牛士の女性に恋した中年の作家と「ただ孤独なだけ」の看護師の青年の二人。作家はふとしたことから闘牛士の女性と関係を持つが、闘牛中に事故に遭い、昏睡状態に陥ってしまう。昏睡状態に陥った彼女にどう接していいか戸惑う作家。また青年は看護師として母の看病に身を捧げていたが、自宅の隣のバレー教室に通っていた女性に一目ぼれして恋に落ちていく。しかし彼女は事故に遭い、昏睡状態になってしまう。彼は彼女の専属看護師になり、彼女の世話をするようになる。この二人の主人公たちが病院で出会い、友情を結んでいく。二人の友情を軸に青年の彼女に対する純粋で献身的な愛が、悲劇と奇跡を起こしていく姿を中年の作家の目を通して描いていく。」

 この映画は非アメリカ映画で久しぶりにアカデミー脚本賞を受賞したほど、何とも狂おしく美しい愛の描かれた物語です。この映画を見終わったとき、人を愛するが故の孤独や悲しみ、狂気に胸が痛くなってきます。思い通りにならない愛、すれ違ってしまう愛、愛するゆえに独りよがりになってしまう悲しみ、そして愛が持つ奇跡をこの映画は十二分に描いています。

 この映画で描かれる愛というものは相互的なものではなく、一方的なものです。この映画は、自分の中で愛というものをどう考えているかで印象が変わってきます。愛というものは愛し愛し合う二人がいて成立するものばかりではなく、愛し愛する対象があれば成立するばあいもあります。この映画で描かれる愛は後者の愛です。一方的な愛だからこそ、甘美で苦しく切なく孤独な愛なのです。ぜひ皆さんもこの愛の姿をご覧ください!

公式サイト:http://www.gaga.ne.jp/talktoher/

作年度 2002
製作国・地域 スペイン
上映時間 113
監督 ペドロ・アルモドバル 
製作総指揮 アグスティン・アルモドバル 

脚本 ペドロ・アルモドバル 
音楽 アルベルト・イグレシアス
出演 ハヴィエル・カマラ 、ダリオ・グランディネッティ 、レオノール・ワトリング 、ロサリオ・フローレス 、ジェラルディン・チャップリン 

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私の映画遍歴1。「70年代パニック映画にはまる」

私は物心ついた時から映画が大好きでした。と言っても、田舎に住んでいたので、映画館で映画を見るようになったのは中学生になってから。小学生のときは、もっぱらテレビで映画鑑賞をしていました。ちなみに私がいちばん最初に記憶に残っている映画は「タワーリングインフェルノ」。

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出来立てほやほやの138階建てのビルが火災になり、取り残された人々や消防士のドラマが展開するという話ですが、テレビでの放映の時は、ビルが燃え上がるシーンを見て、私の心も燃え上がってしまいました。出演している俳優も豪華な人たちなのですが、その当時は俳優の名前も知らず、どの人が生き残るのかハラハラどきどきしながら見ていたものです。(またこの映画については改めて紹介したと思います。)

この映画と出会ってから、私はパニック映画にはまってしまい、「ポセイドンアドベンチャー」「エアポートシリーズ」「スゥオーム」などテレビで放映されるパニック映画は片っ端から見ました。

パニック映画の面白いところは誰が生き残るのかのハラハラ感、そして不謹慎ながらも、災害という非日常の世界が日常の破壊願望みたいなものを刺激するところだと思います。(現実に破壊されるのは困りますが。)

災害というのは決してただ悲惨なだけでなく、どこか日常とは違うハレの場としての機能があります。(だから子どものときどこか台風などが近づいてくると、何が起こるんだろうとわくわくしたりするのだと思うんですよね。)当たり前の日常が崩壊し、生と死がむき出しになる災害というものはある意味、お祭りの場に近い熱気が充満していると思うんですよね。

だから人はある意味悲惨なパニック映画を見てお祭りのときのような興奮状態になり、非日常のハレの世界を楽しんだりしているのかなと思います。人間は自分たちを快適にするため、守るために作った人工物やシステムが崩壊して、人間が生き延びようとする姿にどこかロマンを求めたりするところもあるんですよね。

80年代以降はパニック映画が持っていた役割を、SF映画やアクション映画が担っていき、パニック映画は衰退していきます。私としては残念でしたが、90年代後半からCGの進歩に伴い、タイタニックを筆頭に、隕石ものや火山ものなどたくさん製作され、パニック映画好きの私としてはうれしかったものです。

ところで私はそういう映画を見るにつれて、自分でもパニックシーンを演出したくて、友達とビルの模型をつくり燃やしたり、船の模型を沈没させたりして満足してました。(周囲の人は私のこの遊びを理解できず相当心配していましたが・・・。)

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